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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

2020年01月09日 21時40分21秒 | 文学
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(東京創元社)を読んだ。
人間はいろいろなものから自由になると、今度は孤独で不安になり権威に縛られることを求めるようになるというような論だった。

《ナチズムにたいする攻撃はドイツにたいする攻撃であると感ずるので、ナチでない人間でさえも、外国人の批判にたいしては、なおナチズムを擁護するというようなばあいが多くみられる。》(233頁)
という部分は「ネトウヨ」の現象を思わせる。

《都市の爆撃や何千というひとびとの死を報ずるニュースに、なんの恥ずかしげもなく石鹸や酒の広告がつづき、ニュースを中断している。暗示的印象的な権威ある声で、政治情勢の重大さを放送したばかりのその同じ放送員が、今度はニュース放送に金を払ったある石鹸の品質のよさを聴衆に吹聴している。》(276頁)
とあり、そのことが批判的な思考能力を麻痺させると書く。
「次はスポーツです」と嬉しそうに言うニュースキャスターに違和感を感じることはあるが、テレビをそのようなものと思ってずっと見ているので批判的な思考能力を麻痺させられているかどうかすらわからない。

《われわれの願望——そして同じくわれわれの思想や感情——が、どこまでわれわれ自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。》(279頁)
困難だけれど、われわれの願望か外部からもたらされた願望かは区別ができるとフロムは考えているように読める。外からの影響のまったくない本当の私というのはどういうものなのだろう。そんなものがあるのだろうか。疑問に思う。
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