みちのくの山野草

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加藤完治の責任は?

2020-11-07 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《畑から帰る加藤完治、昭和42年82歳(『満蒙開拓青少年義勇軍』(上笙一郎著、中公新書)より)》

 上笙一郎は、『満蒙開拓青少年義勇軍』(中公新書)において、加藤完治に関しておおよそ次のようなことを述べている。
 昭和20年8月15日の正午、満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の訓練生及び職員全員は大食堂に集まって玉音放送を聴いたが、その放送が無条件降伏を告げるものだと判ると加藤完治は所長室へ戻りそのまま号泣していたという。
 周りの人々はこの敗戦を受けて加藤は自決するのではなかろうかと思った。なぜなら、熱烈な天皇制農本主義者であり、大東亜戦争の遂行こそ天皇の御心に副うことであると信じて農民や訓練生たちを叱咤激励して来た加藤にすれば、天皇及び彼らに対する責任から当然自決するだろうと思うのが常識だったからだ。
 しかし、加藤は自決などしなかったし、一方では戦犯として捕らえられるかもしれないという噂も飛び交ったがそれも免れた。とはいえ、戦争協力者としての公職追放処分を逃れることはできなかったし、滔々と流れ始めた民主主義の風潮の下、ジャーナリズムにより加藤は痛烈に批判・論難を浴びた。
 そこで加藤はなるべく風当たりを少なくしている他に道はなく、敗戦後もなお彼を慕う幹部訓練所の訓練生60名を引きつれて福島県の荒蕪地に入植し、そこで一緒になってひっそりと鍬を振るい始めたのである。
 ところが一転、昭和25年の朝鮮戦争を契機として日本はそれまでの流れを否定するような政策を採り始め、戦争協力者の公職追放も解除した。そこで加藤はそれまでの逼塞生活を取り止めて再び公に活躍するようになっていった。日本国民高等学校(実際には日本高等国民学校と名称を替えていたが)の校長に復職したり、旧満州開拓関係のあらゆる団体や組織の枢要な役職に就いたり、はたまた、様々な会合や講演に招かれて昔ながらの熱弁を振るった。そして茨城県に国際農業研修所が設けられると、別に所長がいたにもかかわらずその実質的な所長としても活躍したという。
 そして昭和35年1月には、喜寿の祝いを農業および満州開拓関係者たちの手で大々的に挙げてもらい、さらに昭和40年4月には、天皇主催の皇居園遊会に農林業功績者として招待されるに至ったのであった。

 翻って、満蒙開拓青少年義勇軍として年端も行かない数え年16~19歳の少年計86,530名を送り込んで中国農民を苦しめさせ、その青少年義勇軍約24,200人を死に至らしめたという客観的事実に対して加藤完治は責任を取らなければなるまい。そしてもし彼が自らその責任を負わないのならば社会がその責任を追及しなくてはならない。
 しかしもはや加藤にその責任を負ってもらうことは出来ない。彼は、昭和44年3月肝臓癌によって亡くなってしまったからである。享年83歳であった。加藤完治は平然と戦後二十数年を生き続けたのである。(文責:投稿者)
と。
 そしてやはり思うことは、上笙一郎の、「満蒙開拓青少年義勇軍として年端も行かない数え年16~19歳の少年計86,530名を送り込んで中国農民を苦しめさせ、その青少年義勇軍約24,200人を死に至らしめたという客観的事実に対して加藤完治は責任を取らなければなるまい」という厳しい責任追及は当然だろうということだ。ちなみに、当時の満蒙開拓青少年義勇軍の写真を見てみれば、それはあどけない、幼気ない少年のそれだ。そしてそのような彼らがどのような辛酸を味わったのかということは、菅野正男の『土と戦ふ』を読めば容易に読みとれる、と私は思っている。そしてもちろんそこまでしなくとも、上笙一郎が述べている「その青少年義勇軍約24,200人を死に至らしめた」が事実であったとすれば、それは加藤の当然負わねばならない責めであろう。言い換えれば、少なくとも結果的には、「あどけない、幼気ない少年たちを加藤は言葉巧みに騙した」、と言われても仕方がないのではなかろうか。

 そして直感したことは、松田甚次郎が為したことは加藤完治のそれとは決定的に違っている、ということだ。

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