みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

大瀬川交差点近くの庚申塔群

2016-11-13 10:00:00 | 庚申信仰
 県道13号盛岡和賀線の大瀬川交差点の近くに、宮澤賢治が一泊したゆかりの跡地の案内板があるが、その比較的近くに散りかけの紅葉と黄葉の大木が見えたので行ったみた。 《1 》(平成28年11月12日撮影) 《2 》(平成28年11月12日撮影) 《3 》(平成28年11月12日撮影) 《4 》(平成28年11月12日撮影) 《5 おっ、珍しい》(平成28年11月12日撮影) 《6 「庚申」の . . . 本文を読む
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ちょっと変わった庚申塔(7/8、大森山の近く)

2016-07-12 08:30:00 | 庚申信仰
 暫くぶりの庚申塔に関する投稿である。  大森山へ行く途中、「新花巻駅」も少し過ぎ、かつての追分っぽいところで出会った石塔群の中に、 《1 梵字が刻んであるものがあった》(平成28年7月8日撮影) 《2 あれっ、こちらのでかいのにも刻んである》(平成28年7月8日撮影) 《3 よくよく見ると「庚申」の字も刻んである》(平成28年7月8日撮影)  ためつすがめつしてみた結果、      奉念 . . . 本文を読む
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4245 旧花巻農学校跡地近くの庚申塔群

2014-11-13 09:00:00 | 庚申信仰
 久し振りに庚申塔の写真を投稿する。  旧花巻農学校跡地(ぎんどろ公園)近くにあった庚申塔群であり、今まで私はその存在を知らずにいたものである。  左端のそれは明和9年(1762年)建立のものだが、他の二つもかなり古そうだから、賢治もこれらの庚申塔は見ていたはずだ。ただし、「鍋倉の庚申塚」や「春日神社の庚申塔群」などとは違って賢治はここの庚申塔については詩には詠んでいないようだ。   《1 》(平 . . . 本文を読む
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3890 黒石寺の庚申塔

2014-04-28 09:00:00 | 庚申信仰
 4月14日、あの蘇民祭で有名な奥州市の黒石寺にちょっとだけ立ち寄った。門前に3基ほどの庚申塔があった。 《1 》(平成26年4月14日撮影) 《2 》(平成26年4月14日撮影) 《3 》(平成26年4月14日撮影) 《4 》(平成26年4月14日撮影) 《5 》(平成26年4月14日撮影) 《6 》(平成26年4月14日撮影) 《7 》(平成26年4月14日撮影) 《8 》(平 . . . 本文を読む
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3131 暫くぶりの庚申塔

2013-03-08 17:00:00 | 庚申信仰
 かつて花巻近辺の庚申塔、特に五庚申塔を探し回ったことがあった。  今日は大部春めいていて雪解けがぐんぐん進んでいるような花巻だったので〝浅沢〟付近を散歩していたならば、暫くぶりに庚申塔が目にとまった。近くにあったのに今まで知らずにいたものであった。   《1 こちらは年号判読不能》(平成25年3月8日日撮影) 《2 こちらは年号は》(平成25年3月8日日撮影) 《3 寛政五年かな》(平成2 . . . 本文を読む
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1617 高村光太郎と庚申講 

2010-08-04 08:08:53 | 庚申信仰
 過日高村山荘を観に行った際、高村記念館に『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、(財)高村記念会)という小冊子が置いてあったので購入した。  その冊子の中に   (5) かのと講への招待 という章があり、その中身は次のようなものであった。  昭和二十二年秋のことです。…(略)…関上場と久保の人たちが毎年開いている「かのと講」へ先生を招待しました。その年の宿は、久保の仁右衛門さんのところでした。   . . . 本文を読む
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1367 庚申紀念塔 

2010-03-10 08:00:19 | 庚申信仰
 花巻の庚申塔は殆どが五庚申や七庚申の年に建てられていることが多い。  たまにそのような年以外(いわば六庚申年)にも建てられていることがあることは以前にも述べたとおりであるが、はっきりと”庚申年”を紀念して建てたと明記してあるものはまだ見たことはなかった。  ところが、場所は 《1 花巻の遊子というところに杉林あり》(平成22年3月8日撮影) そこは 《2 八坂神社の社》(平成22年3月8日撮 . . . 本文を読む
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844 「雨ニモマケズ手帳」の「五庚申」(結論)

