みちのくの山野草

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長野 宮下 清

2020-08-28 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、三度長野からの「追悼」を引く。
   長野 宮下 清 
はじめて先生を知つたのは今から六年前昭和十三年十一月上伊町農業高校の品評会当日「時局下の一農民として」の講演会であつた。東北人らしい重厚さ、ゆつたりした風貌 内に秘められた烈々の気魄があのしつかりした体躯につゝまれてゐた。その時の強い感銘が今日に至るまで自分を導いてゐる。爾来先生の著作、動靜について深い関心をもつて来た。はからずも今日訃音を知つて一瞬己が眼を疑つてみた。やがて厳かな事実を前に粛然として頭をたれた。
今日、日本の農村に先生の存在が如何に重要であるか、それが故に充分の静養もその暇を得ず、やむにやまれぬ活動から遂に今日の悲報となつたものと思はれる。
「正に先生は生きてゐる」伊那の地にも秋祭りの劇が青年たちによつて企てられゐるし、出征の人々を送る路のはたに「風の又三郎」の映画広告が無心に風にはためいてゐる。先生の貴い一生涯、身をもつて示された農民の道を今ぞしつかり継承しなくてはならぬ、著作をひらくと洌々として先生の声をきく様に思はれる。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)39p~〉

 さて先の〝長野 長針 功〟からは、「昭和十七年三月には当村翼賛壮年団の錬成会」に講師として長野に行っていたのであろうことが窺えるのだが、こちらの追悼からは、「昭和十二年十二月上旬」にも長野の伊那に行っていたであろうことが示唆される。前にも話題にしたように、『土に叫ぶ』によれば、甚次郎の農村啓蒙講演行脚の回数は「六年間百数十回に及ぶということだが、こうして遠く長野にも何回か行っていたということになるのか……。
 さて、ここで気になったことが「昭和十二年十二月上旬……「時局下に一農民として」の講演会」という記述だ。もしかすると、甚次郎がこのようなタイトルの講演をしたことを真壁は「時流に乗り、国策におもね」と揶揄したのだろうか。しかし、太平洋戦争が起こったのは1941年(昭和16年)であり、それ以前の昭和12年12月の講演であれば、まだ少なくとも太平洋戦争は起こっていなかったことになるから、「時流に乗り」とは言えないようだ。それとも日中戦争はそれこそ昭和12年12月に始まっているようだから、甚次郎は早速時流に乗ってこのタイトルの講演をしたのだろうか。しかしもそうだったとすれば、「国策におもね」とは言えないだろう。それは、もし「国策におもね」て早速昭和12年12月に「時局下に一農民として」の講演を甚次郎が行ったとすればそのものずばり、「国策」を担っていたということになり、「おもね」という表現にはならないであろうからである。
 そもそも、もし「おもね」というのであれば、昭和19年頃になると敗色濃厚だったから、あの人の講演「今日の心がまえ」における、
 私は「今日の心がまえ」という主題から非常に離れていたようであります。主題に少しも触れなかったではないか、と思っておいでの方もあるかも知れない。しかし 「雨ニモマケズ」の精神、この精神をもしわれわれが本当に身に附けることができたならば、これに越した今日の心がまえはないと私は思っています。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)31p〉
ならばまさに「おもね」と言えるかもしれないが、甚次郎の場合はそうとは言えまい。
 それは、西田良子が、
 「雨ニモマケズ」の中の「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という<忘己><無我>の精神や「慾ハナク」の言葉は戦時下の「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンと結びつけられて、訓話に利用されたりした。
           〈『宮澤賢治論』(西田良子著、桜楓社)166p〉
と言っているからなおさらにだ。
 つまり、真壁は賢治の作品はあまり勉強していると思えなかった。村塾の経営とその自給自足主義や農民劇は賢治の教えの実践とみられるが、しかし時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した。これは賢治には全く見られぬものであった」と甚次郎のことを揶揄しているわけだが、彼が初めてこう言ったのは、昭和49年の『北流』第八号(岩手県教育出版部)においてであり、昭和49年頃に昔のことを振り返って疾うに亡くなった甚次郎のことをこう揶揄するのであれば、賢治も戦意昂揚のために結構利用されていたということに言及せねばなかったのではなかろうか。しかし真壁がそのようなことを言っていたということを示す資料や証言を私は未だに見つけられずにいる。言い換えれば、甚次郎と賢治に対する真壁の評価の仕方はどうやら公平ではなかったということになるのではなかろうか……。

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の三部作から成る。
             
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