ダブログ宣言!

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☆もういやだー

2007年09月20日 23時59分53秒 | 文学
何で書いて「投稿」ボタンを押したらログインになって、書いてたことが消えるんだ!
もういやだ。

今日は「二人静」とか読んで、「アメトーーーーーーク」でジュンスカの復活を見た。
米米CLUB、あみんに続き復活ブーム。
そろそろチャゲアスも復活してダブル浅野のドラマの主題歌を歌ったらいいと思う。

「アメトーーク」は他の番組でやらないことをやるのでおもしろい。
テレビでは同じことをやりすぎだ。
もう所ジョージの沖縄の家とシブがき隊のフックンの自宅の間取りは頭に焼きついたので、見たくないです。
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☆橋本治「宗教なんかこわくない!」と「井筒」「鵺」

2007年09月19日 23時51分51秒 | 文学
宗教なんかこわくない!橋本治の「宗教なんかこわくない!」(ちくま文庫)を図書館で借りて読む。
オウム真理教のことを懐かしく読む。(かつての信者というわけではありません。)
僕が大学生だった当時、ワイドショーで連日のように報道されていて、「ああ言えば上祐」とかいまだに、たまに使ってしまうくらい強い印象を受けた。
この本はオウム真理教のことが結構詳しく書かれていて、そんなことあったな、とか、ああそうだったんだ、という感じだが、それだけではなく、仏教についても詳しく書かれていて、ブッダは「自分のことは自分で考えていいよ」って言った人だったんだということがわかる。
仏教そのもののイメージが覆された。
大乗仏教と小乗仏教では大乗仏教のほうがえらいのだろうと考えていたけれど(「大きいことはいいことだ」by 山本直純)、橋本治によると小乗仏教のほうが評価が高い。
自分の頭で考えない人を橋本治はひどく嫌っているのだな、ということがよくわかる。

白洲正子の現代語訳で能の「井筒」「鵺(ぬえ)」を読む。
初めての能体験。
どちらもこの世のものでないものが、僧を訪ねてきて話を聞いてもらう。能というのは弔いの話なんだなということがよくわかる。なかなか面白い。実際に能舞台を見たら退屈するのだろうが、物語はたいへん興味を惹かれる。
「井筒」で、紀有常の娘が舞いながら在原業平に変身する場面は、いい場面なんだろうな、と想像した。
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☆秘すれば花

2007年09月18日 00時03分54秒 | 文学
NHK-BS2で金曜日の深夜に放送している「昭和演劇大全集」という番組がある。最初に女優の高泉淳子と演劇評論家の渡辺保の解説、そのあとに舞台を放送するという、半径500メートル以内では誰も見ていないだろう番組なのだが、その番組を先々週と先週録画して(先々週は三島由紀夫「近代能楽集」、先週は山崎正和「世阿弥」)、最初の解説部分だけ両方見て、渡辺保の話を聞いていたらなんだか能について興味を持ってしまった。
能のことなんか全く知らないので手始めに白洲正子の本を読んでいる。
僕には、いままで読んだことはないけれど素敵な日本語で随筆を書いてらっしゃるに違いないとにらんでいるオバサンが3人いて、その3人とは白洲正子と幸田文と武田百合子なのだが、そのひとり白洲正子の本をはじめて読む。なので、いままで読んだことはないけれど素敵な日本語で随筆を書いてらっしゃるに違いないとにらんでいるオバサンは2人になってしまった。
新潮社の白洲正子全集の3巻目を借りてきて読んでいる。
「心に残る人々」という人物伝、人物評、のようなエッセイがあり、小林秀雄、正宗白鳥、吉田茂のところを読む。ほかのひとは聞いたことのない人がほとんどなので読まない。小林秀雄がそんなにうまくないゴルフをしているのがおもしろかった。お酒を飲んでカラマーゾフの話をするのもおもしろいと思った。正宗白鳥は小林秀雄との対談を読んだときも思ったが、かなりいいひとだ。
「能面」という、能面の写真とそれについての白洲正子による解説の本も収録されていて読もうかなと読み出したのだが、全く詳しくないのにかなり詳しい能の話をされそうで、やばいやばいと思い読むのをやめる。能に興味があるといっても、まだまだちょっとテレビで見てどんなもんだろうという程度のもので、あまりスパルタでやられるとすぐに嫌になってもういいや、めんどくせー、になってしまうと思う。
ここは慎重に。
そして全集のこの巻を借りてきた目的である「世阿弥」を読んでいる。
このまま興味が膨らんで、そのうち能を見に行ったりしだすのだろうか。空恐ろしくもある。
まだ調べてはないのだが、能を題材にした少女マンガはないのだろうか。(とくに少女マンガでなくても少年マンガでも構わないのだが、たぶんないだろう。少年マンガはわりと幅が狭い。可能性があるのは少女マンガだろう。)
「ガラスの仮面」(美内すずえ)とか「白のファルーカ」(槇村さとる)とかあるんだから(どちらも未読です。興味があるだけ。)、能を題材にしたものがあれば、いいなあ、と、
思って、ここでチェックすると、やはりあった。
成田美名子「花よりも花の如く」(白泉社)。
うーん、成田美名子かあ。「CIPHER(サイファ)」って結婚前に妻に借りて読んだけど、あんまり好きじゃなかったんだよな。しかもまだ連載中か。
あと、木原敏江の「夢幻花伝」(「大江山花伝」(小学館文庫)所収)は世阿弥が主人公か。すごいな。
しかし能を題材にした少女マンガってやっぱりあったんだな。
おそるべし。
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☆「マーサの幸せレシピ」

