この一年間、拙ブログにお付き合い頂き大変ありがとうございました。
私としましては、初めてルリソウに出逢会えたことがこの一年間のうちで一番嬉しかったことです。
つきましては、皆様にも是非もう一度ご覧頂きたく、この一年の締め括りとしてルリソウを投稿をさせてもらいました。
では皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
《1 ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
《2 》(平成31年5月25 . . . 本文を読む
《1 ヒヨドリジョウゴ》(平成31年12月27日撮影)
《2 マムシグサ》(平成31年12月27日撮影)
《3 ムラサキシキブ》(平成31年12月27日撮影)
《4 オモト》(平成31年12月27日撮影)
《5 オオバジャノヒゲ》(平成31年12月27日撮影)
《6 》(平成31年12月27日撮影)
《7 ミズキ》(平成31年12月27日撮影)
《8 シブガキ》(平成31年12月27 . . . 本文を読む
〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】
米田は、このようなことも論じていた。
高瀬露、賢治の知り合った女性のうち最も大切な人とわたしには思われるこの人にあてた(と見られる)手紙の下書が幾つか残されている。何故大切かといえば、「賢治をめぐる四人の女性」などといわれるが、初恋の看護婦はその名前さえ特定できず、いわば跡かたもなく、伊藤チヱ自身があの人 . . . 本文を読む
《1 》(平成31年12月27日撮影)
《2 》(平成31年12月27日撮影)
《3 》(平成31年12月27日撮影)
《4 》(平成31年12月27日撮影)
《5 》(平成31年12月27日撮影)
《6 》(平成31年12月27日撮影)
《7 》(平成31年12月27日撮影)
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************この度「非専門家 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 さらにY氏は、
和田さんの『宮沢賢治のヒドリ―本当の百姓になる』二〇〇八年ですね。…(投稿者略)…
そして、その観点からこの問題についてさらに深い掘削を、和田さんは最近まで続けてこられています。そのなかで私が非常に感心した論文が二〇一二年『詩界』誌に出た詩人論「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」 . . . 本文を読む
〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】
米田は、昭和2年の幾つかの賢治書簡を引いて、それぞれ次のようなことを述べていた。
まずは、昭和2年1月30日付伊藤清一宛書簡を引いて、
伊藤清一に、地元での農業講話の講師を引き受ける件をことわっている。「只今の仕事が学校や役所へ挑戦的でありますので……不遜の譏りを免れません」と。自分でも知っていたのだ、 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
鈴木 だからこそ和田氏はそのような標準語「ヒドリ」がないということを覚って、『宮沢賢治のヒドリ――本当の百姓になる』の19p~において、「1 ヒドリは方言ではない」という項をわざわざ立てて論じ、それは、
南部藩では公用語として使われていた。
〈『宮沢賢治のヒドリ――本当の百姓になる』( . . . 本文を読む
《1 ヒヨドリジョウゴ》(平成31年12月24日撮影)
《2 オモト》(平成31年12月24日撮影)
《3 サルトリイバラ》(平成31年12月24日撮影)
《4 シブガキ》(平成31年12月24日撮影)
《5 川舟》(平成31年12月24日撮影)
《6 》(平成31年12月24日撮影)
《7 》(平成31年12月24日撮影)
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〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】
次に米田は、大正15年12月12日付政次郎宛て書簡を引いているのだが、その解説文の中に
見合いも作業衣で通した(5)らしいが 〈駒沢女子大学「研究紀要」創刊号 平成六年十月、66p〉
があり、この(5)の註釈が、
伊藤チヱの姪の伊藤ツルさんによると、賢治はチヱとの見合いにも普段の . . . 本文を読む
先に〝匿名の方図書カードありがとうございます。〟で報告しましたように、匿名の方から大槌学園へご寄贈したいという図書カードをお預かりしましたので、過日、大槌町教育委員会 教育長宛でお届けしました。
すると昨日(12/24)、上掲のような文書が送られてきましたので、匿名で図書カードを寄贈された方へご報告申し上げ、改めて御礼申し上げます。
つきましては、以下のように、三度皆様方にも呼びかけをいた . . . 本文を読む
そして、解けた雪は水玉となって、
《1 》(平成31年12月24日撮影)
《2 》(平成31年12月24日撮影)
《3 》(平成31年12月24日撮影)
《4 》(平成31年12月24日撮影)
《5 》(平成31年12月24日撮影)
《6 》(平成31年12月24日撮影)
《7 》(平成31年12月24日撮影)
かくの如く光り輝いていた。
《8 》(平成31年12月24日撮影)
. . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
荒木 そして鳥の眼になれば、この「ヒドリ」も当然標準語のはずだということが容易にわかるのにな。
しかもそれに引き続いて、それに当て嵌まるような標準語の「ヒドリ」が存在しない、ということに俺でさえも気付くのだから、殆どの人はなおさら気付くだろうに。
鈴木 あれれ、荒木謙虚だな。でも、殆どの人はそう判断するだろう。
. . . 本文を読む
解けずに残っていた雪があった。
《1 》(平成31年12月24日撮影)
《2 》(平成31年12月24日撮影)
《3 》(平成31年12月24日撮影)
《4 》(平成31年12月24日撮影)
《5 》(平成31年12月24日撮影)
《6 》(平成31年12月24日撮影)
《7 》(平成31年12月24日撮影)
《8 》(平成31年12月24日撮影)
《9 》(平成31年12月24 . . . 本文を読む
《1 》(平成31年12月24日撮影)
《2 》(平成31年12月24日撮影)
《3 》(平成31年12月24日撮影)
《4 》(平成31年12月24日撮影)
今まで羅須地人協会跡地の高台に、キカラスウリがあることに全く気付かずにいた。
やはり、現地に足を運ぶということがいかに大切かということを肌で感じた。そして、新しい発見ができるということも改めて納得できた。
そして、「銀河鉄道 . . . 本文を読む
《1 》(平成31年12月24日撮影)
《2 》(平成31年12月24日撮影)
《3 》(平成31年12月24日撮影)
《4 》(平成31年12月24日撮影)
《5 》(平成31年12月24日撮影)
《6 》(平成31年12月24日撮影)
《7 》(平成31年12月24日撮影)
今年最後の下根子桜訪問か、あるいはもう一回ぐらいは訪れることになるのか。
いずれ、本日の訪問で私は次 . . . 本文を読む