〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』〉
では、今回は「新国劇の舞台も大当たり」という項からであり、それはこう始まっていた。
『土に叫ぶ』の評判は高く、出版から三ヵ月もたたないうちに新国劇のとりあげるところとなり、八月三日から東京有楽座で華々しく上演された。島田正吾、辰巳柳太朗を主役に一ヵ月のロングラン、連日満員を続けた。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)145p〉たしかに、『土に叫ぶ』の出版は昭和13年5月23日だから、8月3日の上演となれば、「三ヵ月もたたないうち」となる。しかも、新国劇の舞台も大当たりだったと言えるようだ。それゆえ、同書がいかに多くの人々から歓迎されたかが窺える。そしてその及ぼすところも大だったということもだ。言い換えれば、松田甚次郎は「時流に乗り」というよりは、自らが「時流」を作ったと言えるのかもしれない。
それから、安藤はこんなエピソードも紹介していた。
公演にさきだって松田は、かつての同志間宮一に…投稿者略…舞台練習の期間中故、君も是非有楽座の舞台稽古に参加してくれないか、との連絡をしている。間宮は横浜から有楽座の楽屋に飛んで行った。
塾の閉鎖以来、二人の間には三年間の空白期間はあったものの、深い友情は流れあっていたのである。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)145p~〉塾の閉鎖以来、二人の間には三年間の空白期間はあったものの、深い友情は流れあっていたのである。
私はこのエピソードを知ってやはりな、と思うと同時に安堵した。それは、先に私は、
この間宮とは、甚次郞の片腕だった間宮のことだから、この「消息」の内容には基本的に嘘はなかろう。つまり、甚次郞は案外金銭に無頓着で、経済観念が乏しかったのだったということはほぼ間違いなかろう。
と述べたが、このことに改めて意を強くできたからだ。言い換えれば、間宮が甚次郞に関して語っている内容は基本的には信頼に足るのだ、と。続きへ。
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