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みちのくの山野草

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「心の支えとして」渡部正一

2020-10-27 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集発行、昭和55年11月)吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、秋田の渡部正一が寄せた追悼「心の支えとして」からである。そこには、
 このように私の胸に焼きついた松田甚次郎先生 その出会いは昭和十年のお正月(旧暦)でした。隣りの今は亡き友人藤田儀一郎君から「新庄の隣りの鳥越で、農家の子弟に塾教育をやっている松田甚次郎という人を呼んで、私の方でお話を聞くことにしてあるから来てみないか。」と誘いを受け、私には全く名前も聞いたことのない人だったが、一晩聞きに行ったのが松田先生との出会いでした。…投稿者略…自分の取り組んでいる山岳立体農業の体験談から、塾教育のお話や野天での農村劇、農村の振興は斯くして、と二時間以上熱っぽい話しでした。この若い人のどこにこのような情熱が潜んでいるのかと最後まで私は魅せられたもののように立つこともできずに聴き入っていました。昭和の初期の農村の……農民の惨めさは話しても今の若い人方には分って貰えないと思うが、歌人石川啄木の歌に、「働けど働けど吾がくらし楽にならざり、じっと手を見る。」誠にこの歌の通りであった。私も家業である農業を継いで、ひたすら働いても働いてもどうにもならない農業、農民のくらしを見るにつけ、一体農村はどうなるであろうと暗い思いの毎日であったが、松田先生のお話を直に聞いて長い暗いトンネルの向こうにポッカリと明るさを見出したように、思わず、これだ!!と小躍りするような気持ちでした。
             〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編)86p〉
ということも述べられていた。
 そこで思い出すことは、松田甚次郎が初めて賢治に会った昭和2年3月8日その日に、「小作人たれ/農村劇をやれ」と「訓へ」られたことによって、そのとおりに甚次郞は実践したということだ。そして、この二人・賢治と甚次郞の構図と同じように、渡部正一も初めて甚次郞に会ったその時に魂が揺さぶられてその後、甚次郞の「訓へ」を実践したと言える(詳細は「心の支えとして」を御覧あれ)ことも知った。そこで、「この若い人のどこにこのような情熱が潜んでいるのかと最後まで私は魅せられたもののように立つこともできずに聴き入っていました」という証言から、賢治と同様に、実は甚次郞も強烈なオーラも持った人物であったのだろうことが示唆される。 
 そして、あと一つ気付いたことがある。それは、甚次郞に惹かれた人物の殆どは『土に叫ぶ』を読んだことがその切っ掛けだということを今迄の追悼集を読んで知ったのだが、それだけではなくて、この渡部のように(その本が出版された昭和13年よりも前の)昭和10年の時点で既に、甚次郞の話(講演)を聞いたことによって感銘を受け、甚次郞の後を追った人もいたのだということにだ。なぜならば、渡部は最上共働村塾に入って勉強したいと願って同年3月に出奔し、塾長松田と起居する生活を始めたと、「心の支えとして」の中で続けて語っているからである。
 どうやら、
   甚次郞は私が今迄思っていた以上に、人並みよりとても優れた人物だった。
ということになりそうだ。            

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