みちのくの山野草

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山形 黒田清

2020-08-07 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、東京に次いで寄稿者の数が多い山形からである。そのうちの一人、黒田清は次のような「追悼」を寄せていた。
     松田君を惜しむ
   山形南山村郡本庄村  黒田 清
少なくとも農村に関心をもつ人にとつて、松田君の死に衝撃を受けた人はひとり私のみではなく各方面に随分多かつたと思ふ。
山形縣最上郡の名もなき一角より生れ出でた「土に叫ぶ松田君」の生涯は余りにも短かかつたけれども真摯な聖らかな松田君の生涯と、農村に残した功績は識者をして瞠着せしめたほど偉大であり印象も大きく、我々をして終生忘却し得ない深いものでもあった。
松田君は非常に細心で良心的であり、純情で然も殉教的であつた。彼の生涯は傷々しくも、逞しく勇々しきものであつた。第何期かの塾生の修了式に私も友人の一人として参列し、式後、座談会を聞いて楽しく美しく友との別れを愛惜し、星空を仰いで「螢の光」を唱つて別れた浄い嚴粛な状景にいたく打たれたことがあつた。
松田君の靈魂は、鳥越の森の彼方に浄い聖農の星として永久に輝くことだらう、又松田君の真摯な生活の叙事詩であり、敢闘詩でもあつた「土に叫ぶ」は農村青年の良き伴侶として、或はバイブルとして幾多の魂に希望と慰安を與えることだらう。
松田君の友人の一人として加へて戴き、いろいろな知遇や御厄介になつた私は私の魂より「松田君」の名を終生忘却し去ることが出来ないだらう。それ程松田君から受けた印象は大きく美しく然も清浄であつた。
然し私はこの印象を唯、單なる懐古的な印象に終わらずして、日常のよりよき生活一の糧として生きたいと思ふ。そこに友人松田君に對する友情と愛惜の眞の姿があるのではないかと思ふ。
松田君逝きてより一ヶ月訃音に接した衝撃未だに去らず、愛惜の念に堪えずここに拙稿を送り松田君の冥福を祈る。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)25p〉

 同県人でもある黒田の甚次郎評であり、私はこの人物評に素直に頷く。まさに、甚次郎はそのような人であったであろうと。追悼だから「盛りすぎている」などということは、私はもう疑うことはしない。逆に、甚次郎はそのような人であったからこそ、全国からこのように親愛と敬慕の念を込めた沢山の追悼が寄せられていたのだと、多くの人々から夭逝が惜しまれていたのだ、と私には理解できた。延いては、「土に叫ぶ」は当時、多くの農民の心の支えになっていたのだということも改めて示唆された。
 それにしても、黒田の
   真摯な生活の叙事詩であり、敢闘詩でもあつた「土に叫ぶ」
という新鮮な表現に私は最初虚を突かれたと思ったのだが、次に、なるほどなと納得させられた。そして、少なくとも当時の「農村青年の良き伴侶として、或はバイブルとして幾多の魂に希望と慰安を與え」たであろうことはもはや疑いないと覚った。

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