『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)によれば
賢治の詩碑を中心とする農村の再建運動に執念を燃やしていた南城組合長照井又左ヱ衛門が照井謹二郎と計り昭和十四年三月三日より二泊三日、松田を講師にまねき南城振興共働村塾を開いている。地元の青年だけでなく、県内の各地から希望者が集まり、一一九名の多数にのぼる熱気溢れる会となっている。この短期村塾の実績について、組合長照井の文を一部掲載しておきたい . . . 本文を読む
相変わらず道は針葉樹林の中で、林縁などには
《1 アジュガ・ピラミダリス?》(平成21年7月3日撮影)
《2 〃 》(平成21年7月3日撮影)
《3 イチヤクソウの仲間》(平成21年7月3日撮影)
《4 相変わらず多いアルペンローゼ》(平成21年7月3日撮影)
やがて視野が開けてきて
《5 マッターホルンが見え出し》(平成21年7月3日撮影)
《6 瀟洒な山小屋》(平成21年7月3日 . . . 本文を読む
以前から、戦後の国定教科書に採用された賢治の詩「雨ニモマケズ」が『一日に玄米三合』と変更されていたということを聞いて気になっていた。
そこで、その教科書を見てみたくなったので岩手県立図書館に出かけ、実際見せてもらったならばたしかにそうであった。
その
【1 国定教科書「中等国語一」の扉】
【2 〃目次】
【3 『三 雨にもまけず』】
【4 〃の続き】
【5 同教科書の奥付】
. . . 本文を読む
リッフェルアルプを過ぎたので、次は麓のヴィンケルマッテン(Winkelmatten)を目指して下ることになる。その道沿いの花々の報告をしたい。
《1 ゲンティアナ・ニバリス?》(平成21年7月3日撮影)
《2 メランピルム・シルバティクム?》(平成21年7月3日撮影)
《3 ポリゴヌム・ビビパルム》(平成21年7月3日撮影)
《4 〃 》(平成21年7月3日撮影)
《5 アルペンローゼ . . . 本文を読む
ところで、田日土井はどこにあったのだろうか。
案内板によれば、次が
《1 周辺の地図》(平成21年10月27日撮影)
であり、『碑そばの大堰川の下流百メートルの「田日土井」から取水しました』とある。
ならば、次がその
《2 下流百メートル地点》(平成21年10月27日撮影)
である。したがってこの辺りに「田日土井」があったということになろう。
さて、このまま大堰川に沿 . . . 本文を読む
下山路は針葉樹の林の中となり、路沿いには
《1 ペディクラリス・ベルティキラタ?》(平成21年7月3日撮影)
《2 アルペンローゼ》(平成21年7月3日撮影)
これが先程現地の人から教えてもらった場所のものだろう。
《3 〃 》(平成21年7月3日撮影)
キンポウゲの中に
《4 ゲンチアナ・コキアナ?》(平成21年7月3日撮影)
《5 〃 》(平成21年7月3日撮影)
《6 ゲラニ . . . 本文を読む
傍にあった石塔群の中には、『渇水と座禅』の中に詠まれているような
《1 出羽三山の碑》(平成21年10月14日撮影)
や
《2 月三山等の碑》(平成21年10月14日撮影)
《3 〃 》(平成21年10月14日撮影)
もある。出羽三山とはもちろん羽黒山・湯殿山・月山の総称である。なお、”月三山”とはもちろん出羽三山のことであろう。
この事に関しては『岩手県民間信仰事典』によれば
. . . 本文を読む
間近にリッフェルアルプが見える。5分もすれば到着できるだろう。
《1 エリシムム・ケイリ》(平成21年7月3日撮影)
《2 〃 》(平成21年7月3日撮影)
《3 プリムラ・ファリノサ》(平成21年7月3日撮影)
《4 〃 》(平成21年7月3日撮影)
やっと到着したリッフェルアルプ、正確には標識に
《5 Obere Riffelalp》(平成21年7月3日撮影)
と示してある . . . 本文を読む
以前、松田甚次郎が
昭和二年三月盛岡高農を卒業して帰郷する喜びにひたつてゐる頃、毎日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝいた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々会ふ子供に与へていつた。
ということに触れたことがある。
聞くところによれば『ヒデリにケガチ(飢饉)なし』という言い伝えがあるそうだが . . . 本文を読む
暫く休んでいたこのシリーズを再開したい。
道を下るにつれてトウダイグサの仲間が目立ち始め、その色の鮮やかさが際立っていた。
《1 エウフォルビア・キパリスシアス》(平成21年7月3日撮影)
《2 〃 》(平成21年7月3日撮影)
《3 〃 》(平成21年7月3日撮影)
大きさや葉の形に変化が大きく、花弁のように見える苞葉は黄色の他に赤や橙色のものもあるのだそうだ。
そのトウダイグサ . . . 本文を読む
それこそこれからは新たに咲く花はないだろうが、10月25日、余りにも天が高かったので胡四王山に出掛けた。
胡四王山の麓には、今では珍しくなった
《1 稲架(はさ)》(平成21年10月25日撮影)
に刈り取った稲束が干してあった。ただし、花巻では「はさ」というよりは「はせ(はしぇ)」という。『はせさ稲掛げる』とはこの稲架に稲を掛けて天日干しをすることである。
《2 フシグロの果実》(平成21 . . . 本文を読む
胡四王山に今の時期新たに咲く花はないだろうが、どれくらい紅葉しているのだろうかと出掛けてみたならば、なんと新たに咲いている花に1種類だけだったが出会うことができた。
なお、※印をクリックすると補足へ移動できる。
《1 色着き始めた胡四王山》(平成21年10月22日撮影)
《2 紅葉》(平成21年10月22日撮影)
《3 〃 》(平成21年10月22日撮影)
《4 落ち葉》(平成21年1 . . . 本文を読む
真昼岳(その1)の続きである。
飛龍の滝を後にして斜面を登る。
《1 トチノキ》(平成21年10月19日撮影)
《2 キツネノボタン》(平成21年10月19日撮影)
《3 シオデ》(平成21年10月19日撮影)
《4 湿地》(平成21年10月19日撮影)
《5 アキノギンリョウソウ》(平成21年10月19日撮影)
《6 ナメコ》(平成21年10月19日撮影)
《7 ユキザサ》(平 . . . 本文を読む
去る10月19日に岩手・秋田県境にまたがる真昼岳に出掛けてみた。賢治の作品にはこの”真昼岳”は出ていないようだが、関係ないわけではないということを知ったからである。
というのは、
賢治は明治29年8月27日に生まれたわけだがその4日後の8月31日の午前5時、陸羽大地震が起きた。このとき母イチは夫が不在のため、赤子の賢治の上に身を伏せ、念仏を唱えて無事を祈ったという。
のだが、このとき . . . 本文を読む
裏山報告(10/17)(その1)の続きである。
裏山の頂上付近には、
《1 黄葉はしているが新芽もみせる低木》(平成21年10月17日撮影)
《2 風にそよぐススキの穂》(平成21年10月17日撮影)
《3 イナゴに似た昆虫、何者?》(平成21年10月17日撮影)
《4 花の終わったセンブリ》(平成21年10月17日撮影)
《5 枯れてしまったオケラ》(平成21年10月17日撮影) . . . 本文を読む