《『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』(筑摩書房)の口絵写真より》 先日10月5日、金ヶ崎の実家の隣人が亡くなったので葬儀・告別式に参列した。
その際、隣の家のすぐまた隣の家の老人にまた稲作についていくつかのことを教わった。この方は、以前〝賢治と稲熱病〟でも投稿した方で、現在約90才(昭和3年生まれ)のお元気な現役バリバリの専業農家の方だ。そしてこの方を見かけるのは殆どといっていいほど、田圃を見廻 . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「2.賢治が経験した「サムサノナツ」(冷夏)」(続き)
では今回は前回の続き、「サムサノナツ」(冷夏)」の続きを述べたい。
同氏は、
大冷害の前4回は盛岡高農時代までのもので、すでに報告(佐々木2005)したように、農業への関心は低かった時代である。意識して冷害を経験したのは、あと2回のみと思われる。なお、昭和2年は非常な寒い気候が続いて、ひど . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「2.賢治が経験した「サムサノナツ」(冷夏)」
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考-「サムサノナツハオロオロアルキ」考』の中の「2.賢治が経験した「サムサノナツ」(冷夏)」についてである。
さて、私はここまで『北農』掲載の佐々木多喜雄氏の一連の論考を読み、同氏の徹底した実証的な研究態度と学問に対する厳しくて真摯な姿 . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) ⑵ 貧農の食事の実態
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考-「一日ニ玄米四合」考-』の中の「玄米四合の意味 ⑵ 貧農の食事の実態」を紹介させていただく。
同氏はまず、小作農などの貧農のとされる人々の当時の実態についてこう述べている。
多くの小作農は稲を栽培しているといっても面積は小さく、その収穫物のコメは他の雑穀よ . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 2.玄米四合の意味
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治「雨ニモマケズ」小私考-「一日ニ玄米四合」考-』の中の「玄米四合の意味」からである。同氏はまず、
⑴ 賢治の玄米食の内容
昭和7年6月1日の友人森荘已池宛の手紙に、次のものがある。(略)、いままで三年玄米食(七分搗)をうちぢゅうやりました。母のさとから宣伝されたので、私はそれがじつに . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「9.賢治は「農聖」といえるか-全体のまとめ-」より
では今回は本シリーズの最終回で、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』の後半について紹介させていただきたい。まずは同論考の構成だが、
9.賢治は「農聖」といえるか-全体のまとめ-
⑴ 賢治以前の「農聖」との対比
1)類似点
2)相違点
3)神社、頌徳碑など . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「8.“農に殉じた”ことは事実か」より(続き)
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』の前半の続きを紹介させていただきたい。つまり、
2)死前日の農事相談
⑵ 臨終前日の農事相談への疑問
1)疑問や批判のいくつかの例
2)抱いた疑問のいくつか
3)病と喀血の経過概要についてである。
まず佐 . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「8.“農に殉じた”ことは事実か」より
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』(『北農 第76巻第1号』(北農会2009.1)所収)の前半について紹介させていただきたい。さてその構成だが、
8.“農に殉じた”ことは事実か
⑴ 農に殉じたとされる内容
1)昭和3年8月の発病の原因
2)死前日の農事相談
. . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「7.賢治は農村・農民指導者たりえたか」より(続き)
では今回は前回に引き続く、
7.賢治は農村・農民指導者たりえたか
⑶ 賢治は農民を愛し、農民から愛されたか
1)法華経と隠し念仏
2)農民への根本的まなざし
3)正直な農民が好き
4)農民への反感を詠んだ詩などの例の中身をそれぞれ以下に簡単に紹介したい。
まず冒頭佐々木氏は . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「7.賢治は農村・農民指導者たりえたか」より
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』について紹介させていただきたい。まずは同論考の構成だが、
7.賢治は農村・農民指導者たりえたか
⑴ 農民藝術概論と綱要
⑵ 上から教える人
⑶ 賢治は農民を愛し、農民から愛されたか
1)法華経と隠し念仏
2)農民への . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「6.賢治の農業実態 ⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」より(続き)
では今回は、佐々木多喜雄氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』の「⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」の残り、
3)農業技術者、科学者としての賢治をどうみるか
4)賢治の農業実態ををどうみていたか-小まとめに代えて-
5)自立生活から見た賢治について簡単に紹介させた . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「6.賢治の農業実態 ⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」より
では今回は、佐々木多喜雄氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』について簡単に紹介させたいただく。これは前回まで紹介させてもらった『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』所収の「6.賢治の農業実態」の続きであり、その構成は、
⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」
1)「宮沢農学」 . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「6.賢治の農業実態 ⑶ 文学関係者みた賢治の農業」より
では今回は、佐々木多喜雄氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』の最後に残った次の項、 ⑶ 文学関係者みた賢治の農業についてである。
この項では、同氏は
賢治の没後10年頃の戦前までの、主に中央文壇関係者は、賢治の農業をどのように見ていたのだろうか。それらの人人の発表文から拾ってみ . . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「6.賢治の農業実態 ⑵ 羅須地人協会時代」より
では今回は、前回の続きを紹介させていただく。具体的には佐々木多喜雄氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』の中の、
⑵ 羅須地人協会時代
1)教師を辞めた理由
2)「一応の農業」の意味
3)金持息子の道楽農業
4)羅須地人協会の終焉 の中身をそれぞれ以下に簡単に報告したい。
. . . 本文を読む
《稗貫の稲田水鏡》(平成29年5月19日撮影) 「6.賢治の農業実態 ⑴ 農学校教師時代」より
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』について紹介させていただきたい。まずは同論考の構成だが、
6.賢治の農業実態
⑴ 農学校教師時代
⑵ 羅須地人協会時代
1)教師を辞めた理由
2)「一応の農業」の意味
3)金持息子の道楽農業
4)羅須地人協会 . . . 本文を読む