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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「米寿先輩!おめでとうございます!~関東城岳同窓会」

2024年10月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                      
 10月27日、神保町の「喜山倶楽部」(日本教育会館))で開催された第71回の関東城岳同窓会(大濱多慧子会長)に参加しました。「城岳同窓会」とは沖縄県の旧2中と戦後の那覇高校の同窓会ですが、今年からは高齢に伴い旧2中の先輩メンバーの参加は見られず(´;ω;`)
 今期は那覇高卒米寿(8期生)先輩8人の祝賀プレゼントがあり、私より4期高齢88歳の先輩の矍鑠たる挨拶には感嘆でした!益々お元気で!
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「ようこそ!早大クラスメート!」

2024年10月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                              
 先週、久々に早稲田一文のクラスメート(女性)4人様が神田事務所に来訪!皆さん、桜蔭、文京、埼玉浦和一女と関東の名門女子高校出身!ことほどに私が在学した早稲田の文学部西洋史クラスの女性は都内名門高の現役生に対し、男性は沖縄、九州、四国等々出身の2浪、3浪生が多く、流石異色文化カルチャの早稲田文学部堪能でした。
 西洋史クラスメート4人の皆さん! 久々の来往有難う御座いますした!益々お元気で!
                         
        
   
 
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「我が~移々点々人生!」

2024年10月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                         
                                (中央大学法学部合格証)
  私は満州6年(誕生)、奄美6年(小学)、沖縄7年(中高校)、東京10年、埼玉(50年)。大学は琉大(1年)、早稲田大(4年)、東大(新聞研一ヵ月)、中央大(2部1年)。東大の新聞研究所は早稲田の一文卒業、新聞記者就職を目指し受験合格、一ヵ月で退学。中央大大学法学部の二部(夜間)は行政管理庁勤務時代、司法試験を目指し入学しますが、当時の学費値上げ闘争で学校閉鎖に伴い断念、中退!
 職歴は新聞記者(琉球新報東京総局)1年、国家公務員(行政管理庁埼玉行政監察局)4年勤務、ビジネスコンサルタント社に転職8年勤務、営業部長を最後に退社し日本アドバンスシステム社を創業30年の2008年に東証一部CIJ社とM&A、社長退任し2年会長に就任。2005年神田多町に個人事務所(株)日本アドバンス・田中ビル別館賃貸、現在に至る。

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「国家公務員を4年で辞めた理由」

2024年10月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                         
                      (現在の総務省行政管理局事務所
             ~さいたま新都心
 私は琉球新報記者を辞め、たまたま受験した国家公務員試験に合格し行政管理庁(埼玉行政管理局)に転職しますが、4年で辞めビジネスコンサルタント社へ転職します。この転職が後のIT会社(株)日本アドバンスシステム創業に繋がります。国家公務員はキャリヤと一般職という区分がありました。私は一般職で入庁し一級取得のキャリヤ職員に劣らない仕事振りで当時の上司から冗談交じり?で「重田君、君はいずれ沖縄の局長になるよ!」と言われましたが、こうした現場での評価に関わらずこの国家公務員の入庁資格制度が嫌で4年で退職します。この行政管理庁は現在総務省行政管理局・行政評価局になっています。
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「琉球大学関東支部総会・懇親会に出席しました」

2024年10月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
.                          
          (祝辞を述べる西田学長)
 10月19日、神保町の「喜山倶楽部」(日本教育会館)で開催された琉球大学同窓会関東支部総会・懇親会に参加しました。琉大一年で退学した私が何故支部の顧問拝命か?それは高山厚子支部長の懇意もさることながら、日本アドバンスシステム社経営時20人を超す琉大生採用実績か!
 この日は沖縄から上京参加の西田学長と幸喜徳子同窓会長含め50人近い参加者。参加者全員の自己紹介とスピーチ!私は1年で辞めた理由と我が那覇高校12期同期が全学部に教授就任の誼を話しました。今期で支部長を退任される高山さん、お疲れ様!
                                 
