琉球大学家政学部の祖とも呼ばれる翁長君代先生の自伝は「琉球新報」連載記事でも読んだ記憶がありますが、この度、制作担当「若夏社」の山川さんから贈与頂き、新型コロナウィルスで自宅三密生活の中、一気に読みました。東北の山形県に生まれ、奈良女子大卒業後、朝鮮高等女学校教師に就職、朝鮮総督府に勤められていた翁長俊郎氏と結婚、終戦で御主人と共に沖縄に渡航、以来30年以上琉大教授をしつつ、様々な社会活動をなされ、多くの叙勲を受賞され、79才の晩年、娘さんの斎藤陽子さんが住まわれるカリフォルニアで逝去される。山形、奈良、朝鮮、沖縄、米国留学と華麗壮絶なライフストリーには感嘆です。琉球大学創設時の詳細な経緯記述は瞠目です。
東京外大を卒業し、朝鮮総督から沖縄に帰郷し戦後、沖縄外語学校の初代校長を務められた後、事務局長として琉大創設に尽力されたのがご主人の翁長俊郎先生でした。琉大は当時の在琉民政府の仲介によるミシガン大学による教材、シラバス等々多大な支援で創設され、そのミシガン大学との折衝は英語鞭撻のご主人の翁長教授が志喜屋学長をサポートし、多大な尽力をされたのです。実はこの翁長俊郎先生は私が琉大に入学した時の英語担当の恩師でした。琉大1年の時、現在の首里城跡に建設された琉大校内の「放生池」埋め立て問題について私が当時の琉球新報に投稿したのですが、これを読んだ翁長先生から「あの投稿は君か!」と咎め?られた忘れられない記憶があります。
また、当時那覇市の安謝に住んでいた母が「これから翁長君代先生の番組!」と、まだテレビの無い当時、唯一の音声マスコミ「親子ラジオ」に走りよる姿を覚えています。ことほどに当時の翁長君代先生は沖縄で大和文化を発信するカリスマ講師として県内主婦の間で絶大な人気がありました。その10数年後、東京のWUBイベントで「私の母は翁長君代で父は俊郎です」と言われ、“え!”と驚いたのが翁長君代さんの娘さん・斎藤陽子さんとの出会いでした。その縁で後にロスアンゼルス郊外の高級住宅街として知られるWalnutの豪邸に招かれたり、ご子息お二人の絢爛たる結婚パーティに呼ばれたりと続く至福の絆です。以下18年前、そのWalnatの斎藤邸宅訪問のBlogご覧下さい。(https://blog.goo.ne.jp/shigeta-nas/e/c18c731ead6fa4e404360a1440a93060)
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お世話になっているカリフォルニア在住の齊藤さんのお母様の自伝です。