2007年09月17日 10時43分39秒 | 映画
マーサの幸せレシピ昨晩、録画していた「マーサの幸せレシピ」(サンドラ・ネットルベック監督)を見た。
「グロリア」と「アバウト・ア・ボーイ」と「ALWAYS 三丁目の夕日」のような話だった。
他人に心を開けない大人とそこにやってくる子供という設定であればだいたい同じような話になる。ゴールは決まっているのだけれど、どのようにそれを見せるかというところが問題になってくるのだろうと思う。

おいしい料理を作ったり食べたりする映画は大好きなので、それを見ているだけで満足だった。
マーサの下の階に住むおじさんと、いい仲になるのかと思ったらそんなこともなくて、なんだったんだろうあのおじさんは、と思ったけれど、べつに恋愛するためだけに異性と出会うわけでもないし、実らないことも実生活ではよくあるわけだろうから、それが自然なことなんだろうな、と反省した。
登場する人物は必ず主人公と恋愛するか敵対するかするはずだと思ってしまうのは、だいぶ感覚としておかしくなっているのかもしれない。
たまにヨーロッパ映画を見ることも大切だと思う。
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☆「DEATH NOTE」は名作です

2007年09月16日 15時57分01秒 | 漫画
DEATH NOTE (6)DEATH NOTE (7)DEATH NOTE (8)DEATH NOTE (9)
DEATH NOTE (10)DEATH NOTE (11)DEATH NOTE (12)
「DEATH NOTE」(原作/大場つぐみ、漫画/小畑健)全12巻読了。
やはり傑作であることに間違いはない。
「DEATH NOTE」の後半は、なかなか入り組んでいてアニメを見ただけでは細かなところがわからず(アニメをまだ最後まで見ているわけではないが)、難しいなと感じていたが、原作を読むことですっきりとした。
物語の最後で、登場人物が全員集まって探偵役が謎解きをするあたり、推理小説のお約束といった雰囲気で、読んでいてうれしくなってしまう。
そのあとの犯人の自白、やけになる犯人、といったところもほんとうに古典的といった感じ。
L(エル)の死んだあとは不要なんじゃないかと思っていたがそんなことはない。結構おもしろい。

もう大人なので、夜神月(やがみ・らいと)の新世界の理想といったものにはまるっきり興味もなにも、あったものではなく、さすがにそれは子供っぽいものを感じる。いつか岡田斗司夫が、押井守のどれかの映画について(だったとおもうけど)、「結局アニメの世界観は自分たちよりも下の考え方、想定内のものでしかないものだったのに、押井守の作品では違った。同等、またはそれを上回る世界観だった。」というような発言をしていて、いつもながらすごいこと言うなと感心したことがあるが、そういう意味では「DEATH NOTE」の世界観も想定内というか、子供だましというか、安心してみていられる世界観で、夜神月の言うことにみんなが騙されるなんておかしい、世の中松田ばかりじゃないんだから、とさんざん突っ込みたくもなる。
「DEATH NOTE」はそのように子供っぽい世界観を笑うものではなく(夜神月は実際高校生だったのだから当然子供だ。それ以後成長してはいない。)、よくできた推理マンガとして読まれるべきものだと思った。
無駄がなく、連載マンガによくある無理やり話を延ばしている感じ(どんな感じかわからない方はあだち充の「タッチ」を読んでみてください)もなく、きれいによくまとまってすばらしい。
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☆死神の恋

2007年09月15日 22時31分12秒 | 漫画
DEATH NOTE (1)DEATH NOTE (2)DEATH NOTE (3)
DEATH NOTE (4)DEATH NOTE (5)
漫画「DEATH NOTE」(原作/大場つぐみ、漫画/小畑健)を読んでいる。現在5巻まで。
内容を知っているのであまり面白くはない。
死神レムがなんでそこまで、そしていつの間に、ミサミサを好きになったのか理解できない。
それと、デスノートの記憶を失ったとはいえ、ライトがキラを必死で捕まえようとするというのもよくわからないところではある。もう一歩進んで、自分はかつて実際にキラであったけれども何らかの理由でその記憶はいまは失われてしまった。そしてそれも自分で意図してのことかもしれない。っと、そのくらいはライトならば考えたって良さそうだし、デスノートの記憶を失くしただけでなんでそんなにいい子になってしまうのか。
おかしい。
実写映画、アニメ、そして漫画と同じ物語を繰り返し見ているので、かなりひねくれた読み方になってしまっている。
まるで新鮮味がない。
出来れば一度、所有権を放棄して、漫画デスノートに関する一切の記憶を失くし、もう一度新たな気持ちで読みたいものだ。
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☆江藤淳「文学と私・戦後と私」感想

