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デヴィッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』

2015年09月12日 23時21分34秒 | 映画
デヴィッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』を見た。
初めにこの映画に興味を持ったのは公開中のときで、「ゴーン・ガール」というタイトルと妻の失踪というあらすじから村上春樹的な物語を想像したのだが、見てみるとぜんぜん違った。
失踪する妻が、みんなが知っている「アメージング・エイミー」という本の主人公のモデルで、でも物語とは違って挫折ばかり経験してきたというあたりや、結婚するまでの微笑ましい物語で、とても引き込まれる。
前半非常に引き込まれるように出来ていて、真相が分かるあたりで「もうそろそろ終わりかな」と思ったらまだ半分で、そこからさらに盛り上げる。
かつて見たもので言えば、『氷の微笑』か。ニコール・キッドマンがお天気お姉さんをやった『誘う女』も似たような感じだったかもしれない。どちらもずっと昔に見ただけなのであまりよく覚えてはいない。
とてもおもしろい映画だったが、後味が少しばかり悪いので何度も見る気はしない。
が、デヴィッド・フィンチャーの作品はとても好きだ。
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有元葉子『この野菜にこの料理 大好きな素材を3倍おいしく』

2015年09月11日 22時16分42秒 | 文学
有元葉子『この野菜にこの料理 大好きな素材を3倍おいしく』(筑摩書房)を読んだ。
料理の本なのだが、買って、最初から最後まで通して読んだ。
作りたいと思った料理の頁に付箋を貼っていたらかなりたくさんの付箋がついてしまった。
あまり写真がなく料理本らしくない。どちらかといえば料理を題材にした随筆本のような佇まい。
料理本としては写真が少ないので作りにくいような気もするが、よく考えてみれば、料理を作るときに各工程の写真を見ているかと言えば、見てはいるがそれはべつになくてはならないものでもなく、最終的に出来上がる料理の写真は見るが、それも盛りつけの参考にするくらいで、ほんとうは一般的な料理本は写真が多すぎるのかもしれないなと思った。
「料理本はこのようなもの」という固定観念が、写真のたくさん入った料理本を作らせているのかもしれない。

シンプルな味付けの料理が多いと思った。
この前、小松菜の塩もみを作ったらおいしかったので、今度はブロッコリーを使った料理に挑戦したい。ブロッコリーもあまり自分では料理をしたことがない。
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豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

2015年09月07日 20時49分02秒 | 文学
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)を読んだ。
この本は、白井聡の『永続敗戦論』に出ていて興味を持ったのだと思う。
昭和天皇が戦後、共産主義を恐れてアメリカ軍の沖縄駐留を強く推したというような話はあまり聞いたことがない話だが、あっても不思議ではない。あまり考えたこともなかったが、昭和天皇にしたところでもちろん戦前から”人間”であったわけで、いきなり自分の立場が象徴だと言われても、象徴として振る舞えなかったのではないかと思う。そもそもそれまで日本で誰も象徴だったひとはいない。
政治に口を出すと言うようなこともあっただろうし、東条英機が気に食わない、または戦争を東条の責任にしておこうと思うというような人間的なところもあっただろう。
天皇というのはとても不思議な存在なのだということをあらためて思った。
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鹿島茂『NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセ』

2015年09月06日 21時38分41秒 | 文学
鹿島茂『NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセ』(NHK出版)を図書館で借りて読んだ。
いま放送中の「100分de名著」は太宰治の『斜陽』について高橋源一郎が語っている。一回目を見たがおもしろかったので次回も見るつもり。
パスカルの『パンセ』は興味はなかったので放送は見ていないのだが、いま新訳が出版中なので気になってこの本を借りて読んでみた。『パンセ』についての入門書、紹介本のようなものはあまりない。
大学のときに授業があったので一度読んだことはあるのだが、ぜんぜん覚えていない。前半はわかりやすく、後半はキリスト教の話なので日本人には難しい、と授業で教えられ、「たしかにその通り」と確かめるだけの読書だったと思う。
鹿島茂の本は『パンセ』と就職活動という切り口で、興味を持つには良い本だと思った。
人間はなにもしないと考えて生きるのが辛くなってしまうので、考えないためにさまざまな気晴らしが必要だ、ということを書いた本であるという印象が残った。
岩波文庫の新訳で、確認してみようかなと思う。
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有元葉子『ちゃんと食べてる?』

