みちのくの山野草

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若い人にはなじみのない名前松田甚次郎

2020-10-31 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉

 再び大滝十二郎氏の『近代山形の民衆と文学』に戻って、その中の「松田甚次郎の追悼文集を読む」という項からである。というのは、この「追悼文集」とは、他ならぬ『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集)のことを指しているからである。
 そしてそこには例えばこんなことが述べられていた。
 松田甚次郎といっても、若い人にはなじみのない名前だろう。
 甚次郞は明治四十二年、最上郡稲舟村鳥越(現新庄市)の中地主の家に生まれた。村山農学校卒業後、大正十四年に盛岡高等農林学校に進み、その地で宮沢賢治と出会う。初対面にひとしい賢治から村に帰ったら貧しい小作人と同じ境遇に立つことと演劇活動をやるようにすすめられ、以後愚直なまでにそれを守りぬく。彼は昭和初年の農業恐慌(農産物が生産過剰となり価格が暴落する現象をいう)と凶作、それにつづく戦争の時代の、農村がもっとも疲弊した状況を背景に、自分の生まれた村を拠点にして農村演劇活動をやり、また「最上共働村塾」(昭七)を創立して全国から若い農民を集め、その教育にあたった人である。農業経営の面だけに限って紹介すれば、「有畜山岳立体農業」と「自給自足的農業経営」で農村を再建する、というのが彼の主張であった。こんにちのコトバでいえば、さしずめ自給自足的「複合経営のすすめ」ということになるだろう。
              〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)338p〉
 この『近代山形の民衆と文学』の出版は1988年(昭和63年)だから、「松田甚次郎といっても、若い人にはなじみのない名前だろう」という指摘に対しては、たしかにと私もそう思ってしまう<*1>。その一方で、今回松田甚次郎に関する3つの追悼集<*2>を読んで改めて知ったのだが、生前あれだけ、とりわけ農村青年に支持・敬慕されていた松田甚次郎であったのになぜその後、「なじみのない名前」になってしまったのだろうか、その不自然さには合点がいかない。
 それは、「賢治精神」を、賢治本人以上に甚次郞は実践しただけでなく、農業指導においては理論的にも賢治を越えていたことも少なからずあった<*3>からなおさらにだ。さらには、松田甚次郎が亡くなった昭和18年に遠く花巻でわざわざ甚次郞の追悼式が行われたのにだ(それは、昭和13年に『土に叫ぶ』として出版してそれは驚異的な大ベストセラーになった。そのお蔭で、賢治の名が初めて全国的に有名になった。しかも翌14年に今度は甚次郎の編集で『宮澤賢治名作選』を出版して呉れたので、賢治の作品も一躍全国に知られるようになった。これはロングセラーになったからだ。だから、賢治の地元花巻では松田甚次郎に最大限の敬意を払っており、その感謝を現したかったからであろうことは間違いないはずだ)。 

<*1:投稿者註> ちなみに、昭和21年生まれの私が松田甚次郎のことを初めて知ったのは2009年(平成21年)頃である。それは、羅須地人協会時代のある一定期間を賢治と一緒に暮らしていた千葉恭が、「羅須地人協会時代の賢治」というタイトルで行った講演(昭和29年12月21日)において、
 一旦弟子入りしたということになると賢治はほんとうに指導という立場であつた。鍛冶屋の気持ちで指導を受けました。これは自分の考えや気持ちを社会の人々に植え付けていきたい、世の中を良くしていきたいと考えていたからと思われます。そんな関係から自分も徹底的にいじめられた。
 松田甚次郎も大きな声でどやされたものであつた。しかしどやされたけれども、普通の人からのとは別に親しみのあるどやされ方であつた。しかも〝こらつ〟の一かつの声が私からはなれず、その声が社会を見ていく場合常に私を叱咤するようになつて参りました。
             <『イーハトーヴォ復刊2号』(宮澤賢治の会)>
と述べていたことによってである。それまでの私は、賢治の地元花巻に住んでいたというのに、松田甚次郎名前も、『土に叫ぶ』も全く知らなかったのである。
<*2:投稿者註> もちろん、『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行)、『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集)の3冊のことである。
<*3:投稿者註> 例えば、松田甚次郎は『續 土に叫ぶ』の中で、
 最近までは石灰の過用によつてかへつて種々の弊害を來してゐるやうな有樣であつた。過ぎたるは及ばざるが如しで、肥料にしても適量が大切であることはいふまでもない。
             〈『續 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店、昭和十七年十二月)44p〉
と言っていて、賢治と違って「石灰の過用」を戒めているからである。

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