みちのくの山野草

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『日本国民高等学校』の帰結

2021-01-15 20:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『農本主義と天皇制』(綱澤 満昭著、イザラ書房)〉

 そこで、『農本主義と天皇制』をもう少し読み続けてみよう。綱澤氏は、こんなことも主張していた。
 加藤は一切の虚無的、厭世的、逃避的思想を否定し、堂々と勇敢に真正面から人生を肯定していく積極的姿勢を示し、農民教育の一般教育への普遍化をねらった。それがたまたま大正期に展開した新教育運動と奇妙なかたちで結びつくことになったのである。学校教育のもつ知育偏重、つめこみ主義、受動的学習に対して、強い反発を示しながら、カリキュラム無視、自然のなかにおける自動(ママ)教育、労働重視の教育をかかげながら、玉川学園や自由学園が誕生したのはこの時期である。
             〈『農本主義と天皇制』(綱澤 満昭著、イザラ書房)121p〉
 そうか、時期的には「国民高等学校」も「玉川学園」も「自由学園」の同じ流れの中で同時期に生まれたのか。そして、それが「学校教育のもつ知育偏重、つめこみ主義、受動的学習」を乗り越えようとしたものであれば、それは至極妥当なことだ、と私は思った。そして、おのずから、次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授けとは縁遠いものであったのではなかろうか、とも思えた。
 ところが、綱澤氏は続けて、
 加藤の場合、全人教育とは教師の一方的指導であり、知育偏重是正の教育とは、前述した教科課程をみてもわかるとおり、厳しく苦しい労働のみが重視され、精神訓話に終始することであった。
             〈同〉
と述べており、「国民高等学校」の教育は、やはりこれもまた偏重したものであったということを示唆している。それゆえ、どのような事態に陥ったかということを、綱澤氏はこう述べていた。
 ともかく加藤自身は、この農民教育観によって己を鍛錬し、人生問題の煩悶をうち破り、確たる人生を体現したであろう。しかし犠牲者はほかならぬ生徒であった。
             〈同〉
 それはどういうことかというと、綱澤氏はある生徒の質問、
「先生(加藤完治のこと)のお話は能く分かりましたけれども、私は小作人の子供でありまして、耕す土地もありませぬ。家から資金を貰うことも出来ませぬ。私は農業が出来ないのではない、腕もあるし、何とかしてやりたい。先生のお話を聞いて茲に農業をやりたくなったけれども、何処でやるのですか。」
             〈同122p〉
を引き、次にこう断定していた。
 満蒙移民は農民教育の延長であるという、くるしまぎれの発想がここから生まれ、彼の農民教育の帰結は満蒙開拓となってゆく。日本国民高等学校が内原訓練所にかわるのは、もはや時間の問題であった。
             〈同〉
 私は、国民高等学校や内原訓練所についてはそれぞれある程度は知っていたが、このような理由で前者が後者に変わっていったのだ、という経緯をこの度『農本主義と天皇制』によって初めて知ったし、成る程と納得もした。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。







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