2009-03-01 08:08:26 | 庚申信仰
 賢治は次のような詩を詠んでいる。  一〇八三 和風は河谷いっぱいに吹く(下書稿(四))/『春と修羅 第三集』)                           一九二七、八、二〇、    南からまた西南から    和風は河谷いっぱいに吹く    起きあがったいちめんの稲穂を波立て    葉ごとの暗い露を落して    和風は河谷いっぱいに吹く    あらゆる辛苦の結果から    七月 . . . 本文を読む
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842 庚申塔について(考察13)

2009-02-28 08:05:27 | 庚申信仰
 さて、『豊作飢饉』について無知だった私は『三上満さんが語る賢治と農業〈2〉』からそのからくりを知ることが出来た。三上氏は賢治のことにも触れながら『豊作飢饉』について次のように解説している。  賢治にとって大きな打撃だったのは、一九三〇年の豊作です。大不況の中での豊作で、米価は値下がり、一九三一年の春頃は、豊作飢饉の様相になっていた。あの頃は、米はまったく自由販売で、米の仲買人が買い付ける。場合に . . . 本文を読む
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840 庚申塔について(考察12)

2009-02-27 08:13:55 | 庚申信仰
 ”やっと出会えた五庚申塔”で報告した春日神社近くに住んで居られる庚申講中のご老人から聞いたことで、まだ報告していなかったことが一つある。  それは、  その年の納めの庚申日に『七庚申塔』に色を塗る講中がある ということである。このことを聞いて、私は心の中で『そういうことだったんだ』と膝を打った。  先ずはその前に、以前に疑問を呈したことがある色が塗られた『庚申塔』を紹介する。 《1 地蔵堂の庚 . . . 本文を読む
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838 やっと出会えた五庚申塔

2009-02-26 08:08:56 | 庚申信仰
 とうとう念願の五庚申塔に出会えたので報告する。  過日、花巻の狼沢や椚ノ目を彷徨ったならば沢山の石塔群があったので、またぞろ近辺を彷徨ってみた。  椚ノ目にも熊野神社があったが、その近くの小瀬川にもあった 《1 小瀬川熊野神社》(平成21年2月25日撮影) である。境内にはやはり 《2 石塔群》(平成21年2月25日撮影) があり、中には赤と黒で鮮やか文字が塗られた石塔の 《3 七庚申》(平 . . . 本文を読む
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836 庚申塔について(考察11)

2009-02-25 08:14:21 | 庚申信仰
 さて、賢治が「雨ニモマケズ手帳」を書いた昭和6(1931)年頃、世の中はどうなっていたのだろうか。  農村の疲弊状態について、江口 圭一氏によれば    『農村の窮乏』   一九三〇年の空前の豊作飢饉で打撃を受けた農村は、三一年のいっそうの不況と窮乏に沈んだ。農産物価格の下落がつづき、農村需要品(工業製品)価格との差いわゆるシェーレがひろがった。下表(割愛)に示されているように、三〇年五月と三一 . . . 本文を読む
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834 庚申塔について(考察10)

2009-02-24 08:06:08 | 庚申信仰
 では前回つくった《表8 賢治の生きていた頃の庚申と冷害・旱魃》から10年ごとの区切り部分を抽出して表にしてみると次のようになる。    《表9 10年刻みの冷害・旱魃回数(明治19年~昭和30年)》 1876~1885年の10年間→不作3回       『七庚申』1回 1886~1895年の10年間→不作2回       『七庚申』1回 賢治0?代(1896~1905年)→冷害2回・不作1回・『 . . . 本文を読む
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832 庚申塔について(考察9)

2009-02-23 08:23:22 | 庚申信仰
 今回は賢治が生きていた時代の旱魃・冷害の被害がどれくらい酷かったのか。『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)を参照しながら明治19(1886)年~昭和30(1955)年について調べてみると次表のようになる。  まず、発生年については    《表7 賢治の生きていた頃の冷害・旱魃発生年》                   明治21(1888)年         明治42(190 . . . 本文を読む
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830 庚申塔について(考察8)

2009-02-22 08:10:00 | 庚申信仰
 賢治の作品の中には、次のような詩           『秋』                      一九二六、九、二三、    江釣子森の脚から半里    荒さんで甘い乱積雲の風の底    稔った稲や赤い萓穂の波のなか    そこに鍋倉上組合の    けらを装った年よりたちが    けさあつまって待ってゐる        恐れた歳のとりいれ近 . . . 本文を読む
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