2007年09月13日 22時52分11秒 | 文学
文学と私・戦後と私江藤淳の「文学と私・戦後と私」(新潮文庫)を読んだ。
江藤淳がアメリカに行ったときの話や父親の話や飼犬の話をする。
考え方としては、まるっきり僕とは違うなと思うことが多いけれども(とくに国家を背景に物事を見すぎているように思えるところと、戦後日本は汚れてしまったと言いすぎるところ、それと飼犬の話を一大事のように語るところ)、それでも自分の考えだけを頼りにして考えているのはとっても素敵だと思った。
身体が弱くて、過去の話ばかりして、紅茶を飲んでる江藤淳の姿を想像して、まるでプルースト、と思ってしまった。

たぶん僕自身がいま夏目漱石に興味があるからだろうと思うが、漱石について語ったものが最もおもしろかった。
「漱石とその時代」も読んでしまうかもしれない。
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☆「ゼルダの伝説」終了、「デスノート」祭り前夜祭

2007年09月13日 19時42分23秒 | ゲーム
ゼルダの伝説 夢幻の砂時計会社で借りてきた、ニンテンドーDS用のゲームソフト「ゼルダの伝説 夢幻の砂時計」を昨日クリアした。
どこかで詰まって進まないということがほとんどなく、ボス敵が強すぎてやる気をなくすということもなく、レベルを上げたりお金を稼ぐためにザコ敵を倒しまくらなければならないということもなく、すいすい進んで良いゲームだった。
特に最後の武器であるトンカチは楽しかった。
その他の武器もDSの機能をうまく使っているし、楽しい。
最後の敵を倒すという目的以外にも、赤と青と黄色の包み紙のキャンディーのような妖精を強くしたり、釣りをしたりというイベントも残っているが、一度クリアしてしまったゲームをやる気にはもうならない。

「タッチ」に続き、「デスノート」のマンガを会社で借りてくる。
「デスノート」については、実写映画とアニメの大部分を見ているので、ほとんど話は知っているのだけれど、けじめとしてマンガ原作も読んでみる。
いままでマンガについてあまり会社の同僚と話をしたことがなかったんだけれど、結構みんなマンガを読んでいるし、持っているんだな、と思った。読めないマンガはないんじゃないかというくらい持っている。
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☆森田芳光の映画「椿三十郎」

2007年09月12日 02時10分14秒 | 映画
NHKで、森田芳光の映画「椿三十郎」の製作ドキュメンタリー番組を放送していたので録画して見る。
森田芳光はいま日本でいちばんの俳優は織田裕二だと思っているということで彼を主役にしたらしい。なるほど、確かに、そういうことは言えるかも。織田裕二の代わりになる俳優って思い浮かばない。
僕はそれまでほとんど注目したことはなかったが「踊る大捜査線」で、織田裕二っていいなあと思った。(しかしそれ以後熱心に追いかけているわけではない。)

どちらかというと森田芳光版よりも黒澤明の「椿三十郎」のほうが見たくなった。ぜひ見てみようと思う。
このあいだもテレビドラマで「天国と地獄」と「生きる」をやっていたし、最近静かな黒澤明ブームが来ているのだな。
森田芳光版を見るとしたら、その理由は織田裕二が出ているということよりも松山ケンイチが出ているということのほうが大きいと思う。
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☆あだち充「タッチ」全巻読破

2007年09月11日 00時31分34秒 | 漫画
タッチ (9)タッチ (10)タッチ (11)
タッチ (12)タッチ (13)タッチ (14)
あだち充の「タッチ」を全巻読んだ。
文庫で全14巻だけど半分くらいでもいいんじゃないかと思う。
原田には姉がいるのだろうか、それともとっても若い母親の設定なんだろうか。原田そっくりの父親は登場したし、親戚のちっちゃい女の子(妹じゃなかったと思う)も登場するし、ネタがなくなったら原田周辺を描くように決まっているみたいだ。
ずっと恋愛しているだけの漫画かと思ったらわりときちんと試合もしていた。
明青学園の野球部には上杉達也と松平孝太郎しかいないんじゃないかというくらい他のキャラクターは適当だ。明青学園のナインの名前とポジションををすべて言える人がいたら尊敬に値すると思う。
甲子園球場での試合は全く描かれないが、優勝したことになっている。

達也は和也ではない。
達也らしい試合をして初めて意味がある。
吉田剛も、ひとの真似だから達也に勝てない。
マンガではわりとこのように自分らしさを追及することが正しいとして描かれる。他人の真似をしたり、ひとのことを考えたりするのはあまりよくない、結局そんなひとは負ける。そういう暗黙の倫理のようなものが存在すると思う。
「タッチ」とは真逆のことを、ちょうどいま読んでいる江藤淳の本で言っていて、すべてのものに「過去」がある。それを感じることがすばらしい。歴史や過去を除いたら自分などというものは何も残らない。というようなことを言っている。
自分らしさをどんどん追求していっても結局苦しくなるだけで、ほんとうの自分なんてなんにもありゃしないよ、という考えに最近とっても好感をおぼえる。
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