不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

沼澤治男の追悼

2020-10-24 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集発行、昭和55年11月)吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は沼澤治雄の追悼からである。彼はこんなことも述べていた。
 ㈤ 再び松田先生を渇仰する
 松田先生は当時、鳥越は元より、全国就中農村の全部が貧農で、疲弊困憊の極みにあったとき、少しでも農民の苦しみを救わんと、宮沢賢治先生を釈尊との仰ぎながらも、師を超えた御巳証(ごこしょう)のなかに、法理に帰依し、天命に従い、『弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて往生をばとぐるなりと信じて』の心境で、鳥越はもとより、近隣の村々を廻り、求められる儘に全国に信念を説き歩かれた末徹りたる大慈悲心を、ほんの少しばかり理解できるようになったことを、ありがたく思う昨今です。
             〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編)48p〉

 この「御巳証(ごこしょう)……の心境で」についてはどういう意味か私にはよくわからないが、この個所を除いた、
 松田先生は当時、鳥越は元より、全国就中農村の全部が貧農で、疲弊困憊の極みにあったとき、少しでも農民の苦しみを救わんと、宮沢賢治先生を釈尊との仰ぎながらも……鳥越はもとより、近隣の村々を廻り、求められる儘に全国に信念を説き歩かれた末徹りたる大慈悲心
については、確かにそうだったと言えるだろうことは、私にも結構わかる。
 それは、以前〝山形 早坂 昇〟において、早坂の次の謂、
 校服を脱ぎ棄て自ら歸農し小作人の立場に於て黙々として水涸と闘ひ自給肥料の増産に励みて農業経営の本質を物心両面より把握し、共働を唱へて農村の開発を叫ぶ自ら陣頭に立ち農民劇を演じてその人生觀を啓き説く所當らざくなく行う所ならざるなし。笈を負ひて先生の膝下に集る者日々に加はり 先生を聘じて教を乞ふ者年々増せり。東奔西走自ら火の玉となつて玉砕す。
を引いて、「簡潔にしてほぼ完璧な説明だと私には思えた」と述べたが、この「謂」とほぼ同じだからだ。 
 畢竟、
 農村の全部が貧農で、疲弊困憊の極みにあったとき、少しでも農民の苦しみを救わんと、鳥越はもとより、近隣の村々を廻り、求められる儘に全国に信念を説き歩いた松田甚次郎であった。
という評価はほぼ妥当であろう。逆の言い方をすれば、
 時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」松田甚次郎であったという断定は、誹りだと言われこそすれ、妥当な評価ではない。
ということに、言い換えれば、いわゆる「やっかみ」であったということを否定できなくなってきた。

 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《出版案内》
 この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

を出版しました。その目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。



 本書の購入を希望なさる方は、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
 なお、岩手県内の書店における店頭販売は10月10日頃から、アマゾンでの取り扱いは10月末頃からとなります。
            
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 物見山(10/18、アキグミ) | トップ | 物見山(10/18、ヤマナシと「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事