《創られた賢治から愛すべき賢治に》 さて、『潮の音プロムナード』の、我入道海岸には『沼津市芹沢光治良記念館』もあるという。そういえば彼の高名は以前聞いていたことがあるし、タイトルは忘れたがその著作も一度だけ読んだことがあったっけ。そこで翌日(11/27)それらも見に行った。
なお、この記念館では写真撮影が可であるということだったので、何枚か撮らせてもらった。
《1 芹沢光治良 略年譜①(抜粋) . . . 本文を読む
では次は、若山牧水関連についてである。
一度浜辺に出てみると、確かにその名『千本浜公園』の通り、松の木が千本はありそうだ。
《1 松林》(平成25年11月27日撮影)
《2 駿河湾》(平成25年11月27日撮影)
《3 砕ける浪》(平成25年11月27日撮影)
《4 空に舞うタカ?に見とれていると》(平成25年11月27日撮影)
《5 〃 》(平成25年11月27日撮影)
あれさっ . . . 本文を読む
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各章の掲載が済み次第、章毎にまとめ直して読みやすいようにして『宮澤賢治の里』の方に掲載してまいります。
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『賢治が一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』
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この度沼津に所用があって出かけた。他でもない賢治絡みのある資料をこの目で直に見たかったからだ。
その合間を縫って、「潮の音プロムナード」に行ってみた。
《1 まずは沼津駅前の井上靖の碑》(平成25年11月26日撮影)
そこには、
若し原子力より
大きい力を持つ
ものがあるとす
れば、それは愛
だ。愛の力以外
にはない。
井上靖
と刻されて . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
第二次世界大戦直後のある教科書
過日、水沢の古書店に立ち寄ったところ、上記の写真のような教科書『中等新国語 文学編 二上』(坪内松三編、光村図書出版、昭和26年10月10日発行)があった。その目次を見てみると
【目次】
ということで、その中には
五 詩碑をたずねて
(一)雨ニモマケズ
とあったので直ぐさま買った。たしかにその104p以降には、
【雨 . . . 本文を読む
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では次は平和大観音像へ。
《1 サルトリイバラ》(平成25年11月23日撮影)
《2 ヤマガシュウ》(平成25年11月23日撮影)
《3 サワフタギ》(平成25年11月23日撮影)
《4 ズミ》(平成25年11月23日撮影)
《5 〃 》(平成25年11月23日撮影)
《6 ハシバミ?と平和大観音》(平成25年11月23日撮影)
《7 絹雲》(平成25年11月23日撮影)
《 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》1.賢治の花巻農学校退職に関してのまとめ
さて、標記の件に関しては次のようなことが言えるのではなかろうか、と私は前回主張した。
(ア) 少なくとも大正14年の2月頃には花巻農学校の教員をしていることに対する不満を公言するようになり、その職を辞して大正15年の春には「本統の百姓」になることを考え始めていた。
(イ) ところが、14年12月1日付宮澤清六宛書簡「私も . . . 本文を読む
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それでは、「胎内くぐり」をして一切の罪穢を捨て、新たに生まれ変わりましょう。
《1 胎内くぐり》(平成25年11月23日撮影)
そこを抜けるとそこは大展望台直下。
《2 平和大観音が指呼の間に》(平成25年11月23日撮影)
《3 ヤクシソウ》(平成25年11月23日撮影)
《4 オトコエシ》(平成25年11月23日撮影)
《5 アキノキリンソウ》(平成25年11月23日撮影)
《6 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》1.関連する証言や書簡
さて、今まで調べてきた賢治花巻農学校退職に関する証言や書簡などを一通り調べてみた。時系列にしたがってその内容を簡潔に表して並べてみるとだいたい下記の通りとなろう。
◇大正14年2月頃:教え子松田浩一の証言
先生は「教師はじめじめしていやだ。おれはやめることだが、家から逃げて桜さ移るから皆遊びにきてくれ」と言っていた。
◇大正14年4月1 . . . 本文を読む
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では極楽寺を後にして、今度は国見山神社に向かう。
《1 ユキザサ》(平成25年11月23日撮影)
《2 ツルウメモドキ》(平成25年11月23日撮影)
《3 残り少なの紅葉》(平成25年11月23日撮影)
《4 新芽を付けた多分オオバクロモジ》(平成25年11月23日撮影)
《5 ガマズミ》(平成25年11月23日撮影)
《6 ノコンギク》(平成25年11月23日撮影)
《7 残り . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 さらに対談は続く。
赤坂 それでもコトさんは賢治を「日本一」だと思っていた。
吉田 『雨ニモマケズ』が好きだったのは、やっぱり乙女心だよね。ああいうのに惹かれた。あと甚次郎さんの恩師だから、自然に偉い人なんだろううなと思っていたところもあるんじゃないかした。甚次郎さんはホントに賢治を尊敬していましたよ。それから、私、自分のこともあった。医者の娘、土地持ちの娘。な . . . 本文を読む
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