みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

牧野立雄氏と山折哲雄氏

2024-04-26 18:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈2024年4月24日付『朝日新聞』の17面「岩手」〉  さて、先に私は、    本物だと知った。賢治研究をさらに発展させる方だと。 と述べ、そして  牧野氏はまさにこの、「あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証して」いるからではなかろうかと、私には思えたからだ。たしか、牧野氏の出身は名古屋名のはずなのに、それが今は遠く離れた盛岡で仕事をしながら . . . 本文を読む
コメント

「一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証して」いるからでは

2024-04-25 18:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈2024年4月24日付『朝日新聞』の17面「岩手」〉  取り出した『宮沢賢治・第六号』(昭和61年12月1日、洋々社)には、インタビュー     「わが賢治/第五回」     山折哲雄氏に聞く 宮沢賢治への問いと現在 インタビュー 牧野立雄 が載っているからだ。つまり、牧野立雄氏の山折哲雄氏に対するインタビューが載っている。  実はかつてある方が私に、この『宮沢賢治』(洋々社)の牧野氏のイン . . . 本文を読む
コメント

「走り続ける研究者」牧野立雄さん

2024-04-24 21:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
 このトップの写真は本日(2024年4月24日)付の『朝日新聞』の17面「岩手」に載った、     研究半世紀 出会いも快走 という見出しの記事であり、宮沢賢治研究者の間で     「走り続ける研究者」 と呼ばれる、タクシー運転手の牧野立雄さんについての記事である。  賢治が青春時代を過ごした盛岡市を、今日もタクシーで走りながら研究を続けている、という。  私は、本物だと知った。賢治研究をさら . . . 本文を読む
コメント

『石川啄木と義父堀合忠操』(小林芳弘著、コールサック社)

2023-12-13 12:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
 先日、小林芳弘氏から上掲のような新刊『石川啄木と義父堀合忠操』(小林芳弘著、コールサック社、2023年12月1日発行)をご恵与いただいた。私は啄木のことは、同じ岩手県人なのに、賢治に較べると殆ど分かっていない。  そこで拝読してみると、小林氏の実証的で緻密な考察と論理的な思考、そして熱量に圧倒された。同時に、石井洋二郎氏あの警鐘、  あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみる . . . 本文を読む
コメント

弘中綾香アナってただ者じゃなかった

2020-01-03 18:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『片栗と蝦夷延胡索』(平成24年5月1日)〉  本日(1/3)、『Yahoo! JAPANニュース』の記事〝テレ朝・弘中綾香アナ、NHK初出演でネット記事への思いを明かす「二次資料、三次資料でその人のことを判断しないで」〟が目に留まった。それは、「一次情報、あるいは一次資料ともいわれるものに立ち返れ」ということを私は以前から肝に銘じていたからだ。  そこでその中身を見てみると、弘中アナは、  「 . . . 本文を読む
コメント

子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない

2019-05-23 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない 荒木 とはいえ、このまま手を拱いていると、「創られた偽りの宮澤賢治像」が未来永劫「宮澤賢治」になってしまう虞もあるしな。 鈴木 そこなんだよ、いくら賢治が立派だとしても、それが後に創られた偽りのものであったとするならば、それは純真な未来のある子どもたちを騙すことになる。そんなことだけはもうしたくない。か . . . 本文を読む
コメント

「賢治研究」の更なる発展のために

2019-05-22 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉「賢治研究」の更なる発展のために 荒木 さて、入沢先生が「もっとも必要なもの」として強調するところの二つ、 ・何が真実で、何が真実でないかをあきらかに見極めたいという、誠実な探究心 ・見極めたものを、ほかの人々と、隔てなくわかち合いたいという熱望を常に心懸けていれば、俺達は道を誤ることはないと思い始めてはいるのだが、では、その具体的方法論はど . . . 本文を読む
コメント

