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みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

ということは「昭和13年~18年」においてか

2020-11-26 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)》

 さて、以前にも触れたように、
とか、
という評がある。
 そこで私は、「戦争協力者」として、はたまた「農本主義」ということだけで甚次郞独りだけが、「時流に乗り、国策におもね」たと誹られねばならないのか、という疑問を抱いた。そこで、それが考えられる時期はとりあえず昭和7~12年だからということで、前回までそのことについて『土に叫ぶ』等を用いて調べてきた。そしてその結論は、
 この当時の甚次郞は「国策におもね」ていたわけではないということを私は確信させられた。おのずから、甚次郞が「時流に乗り」と言える訳もない。まして、「そのことで虚名を流した」と誹られる謂われはなかろう。
というものであった。

 とすれば、昭和13年~18年の甚次郞がそうであったのだろうか。そこで、取りあえずこの「期間+α」の松田甚次郎の年譜を〝「松田甚次郎略年譜」〟から以下に抜き出してみよう。
昭和12年8月    実家の都合により村塾を一時閉鎖
昭和12年11月   村塾を辞し鳥越に帰る
昭和13年     肋膜炎と中耳炎で療養
昭和13年3月3日  日本協働奉仕団の活動開始
昭和13年5月18日  「土に叫ぶ」出版
昭和13年8月    「土に叫ぶ」が新国劇一座により上演
昭和13年11月13日 雨ニモマケズ詩碑に詣で、10年間の業績報告、「土に叫ぶ」を捧げる
昭和13年11月14日  六原青年道場見学
昭和13年11月15日  渋民・啄木の碑訪う
昭和14年1月10日  「土に叫ぶ館」落成
昭和14年2月     盛岡(弘前野砲第八連隊)にいた吉野新平を2週連続訪問
             (『月刊すばらしい山形(1991,12)』の中の「思い出」(吉野新平))
昭和14年3月7日   松田甚次郎編集「宮沢賢治名作選」出版
昭和14年3月22~24日 花巻町の南城振興共働村塾開塾にあたり訪花、指導
昭和14年5月27日  「土に叫ぶ館」焼失
昭和14年9月3日   「土に叫ぶ館」再建着工
昭和14年9月8日   賢治詩碑を訪ねる(塾生と東北旅行の折)(『拡がりゆく賢治宇宙』95p)
昭和14年11月7日  水沢にて「農村指導員講習会」の講師 
昭和14年12月3日  「土に叫ぶ館」再建
昭和14年12月22日  胆沢郡南都田小学校での講演会
    12月23日  来花して詩碑参拝、午後胆沢相去村青年団の講習会
昭和15年2月24~25日 塾生と共に花巻旅行
     2月24日  南城振興共働村塾第3回開塾の際の講師として来花
     2月25日     〃    にて「農村振興体験発表会」指導批評
     2月26日  花巻農学校にて全校生に対し講演、赤石小学校にても講演
昭和15年9月8日   南城振興共働村塾第4回講師
     9月9日  南城小学校作業耕地サイロにてインシレージ作製指導
           午後盛岡市外中野村字門男女青年団及び民に講演
     9月10日  平泉
昭和16年1月    「村塾建設の記」出版
昭和16年3月    「新しき生活の建設」山形放送局より全国放送
昭和16年8月    農村演劇講座開催
昭和16年9月28日  共働村塾10周年記念式挙行  
昭和17年3月    「野に起て」出版
昭和17年9月2日   盛岡農学校で講演(『私の賢治散歩(下巻)』(菊池忠二著)16p)
昭和17年9月21日  花巻賢治忌に出席(『修羅はよみがえった』(宮澤賢治記念会)304p)
昭和17年11月    朝鮮紀行
昭和17年12月15日 「続 土に叫ぶ」出版
昭和18年3月13日  宮澤家を弔問(岩手最上の会)(『拡がりゆく賢治宇宙』95p)
昭和18年7月8日→9日  雨乞祈願のため、八森権現に登り祈願、疲労甚だしく帰宅
昭和18年7月    中耳炎再発、急性心臓内膜炎併発、新庄町楠病院入院
昭和18年8月4日  午前9時逝去、享年35歳

 しかし一瞥してみて、そう誹られるとすればその可能性があるのは、せいぜい「昭和13年3月3日 日本協働奉仕団の活動開始」しか見つからないのだが。ついては、『土に叫ぶ』及び『續 土に叫ぶ』により、昭和13年~18年の甚次郞がはたしてどんな時流に乗り、国策におもねたのかを、次回から注意深く見てゆきたい。

<*1:投稿者註> 「斎藤の指摘」とは、斎藤たきちのつぎのような指摘のことである。 
 松田さんの思想と行動の軌跡としてのこされたものに『土に叫ぶ』その他の著作がある。そこには農民のひとりとして、農に立ちむかい、土を育て、村を耕すために全生命を賭して行動した情念のまぎれもない証言と記録があり、四十余年も過ぎた今も、読む人の心をして興奮して止まない刺激があるのは、そこに命が脈打っているからである。
             〈『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)170p~〉
のことである。

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