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加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』感想

2011年04月17日 00時05分45秒 | 文学
加藤典洋『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』(岩波書店)を図書館で借りて読んだ。
加藤典洋の『敗戦後論』は発表されたときに評判になって、僕も読んだのだけれど正直言うとピンと来なかった。今回この、『敗戦後論』以降に発表された論文を集めた本を読んで、あのときよりはよく理解できたように感じる。
もっともおもしろいと思ったのは「戦後を戦後以後、考える――ノン・モラルからの出発とは何か」で、若い世代が社会とのつながりをどのように感じたらよいのか、その感じ方がわかっていないのではないかということについての論文だ。大きな社会問題には関心を持つけれど、身近な問題にはあまり関心がない若者について、
≪その時僕が感じたのは、いまの学生が社会的な関心をもつことへの、ただならない「難しさ」というようなことです。僕は、強いクスリにしか反応しない抗薬物性の身体がここにある、と感じました。≫(35頁)
≪でも、なぜこうなってしまうのでしょうか。それは、彼らが社会的なことがらと通常のつながりをもてないでいるからです。いわば「ただの社会的なこと」だけでは関係を作れないくらい、彼らの内部の社会性の基部は弱くなっている。そのため誰か可哀想なひとがいるのを見て助けたいと思っても、偽善者だと思われるのを怖れて行動を起こせない。神戸の大震災くらい大きな「不幸」が現れて、やっとはじめて社会的な行動を起こせる。≫(36頁)
これはほんとうに僕らの世代の大きな問題であるのだろうな、といま大きな「不幸」が現れている時期であるだけに余計に強く思った。僕らはたぶん前の世代が感じていたらしい社会とのつながりの感覚というものをおそらく持てていない。
もうひとつ、「シューティング・スポット」の話もおもしろかった。
待ち合わせをしているときに、待ち合わせのその場所(たとえばハチ公前)ではなく、その場所が見える場所にいて、相手が来るのを待つということがある。その、待ち合わせ場所を見ている場所を「シューティング・スポット(狙撃地点)」と言うらしい。
≪ものを考える上で大切なのは、むしろ自分を狙撃される位置、ハチ公の位置に立たせることだ。そうでないと、その「考えること」は、結局その人自身の身にならないだろう――。≫(48頁)
これは、ほんとうに、ほんとうに、その通りだろうな、と深く反省した。

この論文に感銘を受けすぎて、そのほかの、憲法九条の話も『ゴジラ』の話も『千と千尋の神隠し』の話も、おもしろかったのだけれど、そこまでの衝撃はなかった。久しぶりに読んだ加藤典洋はやっぱりすごかった。
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