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みちのくの山野草

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新潟 小川恭夫

2020-08-14 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は新潟からのものであり、小川恭夫が寄せた次のような追悼である。
  新潟 小川恭夫     
松田先生は我々百姓の味方としてよく農村を理解し、絶大の同情をもち、その指導者として実践者として崇敬の㐧一人者であつた。
著者や雑誌でヒントを得、数年心掛けて一昨年四月、最上村塾で御目にかゝり、直接実践振りに接し、種々の施設よりも、不撓の信念にふれて更生の方途を暗示され、永く師父とし 御鞭撻を乞ひ、帰郷早急自の補水開田工事に指導精神を活用し、又神饌田を創設し、氏神中心の農村建設に着手、本年三月、東京日本青年会館の最上の会に再び拝眉、百姓村長として自己研磨、御示教を欣び、近く御越し御指導を乞ひ度き所存の處、御不幸を仄聞、深く悲痛の極みと致し居る次第、せめて同志連繋の許遺志をそれぞれ生かすべく努力の上 御英魂慰めんものと誓ひ居ります。同志各位の御健斗を祈ると共に今後、村塾や後継者のこと案じられます。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)26p〉
 まず冒頭の「松田先生は我が百姓の味方としてよく農村を理解し、絶大の同情をもち、その指導者として実践者として崇敬の㐧一人者であつた」から、当時松田甚次郎がどれだけ「百姓」から崇敬されていたのかということを認識を新たにした。同時に、その後に続く「……更生の方途」の「更生」という用語に接し、やはりそういうことだったのか、という直感もした。

 例えば、綱澤満昭氏はその著書『日本の農本主義』の中で、次のようなことを述べていた。
 世界経済の大恐慌の影響を受けた昭和初頭の日本農業は、激しい農業恐慌におそわれた。昭和五年から七年にかけての破局的な農業危機の激化は、昭和一二年の日中戦争まで続くのである。この恐慌のなかで農民の窮乏が労働者との提携により社会主義の支持勢力となることは、資本主義にとって重大な危機を意味した。したがって労働運動に対する仮借なき弾圧に比べ、農業、農民に対して種々の農村救済策を用意し、その懐柔に尽力するのが時の権力の方向であった。その際の一つの有効な精神的機能を果たすのが農本主義であった。これから扱おうとする「農山漁村経済更生計画」もその具体的表現の一つであった。
             〈『日本の農本主義』(綱澤満昭著、紀伊國屋新書)91p〉
 おそらく、前掲の「更生」は、この「農山漁村経済更生計画」の「更生」に当たるのだ、と直感したのだった。

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