みちのくの山野草

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東京 倉本彦五郎

2020-08-17 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は東京からの追悼で、倉本彦五郎が寄せた次のような追悼である。
 東京 倉本彦五郎
「土に叫ぶ」が先年上演された時、出京された松田氏を囲んだ一夕の會合は思出の深いものがある。農村文化問題の討士として注目された松田氏はその席上で内省的な態度になり暫く筆を捨てゝ農事研究に専念したいと表明されたのもよい態度であり真摯な覚悟であつた。折角開いた村塾が焼けたといふ新聞電報を見て苦難の経過を遥かに察して天の試錬の余りにも酷なるかと嘆いたが其後村塾は再建され、逞しくも重要なる農産物増強の基礎探究に、実際技術の指導に挺身精進されつゝあり、過日の朝日新聞に「除草進軍」の新発表あり、不撓不屈の増産研究に没頭されつゝある御近況を知り密かに敬意を表して居た直後、八月五日の朝刊は一斉に松田甚次郎氏の逝去を黒線太く写真入りで載せられ農村文化に盡くした功績は大きいと報ぜられた。重大時局下一層君の研究に待つ處多かりしに忽然として逝かれた事は眞に痛惜の極である。謹みて哀悼の至情を捧げ冥福を祈る。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)23p〉
 この追悼に依れば、松田甚次郎は、
   ・農村文化問題の討士として注目されていた。
   ・重要なる農産物増強の基礎探究に、実際技術の指導に取り組んでいた。
と、そして、
   ・そのような甚次郎に倉本は敬意を表していた。
と言えるだろう。
 一方で、この倉本と同様に、長野の栁澤素介も、同日付の朝日新聞で甚次郎の永眠を知ったと言っていたから、やはり、甚次郎の逝去は日本全国に大々的に報道されていたと言えそうだ。しかもその新聞は、「農村文化に盡くした功績は大きい」と報じていたのだから、これが当時の松田甚次郎に対する一般的な評価であったということも間違いなかろう。にもかかわらず、誰かが「戦争協力者となった松田の存在が、人々の脳裡から痛みをともなって消えていく」と後に言い放っているらしい。しかし、ここまで松田甚次郎のことを調べてきて、しかもこの『追悼』集を読めば読むほど、甚次郎だけが「戦争協力者」と決めつけられる理由は私には見つけられないから、そこにはこの「誰か」の悪意があるのではなかろうかうかと、つい勘ぐってしまいたくなる。

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