見極めたものをわかち合いたいという熱望

2019-05-21 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉鈴木 さて、私たちはここまで、 ・反例がある現定説「大正15年12月2日の上京」 ・現定説「大正15年12月2日の上京」の反例とは ・「ヒデリノトキニ涙ヲ流シタ賢治」という通説の嘘 ・通説「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」の嘘 ・「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘 ・「風雨の中を徹宵東奔西走、遂に風邪、病臥」? ・通説「貧 . . . 本文を読む
コメント

「聖女のさまして近づけるものは」露以外

2019-05-20 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 「聖女のさまして近づけるものは」露以外 吉田 しかも彼等の判断の仕方は、     クリスチャンは「聖女」だ。高瀬露はクリスチャンだ。だからこの「聖女」は露だ。 という程度の、杜撰な三段論法によるものであったと言わざるを得ないから、論理があまりにも脆弱だ。 荒木 でもそう言い切っていいのか、彼等から名誉毀損で訴えられるぞ。 吉田 いやそれは僕 . . . 本文を読む
コメント

通説「聖女のさまして近づけるものは露」も嘘

2019-05-19 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 通説「聖女のさまして近づけるものは露」も嘘 鈴木 では今度は、高瀬露とあの詩〔聖女のさまして近づけるもの〕に関わることだ。このことについては二人に対してはもう何度も喋っているいるから、改めて今更説明の必要はないと思うのだが。 荒木 もう耳にたこが三つも四つも出来ているよ。そして特に、     「聖女のさまして近づけるものとは露のことである」 . . . 本文を読む
コメント

「独居自炊」という通説はあやかし

2019-05-18 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 「独居自炊」という通説はあやかし 鈴木 そう、吉田の言うとおり。確かにあの世界で千葉恭は「ほとんど無視」されてきた存在だと言わざるを得ないんだな、これが。 荒木 わがるわがる、だからお前は『本統の賢治と本当の露』の、実質的に最初の主張である、「㈠「独居自炊」とは言い切れない」の出だしを、  私が最初におかしいと思ったのは「旧校本年譜」の大正 . . . 本文を読む
コメント

これまでほとんど無視されていた千葉恭

2019-05-17 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 これまでほとんど無視されていた千葉恭 吉田 さてここまで僕等は、 ・反例がある現定説「大正15年12月2日の上京」 ・現定説「大正15年12月2日の上京」の反例とは ・「ヒデリノトキニ涙ヲ流シタ賢治」という通説の嘘 ・通説「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」の嘘 ・「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘 ・「風雨の中を徹宵東奔 . . . 本文を読む
コメント

通説「貧しい農民のために献身した賢治」の嘘

2019-05-16 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 通説「貧しい農民のために献身した賢治」の嘘 荒木 どうも俺は、「貧しい農民のために己を犠牲にしてまでも献身的に活動した」というのが少し前までの賢治イメージだったが、それをいよいよ捨てねばならなくなったきたようだ。 吉田 何だよ、今更改まって。  荒木 そりゃ、ここまで、 ・反例がある現定説「大正15年12月2日の上京」 ・現定説「大正15年 . . . 本文を読む
コメント

「風雨の中を徹宵東奔西走、遂に風邪、病臥」?

2019-05-15 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 「風雨の中を徹宵東奔西走、遂に風邪、病臥」? 荒木 さて、さっきまで昭和3年の「サムサノナツハオロオロアルキ」に関して検証してきた結果、それはあり得なかったということが明らかになった。もはやこうなってしまうと、昭和3年8月10日に実家に戻った件についても、その真相が巷間云われているようなものであったかどうかを一度疑ってみる必要がありそうだな . . . 本文を読む
コメント

「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘

2019-05-14 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘 荒木 ということはさ、「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」という通説は嘘であったことがこれで判ったわけで、「非常な寒い氣候」でもなければ「ひどい凶作」でもなかったのだから、当然、昭和2年に賢治が「サムサノナツハオロオロアルキ」ということはもともと必要はなかったんだ。 吉田 そうさ、「寒サ . . . 本文を読む
コメント