<1.↑『宮沢賢治Annual Vol.10』(宮沢賢治学会イーハトーブセンター)>
昭和2・3年の気象を知りたくてひもといていたのがこのブログの先頭に掲げた年報『宮沢賢治 Annual Vol.10』であったが、知りたい情報がそこにあったことを喜んでひとまず目を通した後、さらに頁を捲っていたならばここにもあのゴシップ〝賢治面会謝絶事件〟に関連する記 . . . 本文を読む
《1↑表5 宮沢賢治の施肥表の写し》
1.論文「宮沢賢治の土性調査に続く人びと」より
〔あすこの田はねえ〕や「稲作挿話」について考えていた際にその年の気象が気になった。そこで、それぞれが詠まれた昭和2年、発表された同3年の気象を知る必要があると思っていた。
そのための資料を探していたならば次のような関連記事が『宮沢賢治Anuual Vol.10』にあった。具体的には、同著に掲載されている千葉明 . . . 本文を読む
《『ヤマセと冷害』(ト蔵建治著、成山堂書店)》 この度このブログの先頭に掲げたような本『ヤマセと冷害』を読んでみて、やはり
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
…(略)…
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
の部分は次のように理解するしかないのだろうと認識した。
実は賢治は、
・旱魃の被害で稲が不作の時に〝ナミダヲナガシ〟た
ことはあっても . . . 本文を読む
大正15年12月2日の賢治上京の際の見送りに関して〝新事実?〟の報告をする。
それは、大正15年12月2日に上京する賢治を花巻駅で
見送ったのは澤里武治ただ一人だったわけではなくて柳原昌悦も一緒だった。
ということがほぼ明らかだ、ということである。
昨日(平成23年11月26日)、実証的研究を大切になさっている宮澤賢治研究家C氏のご自宅を私は訪問した。その際にこの賢治7回目の上京の際 . . . 本文を読む
《『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』(重松・澤口・小松共著、新潮社)》
前回は、 この度の東日本大震災にあたって
賢治の他のことばも人々に元気を与えるのではないかと
という想いで執筆したという本田有明氏の著書『宮沢賢治のことば』について少し触れた。
それからは、それが実際には現地の被災者にどれだけの励ましとなり、どんな勇気を与えたのだろうかなどということに想いを巡らしていた。そんなところ . . . 本文を読む
今回のボランティアは陸前高田であった。陸前高田でのそれは初めてである。
その被災については多くのメディアで報道されているから理解していたつもりであったが、現地に行ってみると本当に壊滅状態であったということをまざまざと見せつけられた。かつて知ったる賑わいを見せていたあの高田の街並みの形跡は見渡す限りどこにも何もない。〝何もない〟というその言葉が、私がその一帯の写真を撮ることを拒絶していた。
亡 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治のことば』(本田有明著、サンマーク出版)》
ある方からこのブログの先頭に掲げたような『宮沢賢治のことば』(本田有明著)という本を勧められた。
その著書の「はじめに」には次のようなことが述べられていた。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテイル
有名な「雨ニモマケズ」の . . . 本文を読む
以前投稿したことであるが、10日ほど前に「ぎんどろ公園」を訪ねた。その時点ではぎんどろはあまり色付いてはいなかった。今日たまたまこの公園の傍にある「花巻市立図書館」に所用があったので、そこからの帰りにまた又立ち寄ってみた。
《1 ぎんどろ》(平成23年11月22日撮影)
《2 ぐるっと廻ってみる》(平成23年11月22日撮影)
《3 〃 》(平成23年11月22日撮影)
《4 見上げる》 . . . 本文を読む
さて前々回の最後に、まだ気になることがいくらか残っていると言って4項目ほど挙げたのだが。そのうちの2つは前回検討してみたので、残りの2つ
(1) このような対策を講じろと指導した対象の水稲の品種は何だったのだろうか。
(4) 今月末にあの稲が/君の胸より延びたらねえ/ちゃうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ/葉尖を刈ってしまふんだと詠んでいることから、この少年の身長はかなり低かったのであろう . . . 本文を読む
さて前回の最後に、まだ気になることがいくらか残っていると述べた中の次の2つ
(2) 燐酸がまだ残つてゐない? の意味は何なのだろうか。
(3) 硫安だつてきみが自分で播いたらうと詠んだ「硫安」の肥効は何かということ。についてここでは少しく述べてみたい。
そのためにはまず「燐酸」の肥効を知ることが必要だと思ったので、知り合いの農家の方にそのことを聞いてみたところ次のようなことであった。
「燐 . . . 本文を読む
冬講習に来た少年
もう一度「稲作挿話」を見てみよう。
稲作挿話(未定稿)
あすこの田はねえ
あの種類では
窒素が余り多過ぎるから
もうきつぱりと灌水を切つてね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔を走つて来て
青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残つてゐない?
みんな使つた?
それではもし . . . 本文を読む
「稲作挿話」における推敲の不安と危惧
真壁仁の研究メモ「農業者としての宮澤さん」に次のようなことが書いてあった。
「稲作挿話」といふ詩は農業指導者としての宮澤さんの優れた風格と技術とを吾々、にはつきりと示したいゝ詩である。一人の少年が自分でやった肥料が窒素過多に陥入って困てゐる。肥料は原則としてそれぞれの肥効の異ふ窒素燐酸加里の三要素を、適當の(といふのは土性土質地力に應じて異る)比率で施すの . . . 本文を読む
この時期になると下根子桜の羅須地人協会跡地の北側の杉林は、林床の多くの草も枯れてしまうので林の中に入りやすくなる。
そこでこの頃気になっていた河童沢をその杉林の中に入っていって眺めてみた。
《1 河童沢》(平成23年11月18日撮影)
下流方向に沢に沿って進む。
《2 河童沢》(平成23年11月18日撮影)
樹間からの
《3 羅須地人協会跡地》(平成23年11月18日撮影)
《4 杉林》 . . . 本文を読む
貧しい農民の智慧・持続可能な農業
前々回〝賢治の肥料設計について少し(その4)〟において、私は
では高価な金肥を使えない小作農はどのように対処していたのだろうか。
という疑問を持ったのだが、そのことについて考えてみたい。
増子義久氏が興味深い次のようエピソードをを『賢治の時代』に載せていた。
今も賢治を知らない農民たち
「なんじょだべす(どうでしょうか)。田植えする前にハダスで田んぼに . . . 本文を読む
陸羽132号の弱点ありや
前々回〝賢治の肥料設計について少し(その3)〟において
でもこれだけでは迫り方が不十分、あるものごとが〝いいことずくめ〟であるはずがないことは世の倣い、真実に迫るにはもう少し批判的な視点も必要かな…。
と呟いた。
そこでここは少し批判的な視点からも考察しなければいけないと判断し、いくつかの資料を漁っていたならば吉田司氏が次のようなことを言っていることを知った。
し . . . 本文を読む