では今回からは、千葉 恭が『 四次元』(宮澤賢治友の会)の中にシリーズもので連載していた「宮澤先生を追ひて」を見てみたい。
まずはその第一回目の4号(昭和25年1・2月合併号)から見てみよう。次のような事柄がそこには書いてある。
現代社會の別の世界を求めてそこに生きて行くことが私の今の心であり實行であるのです。私が先生と知り合つたのは大正十三年秋、私がまだ十九歳の大人の世界に . . . 本文を読む
ホテル周辺の山野草報告の最終回である。
植物の名称決定については後程行いたい。
《1 》(平成22年7月11日撮影)
《2 》(平成22年7月11日撮影)
《3 》(平成22年7月11日撮影)
《4 》(平成22年7月11日撮影)
《5 》(平成22年7月11日撮影)
《6 》(平成22年7月11日撮影)
《7 》(平成22年7月11日撮影)
《8 》(平成22年7月11日 . . . 本文を読む
前回の続きである。
ある時、レコードをかけてもらつたことがあつて、しばらく黙つて聴いておつたが、途中で私が思わず”いやツ、そこがいいところだ”と言つてしまつた。賢治は大きな声で”こらツ”と、どなつた。全部聴き終わつてから後で、”人間の感情としては、よいところはよいと言うべきではあるが、全部を聴いてから批判すべきだ。途中でとやかく批判すべきではない。これはどういう場合でもそうなの . . . 本文を読む
平成22年10月27日、岩手の主な山々は真白になってしまっていたようだ。そのうちの夏油三山等の西根山については報告済みだが、その他の山々は当日には曇っていて見霽かすことが出来なかった。
ところが10月29日は快晴になったので、下根子桜から見える主な山々の雪化粧を眺めてみた。
《1 早池峰山》(平成22年10月29日撮影)
鶏頭山ははっきりと見えるが、
《2 中岳は何とか見え、早池峰の頂上は . . . 本文を読む
ホテルの周辺とはいえ、標高は高いし周りに他の建物はない森林の中である、そちこちに珍しい山野草がある。
なお植物の名称決定については後程行いたい。
《1 》(平成22年7月11日撮影)
《2 》(平成22年7月11日撮影)
《3 》(平成22年7月11日撮影)
《4 》(平成22年7月11日撮影)
《5 》(平成22年7月11日撮影)
《6 》(平成22年7月11日撮影)
《7 . . . 本文を読む
では今回は前回及び前々回に報告した講演後の質疑応答、『羅須地人協会時代の賢治(二)』(千葉 恭)から一部抜粋して報告してみたい。
問 賢治の農民指導の態度について。
答 一年生には二年生に教える気持ちで、又二年生には三年生に教える気持ちで接しなければならない。人間は余り偉くなつてはいけないということは、みんなと一緒に偉くなるということで、一人だけ偉くなつてはならないというだとい . . . 本文を読む
とうとう西根山も真っ白になってしまった。
《1 夏油三山雪化粧》(平成22年10月27日撮影)
左から、経塚山、駒ヶ岳、奥が牛形山である。
続きの
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”みちのくの山野草”のトップに戻る。 . . . 本文を読む
では引き続いてホテルの周辺の山野草の報告をしたい。
なお、その前にホテル「九寨天堂洲際大飯店」と九寨溝の位置関係を下図に示す。
《1 》
九寨溝とこのホテルとの間の距離は約20kmだという。
ホテルのすぐ前の林の周辺に咲いている山野草、結構多い。なお植物の同定については後程行ってみたい。
《2 》(平成22年7月11日撮影)
《3 》(平成22年7月11日撮影)
《 . . . 本文を読む
前回の続きである。
私は農事関係の指導面から賢治をみた場合、彼は科学的な農民の指導者であつたと感じています。これらのことはさつきの話にもありましたが、一つの例は、賢治が各町村の講演を頼まれたとき私も腰巾着としてお伴をしたことがありますが、彼は自分の知っている範囲のことは徹底的に教えてやろうという態度がうかがわれました。しかしそれは知識程度の低い百姓にとつては架空のことに . . . 本文を読む
では今回からは九寨溝に関しての報告を行いたい。
先ずは宿泊したホテル九寨天堂洲際大飯店及びその周辺の山野草の報告をする。
九寨天堂洲際大飯店(インターコンチネンタルリゾート九寨パラダイス)は成都から450km、九寨溝から20km、九寨溝黄龍空港から60kmのところに位置する全1072室の大型ホテルとのことである。
《1 九寨天堂洲際大飯店》(平成22年7月11日撮影)
《2 》(平成22 . . . 本文を読む
では今回は『イーハトーヴォ』復刊2号(宮沢賢治の会、Jan-55)を捲ってみよう。
ありました、冊子の中には千葉 恭が「羅須地人協会時代の賢治」というタイトルで行った講演(昭和29年12月21日の「賢治の会」例会における)の内容が綴られていて、次のようなことなどが記述されていた。
文学に関しては、私は何も知ることはありませんが、私が賢治と一緒に生活して参りましたのは私自身百姓 . . . 本文を読む
今回で闘鶏台山麓の高山植物などについての報告を終えたい。
植物の名称については後ほど調べてみたい。
《1 》(平成22年7月10日撮影)
《2 》(平成22年7月10日撮影)
《3 》(平成22年7月10日撮影)
《4 》(平成22年7月10日撮影)
《5 》(平成22年7月10日撮影)
《6 》(平成22年7月10日撮影)
《7 》(平成22年7月10日撮影)
《8 》(平 . . . 本文を読む
ついいままでず~っと、宮澤賢治は下根子桜(羅須地人協会時代)では「自炊独居生活」をしていたとばかり思っていた。ところが最近、羅須地人協会時代に半年間ほど賢治と一緒に生活していた千葉 恭(きょう)という人物がいることを知った。
早速、『宮沢賢治 語彙辞典』(原 子朗著、東京書籍)で千葉 恭を引いてみたのだが全く記載されていないようだ。
そこで、いままでは賢治学会の会員になるな . . . 本文を読む
引き続き闘鶏台山麓の高山植物などについて報告したい。
名称については後ほど報告したい。
《1 》(平成22年7月10日撮影)
《2 》(平成22年7月10日撮影)
《3 》(平成22年7月10日撮影)
《4 》(平成22年7月10日撮影)
《5 》(平成22年7月10日撮影)
《6 》(平成22年7月10日撮影)
《7 》(平成22年7月10日撮影)
《8 》(平成22年7月 . . . 本文を読む
10月23日に訪れた胡四王山の主に果実について報告したい。
《1 ヒメミカンソウ》(平成22年10月23日撮影)
《2 ヌマトラノオ》(平成22年10月23日撮影)
《3 〃 》(平成22年10月23日撮影)
《4 タコノアシ》(平成22年10月23日撮影)
《5 〃 》(平成22年10月23日撮影)
《6 アカバナ》(平成22年10月23日撮影)
《7 〃 》(平成22年10月2 . . . 本文を読む