                             (開会挨拶の高山支部長)


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「恒例のITSP例会に参加!」

2024年10月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
        
 10月18日赤坂の天ぷら屋「華すら」で開催されたIT/SP例会に参加しました。IT/SP例会とは東京でIT会社を創業、会長、顧問、相談役を30年以上務め、後継者へ事業承継を果たしたメンバーと「通産産業省情報産業局」OBメンバーによる3か月一回の懇親会。この日の8人の参加者は東大、慶応、早稲田卒等々平均年齢80余年(´;ω;`)この日はいつもながらの高齢罹病経験と何故か皇室論議で盛り上がりました。私にとってめったにない懇親会です。
       
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「琉球新報社を辞め、国家公務員に転職!」

2024年10月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                    
                 (行政管理庁・埼玉行政監察局勤務時代)
 私は琉球新報東京総局(記))勤務時、沖縄本社への転勤を拒否退社し、次の転職に迷っている時、たまたま受けた国家公務員試験の合格を受け転職します。当時国家公務員は1種と2種があり、一種は総合職・キャリアと呼ばれ本省勤務で2種は一般職ノンキャリで地方出先の勤務です。私は2種合格で法務省、宮内庁等様々なところから面接通知が来ました。選んだのは当時の行政管理庁「関東行政管理局」(現在の関東行政評価局)でした。関東には横浜・千葉・埼玉の三局があり、私は埼玉行政管理局へ配局されます。当時まだ埼京線は無く、世田谷上木崎のアパートから京王線(笹塚)新宿で京浜東北線に乗り換え、浦和に4年間通勤しました。実はこれが切っ掛けで以来今日まで40余年埼玉在住となります。
 私はこの埼玉行政管理局を4年で辞めます。その理由と以下は次回以降に!
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「埼玉奄美役員会で懇親」

2024年10月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
       
 10月14日、浦和のパルコ9階(浦和市市民活動サポートセンター)で開催された埼玉奄美会の役員懇親会に参加しました。埼玉奄美会とは埼玉在住の奄美大島出身者の集い!不思議に埼玉に沖縄会はないのですが、奄美会は定期的に懇親会を開催しています。この日の参加者役員は女性二人を含め15人。殆どが奄美大島の中学、高校卒業で同窓誼は強いようです。私は満州(ハルピン)で生まれ6歳まで大連、7歳の時奄美大島に引き揚げ、奄美の古仁屋小学校に6年2学期で在学、3学期沖縄に移住、以後中学、高校、琉大1年と7年間過ごします。奄美より沖縄の方が在住期間長いのです。そうした閲歴の私は埼玉奄美会では異色のメンバーか?とはいえ、役員会後の浦和パスコ5階の沖縄料理店「パイカジ」で開催された懇親会ではこの出自異色を超えて交流、盛り上がり、我がルーツ奄美の誼を改めて感じました。この埼玉奄美会で何故か私は”相談役“を拝命しています。
     
      (パルコでの懇親会)

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「関りえ子琉舞師匠来訪!」

2024年10月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                        
  先日、「関りえ子」琉舞研究所長(玉城流喜納喜天の会)が神田事務所に来訪されました。関師匠は15歳の最年少で「琉舞古典芸能コンクールで新人奨励賞」等様々な受賞をされています。旺盛にネット配信もされています。来る11月4日小田急「狛江エコマホール」で開催の芸道六十周年記念公演“龍舞フェスタ”の案内でした。琉舞に疎く、小田急「狛江」には行ったことがないのですが、この日チケットとお土産の和菓子頂き(´;ω;`)何とか都合付け参加しようかなあ(´;ω;`)
                         
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「与野・大正時代祭り」

2024年10月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り
        
       (大正衣装女性に囲まれ!( ´艸`) 
 10月13日、私の住む埼玉県与野市で恒例の「大正時代祭り」が開催されました。これは大正元年に開業した京浜東北線「与野駅」を祝し、毎年開催される旧与野市で開催される祭りです。芸者、舞妓、軍人、モダンガール、モダンボーイ、巡査、駅員などの、大正時代を象徴する衣装を着た人々、およそ100名が会場を練り歩きます。与野市は埼玉県の大宮と浦和に挟まれた小市で、2001年大宮・浦和市と合併し、さいたま市中央区に市名変更になり、北与野・南与野・与野本町等の駅名が残るのみですが、今や”さいたま新都心”として国の官公庁関東地方出先機関や芸術劇場、37000人収容のスーパーアリーナ等の進出設立で“埼玉県の中心街になりつつあります。近々浦和の埼玉市役所もこの新都心に移転の予定です。埼玉県中央区下落合の我家はこの新都心駅から徒歩15分です( ´艸`)
      
