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皆さんがご存じの七夕物語は、中国から伝わってきたものです。
実は、七夕に纏わる物語は世界各地にあります。勿論、日本でもあります。その内容まで詳しく知っている人は希薄だと思われます。
皆さんがご存じの七夕物語は、七夕の発祥は中国と言われており、天の川の西に住む織物が得意な織女と、東に住む牛飼いの牽牛という夫婦の話が元となっています。
織女(しょくじょ)の結婚相手を探していた天帝(星空を支配する神)が、働き者の牽牛(けんぎゅう)のことを知り「娘の織女と結婚してくれないか?」と頼みました。
牽牛は恐縮しながらもその話を引き受け、二人は夫婦となりました。
しかし、二人は結婚すると真面目に働くどころか天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。
天帝が「仕事をしないのか?」と尋ねると、「明日からやります」と答えるばかりで一向に働く気配がありません。
これに業を煮やした天帝は、牽牛を元いた天の川の西に戻し、二人を離ればなれにしてしまいました。
牽牛と会えなくなった織女は毎日を泣いて暮らしました。
そして牽牛も寂しさにあまり家に閉じこもってしまい牛の世話ができなくなってしまいました。
それを見た天帝は「二人が以前のようにきちんと働いてくれるなら、年に一度だけ会うのを許そう」と言い、それを聞いた二人は前よりも増して一生懸命働くようになりました。
こうして、一年にたった一度だけ会える日の7月7日は、織女と牽牛にとって待ち焦がれた日となったのです。
この七夕の物語が一般的ですが、こちらが中国版の七夕物語なのです。
日本の七夕物語は、ある日、三人の娘を持つ男のところに大蛇が現れ「娘をよこさないと親子共々殺してしまう」と言われました。
困った男は娘に話をしますが、上二人は絶対に嫌だとすぐに断ったものの末娘だけは「お父さんとお母さんが殺されるわけにはいかない」と大蛇のところへ行くと言いました。
池の傍に小屋を立て、そこに末娘を残して両親と二人の姉達が泣く泣くその場を離れると、雷鳴と共に池の中から大蛇が現れました。
しかし大蛇は末娘に「怖がることはない。刀で私の頭を切りなさい」と言いました。
娘が言われた通りにすると大蛇の中からは立派な若者が現れ、自分は「天稚彦(あめのわかひこ)」だと名乗りました。
天稚彦とは日本神話に登場する神のことで、娘は天稚彦と結婚し幸せな日を過ごしていましたが、ある日、天稚彦から「用事があり天へ行ってくる。三週間経っても帰ってこなかったら西の京の外れに住んでいる女性から一夜杓を受け取って天に来なさい」と言われました。
その際、唐びつを受け取り、「私が戻って来るまで決して開けないように」と言われました。
天稚彦が天に向かった後、上の二人の姉が末娘の元を訪ね、幸せそうな様子に嫉妬しながら家の中の物を勝手に見始めました。
その時に、天稚彦から絶対に中を覗くなと言われていた唐びつも開けてしまいました。
そして三週間経っても天稚彦が戻ってこないことから、娘は西の京の外れの女性の元を訪ね一夜杓を貰って天に向かいました。
天に登った娘は、ゆうづつやほうき星や昴に天稚彦の行く先を尋ねながら、どうにか天稚彦に会うことが出来ました。
再び出会えたことで以前にも増して固く心が結ばれた二人でしたが、実は天稚彦の父は鬼で、娘との結婚を許すはずがないことから、父がやってくるたび娘の姿を枕や扇に変えて父にわからないようにしていました。
しかし、うたた寝をしているところに父がやってきてしまい、ついに娘の存在がバレてしまったのです。
激怒した父は娘に無理難題を突き付け、天稚彦と引き離そうとしますが天稚彦から譲り受けた袖を振ると、その難題が次々に解決していきます。
やがて娘を認めざるを得なくなった父は、「月に一度なら会ってもよい」と折れたのですが、娘はそれを「年に一度」と聞き間違えてしまい、娘の聞き間違いを正さないまま父は手にしていた瓜を投げつけ、その瓜が割れたところから水が溢れ出し、天の川を作りました。
こうして、日本の七夕物語は、少し怖いのと厳しいイメージがあったので、日本では中国発祥の七夕物語が馴染みやすかったのだと思います。
また、私の行彦の名前は父祖が名付けて呉れました。まさしく、彦星から名付けられました。子供の頃から友達まで「彦(ひこ)」と呼ばれていました。
彦という漢字には「人に喜ばれる」という意味合いがあり、つまり、人から褒められるような人になりなさい、そうした方向に進みなさい(行)と(彦)を合わせて(行彦)の名前になりました。私自身もとても気に入っている名前です。
ですから、知人や友人、勿論、最愛の人からも苗字で呼ばれるよりも「ゆきひこ」と呼ばれると嬉しいです。センスプロデュース研究所、葛西行彦