みちのくの山野草

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日本協働奉仕団の結成

2020-11-27 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)》

 では今回は、「昭和13年3月3日 日本協働奉仕団の活動開始」に関わってである。
 そこで『土に叫ぶ』の中に、「一〇 日本協働奉仕團の結成」という章があったので調べてみると、松田甚次郎はまず、
   一〇 日本協働奉仕團の結成
 獨逸のたより 昭和十二年二月、隣郡の靑年修養講習会で三日間に亙り靑年と寢食行事を共にして講習を受けた時、…投稿者略…實見者から聴いて非常に感激を與へられた。
             〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)287p〉
と述べ、これを受けて、
 日本協働奉仕團 この獨逸の勞働奉仕制度は支那事變に直面しつつある日本に如何に重要であるか。これを先駆してやる者は誰であるかを熟考したのであつた。そこで賛助者である佐藤さんと謀り、前述の年賀状(投稿者註:昭和13年の)と要綱をプリントして先駆靑年の参加を募つたのである。…投稿者略…
二 綱 領
一 我等は日本民族の使命に醒めて、熱烈にして純潔なる努力を以つて、國力の発展充實に獻身奉公す
…投稿者略…
一 我等は常に世界の大勢、東亞の風雲を凝視し、皇國の現狀に鑑み、彌榮の大生命に帰一せん
            〈同295p~〉
ということであった。
 こうしてみると、日本協働奉仕團の結成は、たしかに国策に沿ったものであったと言えるかもしれないが、「国策におもね」とまで言えるのだろうか。ちなみに、広辞苑によれば
 【阿る】(おもねる)
  相手の気に入るようにする。へつらう。追従する。

という意味だという。よって日本協働奉仕團の結成は、国策に気に入るようにという下心が甚次郞にあっての、国にへつらった行為だったとまでは言えないはずだ。

 畢竟、日本協働奉仕團の結成は国策に沿ったものだったと言えたとしても、「国策におもね」たものだとまでは言えない、と私には判断できた。

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