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☆韓国、日本、イタリア

2006年11月22日 00時46分33秒 | 映画
ニンテンドーDSのゲーム「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」をほぼ毎日やっているが、さすがに飽きてきた。
いま注目しているソフトは「学研要点ランク順シリーズ 日本の歴史DS」。
発売されて面白そうだったら買ってみようと思う。

ドラマ「冬のソナタ」が放送されていたときに宣伝で見たペ・ヨンジュンの学生服姿が変で、コントをやっているような印象を受け結局馬鹿にして見なかった。
韓国映画の「僕の、世界の中心は、君だ。」の宣伝を見たときも同じような、おじさんが学生服を着ていて変だという印象を持ったが、そのときにこれは、韓国のドラマや映画はこういうものだと思って見るべきなのかもしれないと思った。
思えば登場人物のアイデンティティー(、というか、統一感、というか、同一性、というか、なんと言ったらいいか判らないが)、演じられているひとは同じ人であるという感じは、もちろん演じている俳優が同じ人物であることが一番いい。
岩井俊二の「Love Letter」では中山美穂の学生時代を酒井美紀が演じたけれど、中山美穂と酒井美紀が同じ人物(藤井樹)であるというふうに感じられることのほうが、老けた学生のペ・ヨンジュンと青年の姿のペ・ヨンジュンが同じ人物であると感じることより正常であるわけではない。
(しかしなぜ映画のことを語るときはこのように蓮實重彦的にまわりくどい言い回しになってしまうのだろう。残念だ。)

日本では若い俳優が人物の若い時期を演じ年取った時期をそれなりの俳優が演じるのが一般的になっているが、韓国では若い時期も年取った時期も同じ俳優が演じるのが一般的になっているのではないのだろうか。一体韓国では何歳くらいまで同じ俳優が演じるのだろうか。
そのへんにちょっぴり興味がある。
ペ・ヨンジュンが小学生になったりもするのかなあ。
田中裕子が小林綾子の時期も乙羽信子の時期もひとりで演じるようなことが行われているんだろうか。
うーん、興味深い。
それぞれの国で、映画を本当らしく見せる、その見せ方が違うのはおもしろいことだと思う。よく考えたらどっちもうそ臭いのに、こっちは本当らしく、あっちは嘘っぽく感じるのはおもしろい。

今日BS2でヴィスコンティの「夏の嵐」をやっていて、ちょっと見たが、なんで全部クチパク、アフレコなんだろうかと不思議に思った。しかもちっともクチと声が合ってないし。
よく判らんが、イタリア映画全般アフレコなんだろうか。そんな気もする。
昔見たトリュフォーの「アメリカの夜」で、往年の女優みたいな役の人が、「フェリーニの映画では台詞を憶えてなくたっていい。演技をしながら、アン・ドゥー・トロワって数を数えていればいい」という発言をしていたが、実話なのかもしれないなあと思った。
イタリア人にとっては映画でクチと声が合っていないことなんか、なんにも気にならないことなのかもしれない。
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