      (大正時代祭りパレード~与野駅前)
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「ようこそ!高山厚子さん!」

2024年10月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                                 
 先日、久々に神田事務所に高山厚子さんが来訪されました。高山さんは琉球大学を卒業後、東京都で小学校教師・校長を務められた後、沖縄修学旅行アドバイザーとして多くの学校で講演しつつ、沖縄料理研究家、琉球大学の東京同窓会支部長等々と80歳を超えても尚その多彩な活躍!改めて沖縄女性のパワーに感嘆!

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「早大・クラスメート来訪」

2024年10月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                            
  先日、早稲田大学のクラスメートが神田事務所に来訪。先年は5人ほど来ましたが今回は3人。実は二人の級友は逝去(´;ω;`)
 今回の来訪者も“これが最後か!”と。来訪の二人は元高校教師と出版社編集記者OB。流石に我が早大文学部出身!また会う日まで!

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「東京多良間郷友会」に参加しました。

2024年10月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                 
                  
   10月6日、東武東上線大山の「板橋区立グリーンホール」で開催された「第91回の東京多良間郷友会」の花城会長の案内を受け、来賓参加しました。
 多良間村は沖縄の宮古島と石垣島に挟まれた人口1500人弱の過小島のようですが、この日300人近い東京多良間郷友会参加メンバーの尽きることない様々な舞踊・島唄歌唱に改めて沖縄・宮古島人のパワーを感じました。我が故郷奄美(加計呂麻)に比べ、この南島は何故かくも!改めて室生犀星の句“故郷は遠くにありて思うもの” に馳せました。
                   


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「新極真会・空手世界選手権大会を観戦」

2024年10月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                           
 10月5日、渋谷区千駄ヶ谷の「東京体育館」で開催された「全日本空手道選手権大会」 (新極真会主催)を観戦しました。全国80か所の道場から100人を超える参加者でした。
 空手等全く疎い私が何故、観戦参加かというと、東京(奄美大島)瀬戸内会の三浦正之会長からの案内招待でした。実は本会実行委員長の新極真会の緑健児会長と三浦さんと私の出自が同じ奄美大島瀬戸内出身という縁です。緑健治会長とは以前会食した縁があります。空手道遠く疎い私もどきをに案内頂き、同じ奄美出身ならではの奇縁!招待頂き恐縮の極みです。
       
          (2019年・東京瀬戸内会で!)    
         
         (緑健治・具志堅用高さんと
         ~2020年「東京奄美会」で)
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「何故、1年で琉球新報社を退社したか」

2024年10月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り
      
     (新報総局勤務時、嶋袋・友利先輩と)
 私は早稲田を卒業し琉球新報社の東京総局に記者として入社します。当時沖縄は未だ日本復帰前で、当時の霞が関の佐藤総理官邸での会見、手塚治虫等在京の著名人に「私と4.28」とのタイトルで取材した経験があります。「4.28」とは1952年4月28日から1972年の「本土復帰」までの20年間、サンフランシスコ講和条約によって在琉米国民政府による沖縄、奄美の被支配でした。
 そうした勤務時、当時の琉球新報の池宮城社長が東京総局に来られた際「重田!君も本社勤務を!」と言われ、「え!沖縄転勤ですか」と驚き、退社を決意しました。というのは沖縄はまだ日本復帰前で、私達沖縄在住の奄美出身は”納税義務あれど選挙権無し”等々の外人扱いで、当時の私は沖縄在住の妹・弟,両親一家の本土呼び寄せる責務を背負っていました。後に私は沖縄の高校を卒業した妹と弟を東京に呼び寄せ、更に両親も安謝の自宅を売却し埼玉に移住し今日に至ります。ことほどに当時の在沖奄美出身者は”脱沖縄”が生涯のテーマー?でした。しかし、この価値観は1972年の沖縄の日本復帰により、大きく転換します。今や沖縄はIターン憧憬の地となり、国内随一の移住人口増加地となっており、時代変換と価値観変動を感じます。
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朝吼夕嘆

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