《創られた賢治から愛すべき賢治に》M著『宮澤賢治』の装幀は深沢紅子だった
思わぬことに気付いた。それは、Mと深沢紅子は直接的な知り合いであったであろうということにである。というのは、たまたま必要があってM著『宮澤賢治』(小学館、昭和18年)をひもといていたならば、同書の「装幀・繪」が深澤紅子
となっていたからである。
実際それを見てみると、
【表紙と見返し】
【口絵】
【このような挿絵】 . . . 本文を読む
この7月28日、北上の国見山に行ってみた。ルートは
憩いの森→亀の子岩→珊瑚岳→国見山→平和観音→展望台→国見山神社→車道→憩いの森
という、周回コースである。
《1 「憩いの森」登山口にはヤマユリが多いが植栽したものが多そう》(平成26年7月28日撮影)
《2 オオバギボウシ》(平成26年7月28日撮影)
《3 アオヤギソウ》(平成26年7月28日撮影)
《4 〃 》(平成26 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》賢治と求道者
高橋康彦氏が次のような冷静で客観的な賢治評を述べていた。
私には、持続性のない善意というのは、どうみてもまやかしであり、尊大さであり、人を食いものにするものとしか考えられない。瞬間的な善行は、かけがえのない同情ではあっても何の救済力にもなりはしない。点が線になって永続していく精神行為こそが求道なのであって、いたずらに求道者賢治と称することはかえっ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》現時点での結論
さて、ここままで賢治の「東北砕石工場技師時代」のことを調べてきて特に思うことは、やはりこの昭和6年9月の上京と昭和3年6月の上京とはその構図が酷似しているということである。賢治はどうも物事を長続きできないという性向があり、熱しやすいがその分逆に冷めやすく、いともたやすく物事を諦める傾向がある。その典型が農繁期に行ってしまった昭和3年6月の「伊豆大 . . . 本文を読む
先に“花巻の自生コオニユリなど”で投稿した際のものと同じものと思われる
《1 タチアザミに似た不詳のアザミ》(平成26年7月26日撮影)
《2 》(平成26年7月26日撮影)
《3 》(平成26年7月26日撮影)
《4 》(平成26年7月26日撮影)
《5 モミジガサ》(平成26年7月26日撮影)
《6 ヤマニガナ》(平成26年7月26日撮影)
《7 オオハンゴンソウ》(平成26年 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》改竄、捏造、不正
この7月27日の「NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層」を観た。一部のマスコミはその番組内容は“強気姿勢”だとしていたが、私から見れば冷静で客観的な報道姿勢であり、至極真っ当な報道であるとしか思えなかった。
その中で私が新たに知ったことで特に驚いた点は次の2つである。
(1) 大阪大学などの複数の大学教授が小保方晴子の論文を分 . . . 本文を読む
花巻の自生のコオニユリを見に行った。
《1 コオニユリが咲き始めていた》(平成26年7月26日撮影)
《2 》(平成26年7月26日撮影)
《3 》(平成26年7月26日撮影)
《4 》(平成26年7月26日撮影)
さて、そばには
《5 タチアザミに似たこんなアザミ》(平成26年7月26日撮影)
《6 》(平成26年7月26日撮影)
がある。なお、これと全く同じと思われるものが . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》検証も裏付けも取らずに典拠も明示せず
そもそも、件のがかくのごとくにまでも巷間拡がってしまったその主な原因は
Mの「昭和六年七月七日の日記」
であり、
Gの「やさしい悪魔」
であり、それを全国的にあまねく広めてしまったのが
『校本宮澤賢治全集第十四巻』の「補遺」
であると、私が今まで調べてみた限りでは言わざるを得ない。そして強く抗議したい。
なぜな . . . 本文を読む
先に、
この植物はおそらくカエデドコロかキクバドコロだろう。
そしてその違いは「葉柄の基部に1対の小突起」があるかないかなのだそうだ。ちなみに、
それがあれば=カエデドコロ
それがなければ=キクバドコロ
ということを知った。ので、この7月26日、その観察に行ったところ以下のとおりだった。、
《1 》(平成26年7月26日撮影)
《2 》(平成26年7月26日撮影)
《3 葉柄の基 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》賢治は昭和2年半ば頃から露を拒絶し出したというが
そもそも、賢治は昭和2年の半ば頃からは露のことを拒絶し出したと巷間いわれているようだが、どうもおかしい。それは、それ以降でも拾い上げてみれば思いつくだけでも
(1) 昭和4年露宛のものだとされている多くの書簡下書の存在
(2) 昭和5年とされる10月4日と6日の露にまつわるいざこざ
(3) 昭和6年10月24日付 . . . 本文を読む
この7月24日に訪れた胡四王山の残りの報告である。
《1 ヤマブドウよりも葉が小さいのでエビヅルかな》(平成26年7月24日撮影)
《2 ノブドウ》(平成26年7月24日撮影)
《3 シオデ》(平成26年7月24日撮影)
《4 〃 》(平成26年7月24日撮影)
《5 ガガイモ》(平成26年7月24日撮影)
次が、先に真昼岳で出会った例のつる性の植物と
《6 そっくりな葉のつる性植 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》「女訓導」とは高瀬露のこと
では最後に残った第四連の「女訓導」とは誰がモデルか。それは、
〔さき立つ名誉村長は〕は当時寶閑小学校でしばしば行われていた農事講演会における4人の講演者のことを詠ったものである。という私の判断がもし正しかったとするならば直ぐに思い浮かぶのは高瀬露である。
そこで実際に大正13年~昭和3年頃の寶閑小学校の職員名簿を確認してみると、当 . . . 本文を読む
この7月24日暫くぶりに訪れた胡四王山の今である。
《1 ノアザミ》(平成26年7日24日撮影)
《2 さてタチアザミに似たこれは何アザミ?》(平成26年7日24日撮影)
《3 これはハルジオンではなくてヒメジョンだった》(平成26年7日24日撮影)
《4 ユウガギク》(平成26年7日24日撮影)
《5 ヒヨドリバナ》(平成26年7日24日撮影)
《6 セイヨウノコギリソウ》(平成 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》〔さき立つ名誉村長は〕
先の“露の教え子と“ポラーノの広場のうた””において述べたように、まだまだ私は高瀬露に関する証言や資料を調べ尽くしていないことを覚った。
そこで露に関して私が改めに気になり出したのが『文語詩稿 五十篇』の中の詩〔さき立つ名誉村長は〕であり、それは
さき立つ名誉村長は、 寒煙毒をふくめるを、
豪気によりて受けつけず。 . . . 本文を読む
暫くぶりに胡四王山を訪ねた。
《1 クルマユリ》(平成26年7日24日撮影)
《2 》(平成26年7月24日撮影)
胡四王山は今、クルマユリが花盛りだ。
そして
《3 ヤマユリ》(平成26年7日24日撮影)
《4 》(平成26年7月24日撮影)
も。
《5 アオヤギソウ》(平成26年7月24日撮影)
《6 ノギラン》(平成26年7月24日撮影)
《7 ヒメヤブラン》(平成26年7月 . . . 本文を読む