みちのくの山野草

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有馬頼寧の言

2020-11-01 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉

 大滝十二郎氏はそこでは、こんなことも述べていた。
 ところで、『土に叫ぶ』が上演された昭和十三年は、農民文学・農村演劇史上、ひとつの画期をなした年だった。時の農林大臣有馬頼寧の肝いりで「農民文学懇話会」が結成され、それをきっかけに――つい近年まで左翼的と危険視された、農民文学・農村演劇があらたな活気を帯びてくる。
 有馬は発会式の席上、次のように述べた。
「国家の発展から残されて疲弊してゆく農村は国家がこれを保護せねば駄目だと思ふ。農村に対立する都会、農民と対立する商工業者の関係を放任して、自由競争に委ねて置くならば、今日の農村はただ衰亡の道を辿る外ないのである。〈略〉然らば農民関係者以外の者に農民と農村を理解して貰ふのに何が最も力があるかといへば文学を措いて外にない」(「農民文学懇話会の発会に臨んで」、昭和十四年版『土の文学』所収、教材社)
 また、この席上有馬は、演劇にもふれて『土に叫ぶ』上演を激賞し、広く演劇活動をふくめ「農民文学は既成の国策に沿うことでなく、寧ろ今後真に農村を救ふ国策をたてる原動力となって欲しい」とも述べている。
             〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)340p〉
 一方、このことに関わって綱澤満昭氏は、
  Ⅴ 昭和恐慌期の農本主義
 世界経済の大恐慌の影響を受けた昭和初頭の日本農業は、激しい農業恐慌におそわわれた。昭和五年から七年にかけての破局的な農業危機の激化は、昭和一二年の日中戦争まで続くのである。この恐慌のなかで農民の窮乏が労働者との提携により社会主義の支持勢力となることは、資本主義にとって重大な危機を意味した。したがって労働運動に対する仮借なき弾圧に較べ、農業、農民に対しては種々の農村救済を用意し、その懐柔に尽力するのが時の権力の方向であった。その際の一つの有効な精神的機能を果たすのが農本主義であった。これから扱おうとする「農山村漁村経済更生計画」もその具体的表現の一つであった。
             〈『日本の農本主義』(綱澤満昭著、紀伊國屋新書)91p〉
と解説しており、私は成る程と納得させられた。
 立場は違えど、「疲弊してゆく農村」、 「恐慌のなかで農民の窮乏」とそれぞれ述べられており、いずれの立場にあっても、当時の農村は救済されねばならなかったということは当然のことだろう。たしかに、有馬は時の農林大臣として「懐柔」のためもあってこう語ったのかもしれないが、一方の松田甚次郎は窮乏していく農村の中にいてその惨状を目の当たりにしていたから、なんとかしてこれを救済したいと願って尽力したはずだ。よって、このような甚次郎のことを「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と貶すような人がいたということを私はつくづく残念に思う。甚次郞はそんな下心があってそうしたわけではない、ということはこの度の3冊の追悼集を読んでみて、容易に知ることができるからだ。
 たしかに、松田甚次郎は利用されたということは否めないかもしれないが、本人がそう望んでいたわけでもないことはほぼ自明だから、このことで先のように貶すのであれば、あの「雨ニモマケズ」も戦意昂揚に利用されたのだから、賢治はそう望んでいたはずがないとしても、同様に貶されなければならなくなる。

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