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☆三島由紀夫「熊野」「弱法師」

2007年09月28日 01時03分27秒 | 文学
最近あまりにも本の話が多くて少し恥ずかしい感じなのだが、今日も本の話。
三島由紀夫「近代能楽集」の「熊野」と「弱法師」を読んだ。
「熊野」(「ゆや」と読みます)はお母さんが病気だからと実家に帰ろうとする女を男が花見に行こうと言って帰さない話だった。実は女が母親に嘘をつかせていたというオチ。
女は実家に帰りたいのに男が帰さない、というところで「源氏物語」の「桐壺」を思い出す。最近「源氏物語」について考えることが多い。
能の「熊野」も白洲正子の現代語訳で読んだはずなのにもう内容を忘れてしまった。同じような話だったのだろうか。熊野(ゆや)という名前の女が出てきたのは同じだと思うのだが。
「弱法師」(「よろぼし」と読みます)は、盲目の男の話で、彼が実の両親と育ての両親の間のどちらを選ぶかという話だった。どちらの両親も男の言いなりになるという、よくわからない話だった。しかし男の話す思想がなかなか面白かったように思う。こっちは能ではどんな話なのか知らない。

新潮社の全集版では旧仮名遣いで書かれていて、だんだんそれが好きになってきつつある。
ずっと読んでいると、日本語はこのままの、旧仮名遣いで書かれたままの読み方で読むのが正しくて気持ちいいのだな、と思えてくる。(たとえば「おもへて」は「おもえて」などとは読まずそのまま「おもへて」と発音するというように)
また、丸谷才一に一歩近づいてしまった。(「ルパン三世」の石川五ェ門の「また、つまらぬものを斬ってしまった」と似た気持ちです)
三島由紀夫の「近代能楽集」は戯曲で、そのせいかどうかわからないが、読みやすい。ひとつひとつが短いし。
台詞だけで、小説のようにながながとした描写がないせいかもしれない。
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