2015年09月06日 21時15分00秒 | 文学
有元葉子『ちゃんと食べてる?』(筑摩書房)を図書館で借りて読んだ。
料理研究家の著者のエッセイ集(コラム集)でレシピが少し載っている。
きちんとした生活をしている人がいるものだなと感心するが、ここまではできないなと思う。気に入った食べ物があると、それを作っているひとに会って、そのひとたちが素晴らしいひとであることを確認せずにはいられない、というようなことは私には出来ない。
パスタソースを自分で作るのは分かるが、ポン酢やマヨネーズを作る気にはならない。そこまでやるのなら醤油や味噌も塩も自分で作るべきじゃないかと思ってしまう。
出来るだけ自分でやる、という「出来るだけ」をどこまでとするかの違いなのだろう。
僕はミートソースは自分で作るが(といってもトマト缶やトマトジュースを使う)、マヨネーズは既製品を使う。

が、今日の晩ご飯に、このひとの『1回作れば3度おいしい作りおきレシピ』に載っていた「小松菜の塩もみのじゃこおろしあえ」を作ってみたら美味しくて見直した。
小松菜って独特のえぐみがあってあんまり好きじゃないのだが、それを感じず非常に美味しかった。また食べたい。
もちろん、塩は海塩でなく精製塩だし、ポン酢もミツカンのゆずぽんだったのだが、それでも美味しかった。
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料理研究家たち

2015年09月05日 23時52分36秒 | 文学
ちょっと気になり、有元葉子の『ちゃんと食べてる?』と『1回作れば3度おいしい作りおきレシピ』を図書館で借りる。エッセイ本『ちゃんと食べてる?』を半分くらい読んだ。
料理研究家といえば、飯島奈美の『LIFE』を持っていて料理を作ることがある。辰巳芳子の本も図書館で借りたことがある。作ったことはない。
飯島奈美と辰巳芳子と有元葉子を比べると、飯島奈美は分かりやすく、美味しく、作ることを目指しているように思う。
それに比べると、辰巳芳子と有元葉子はちょっと修行僧のような感じ。正しい道を歩んで、どんどん無駄なものを削ぎ落としていく感じがする。自分でポン酢とかマヨネーズとかジャムとか、そこまで作らなくてもいいのではないかと、思ってしまうんだよね。
だんだんそういうことをやり過ぎていくと、外で他の人と食事が出来なくなるし、ものを買って食べられなくなるし、コンビニに行けなくなるし、ファミレスで食事するとお腹をこわすことになる。
ほどほどに悪いものを気にせず食っていくということが、世間で生きていく上ではわりと重要、とくに普通の給与所得者として生きていくには重要、だったりすると思う。料理研究家ではないからなあ。
まあでも、ちょっとそういう修行の道も取り入れて、有元葉子のレシピ本を一冊くらい買ってもいいかなと思っている。
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クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』

2015年09月05日 01時17分08秒 | 映画
クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』を見た。
クリストファー・ノーランの映画はいつも少し長過ぎる。もう少し短く出来ないか、と思ってしまう。そう思いながら、映像を見ると見てみたくなってしまうのだ。
今回は、デヴィッド・フィンチャーの『ゴーン・ガール』と迷ってこっちを借りて見てみた。次回は『ゴーン・ガール』を見てみよう。

最初のほうは『フィールド・オブ・ドリームス』と『サイン』を思い出させる映画で、とくに『サイン』を感じさせ、あの映画みたいなあんなオチだったらいいなと思いながら見ていた。
しかしどちらかといえば楳図かずおの『漂流教室』だったかもしれない。
本棚の裏側の映像は、出てきたときは「やっちゃったな」と思った。
長い映画で、いろんな映画を思い出させ(少なくとも五本は思い出す)、そのすべてをいっぺんに見たような疲労感がある。
二度と見る気はしないが、一度は見ておいてもいい映画、かもしれない。
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フローベール『感情教育(下)』

2015年09月04日 21時01分16秒 | 文学
フローベール『感情教育(下)』(古典新訳文庫)を読んだ。
最後までこの小説のおもしろさがわからなかった。
フランスの大きな歴史の動きのなかで、フレデリックたち登場人物がどういうふうに過ごしたか、を書いている本だと思う。
分かりやすく言えば、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』で坂本龍馬や土方歳三ではなく、七里研之助とかの架空の人物が主人公を務めるという感じの話なのだと思う。
フランスの歴史に詳しくなくてあまり興味がないのがおもしろくない原因かもしれない。
いろいろなことが起きて、最後は駆け込みでばたばたと人が死んだ印象。
フレデリックはいったいだれが好きだったのかよくわからない。誰も好きじゃなかったんじゃないかな。アルヌー(夫人ではなく夫のほう)がいちばん好きだったんじゃなかろうか。
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