殿、その茶碗、枯れてないのでは?

2014-06-15 00:00:09 | 美術館・博物館・工芸品
羽田空港のANA側のターミナルビルの隅っこに「Discovery Museum」がある。時間待ちにのぞくと、「細川家珠玉の名碗」が開かれていた。

いうまでもなく、細川家は名家中の名家である。日本史をふりかえれば、天皇家と公家を除けば、武家といっても平氏も源氏も北条氏の策略で滅亡。北条を滅ぼして室町幕府を興した足利氏も信長・秀吉が追っ払う。となると、室町時代、足利に次ぐ(あるいは匹敵する権力を持っていた)地位にいたのが、細川一門。戦国時代を生き延び、キリシタン疑惑を夫人に押し付け、なんとか熊本方面でやっているうちに明治になる。

代々の殿さまが執着していたのが美術品の収集。半端じゃない。目白の永青文庫がその主たる展示室なのだが、とても入りきらない。室町時代に所有していたものや、その後、買い集めたものであるのだが、最近は、殿さま自らが茶碗を焼くというセルフレジ方式も始めたようだ。選挙で忙しい時もあるらしいが。


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で、展示されているお宝の特徴は、14~15世紀の朝鮮・中国産のものは、いかにも形状が洗練されていて、いいようもない気品が漂う。細川家が気品を買い集めてしまったから、今や国家に気品がなくなってしまったのではないかとすら思うほどの立派な作が多い。2代忠興の秘蔵品「粉引茶碗 大高麗」が出品されている。


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それに対し、16世紀日本の桃山時代に千利休の創意を具現化していった長次郎の「黒楽茶碗 銘 おとごぜ」手の中に収めると、心が和みそうだが、手に持てるのは殿様だけだ。


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戦後の作としては、河井寛次郎の「茶碗 彩碗」。戦後日本の新旧の精神が見事に表現されている。河井は、将棋の大山名人が大不調に陥った時に「助からないと思っても助かっている」という陶板を贈っている。




そして、特別出品として細川護熙氏が出品しているが、それは過去の何にも似ていない美しい造形(ビーナスの乳房とでもいうべきか)と見る者を悩ませるような念入りな色付け。

簡潔に言うなら、「いつまでも生き生きと輝く」茶碗ということになる。

政界に戻る時期だったのだろうか。戻れないんだけど。

あなたなら、できるはず?

2014-06-14 00:00:51 | しょうぎ
今、強すぎる棋士がいる。羽生善治。昨年来、「羽生」という字は「はにゅう」と読むことになったことに対しての反抗なのか、4月以来の今季の成績は8勝0敗。ワールドカップ優勝チームだって7試合しかないのに、勝ち過ぎだ。追撃するものは見当たらない。一番強い人が、さらに好調ということでは始末に負えない。

ところで将棋連盟のホームページを調べていると、棋士の通算成績という表があって、羽生さんは、今まで1278勝489敗ということで勝率は7割2分3厘(0.7233)である。以前、三段リーグでリタイアした元奨励会員に言わせると、「羽生さんなら3勝1敗(0.75)のペースにならないとダメ」とのことだった。自分のことはさておきということだろうか。

では、今年の連勝パターンをどこまで続ければ、目標の7割5分になるのだろうか。

こういう式になる。

0.75×(1278+489+X)=1278+X (Xは連勝数)

中学生の頃なら1分以内に解がでたのだろうが、あれこれ計算した結果10分後に正しい数値を得る。X=189。

189連勝が必要になる。

あなたなら可能だ。

ところで、全棋士の通算成績表を見ていて、不思議(いや、当たり前?)なことに気付く。

双子棋士である畠山鎮、畠山成重の両氏の成績。鎮氏は866戦490勝の0.5658。成幸氏は868戦479勝の0.5518。要するに、ほぼ同じだ。

双子というのは、結局後天的努力にかかわらず同じような成績になるということなのだろうか。そうなれば、努力よりも天分ということになり、世間でいう教育の重要性とか無意味ということになってしまうではないだろうか。「双子の棋士は認めない」という方法で、教育無用論を隠ぺいする方法もあるだろう。

しかし、この二人のほぼ同じ成績を説明するもっと合理的な仮説がある。


「本当は、一人二役である」。年収は二倍になる。


さて、4月26日出題作の解答。

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実戦の図面は左側に王がいて、相手の8二飛に対し▲7一銀と打ち、△8四飛に、秒読みに追われて、▲8二銀打と妙な手を指してしまいました。そして、自玉に必死をかけられ、投了しようと思う1秒前に詰みを発見。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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いたってオーソドックスな問題。銀の活躍必須。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断します。

インド料理を倉敷で

2014-06-13 00:00:09 | あじ
倉敷で、急にインド料理を食べたくなって、ネットで大雑把に場所を確認して倉敷駅の近くに行ってみました。調べた場所と微妙に離れていて、さらに店の名前も違うような気がして(つまり、別の店だったのですが)、まあ、何でもいいかというわけで、サガル・マータ(SAGAR MATHA)というお店。インド人の夫婦風(40才くらい)が二人でやっているようです。

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ちょっと、メニューの作り方がうまくないような感じで、カレー(4種から一択)、ナン(またはライス)、サラダ、タンドリーチキン、ドリンク(一択)という感じで930円。AコースとかBコースもありますが、タンドリーチキンはセットにはいらないのではないかとおもいますね。

カレーは辛さが6段階で、下から3段階目と弱気に出たのですが、ちゃんと日本語が通じたかどうか、やや不安。

で、そのうちアフリカ系米国人らしい男性と韓国系韓国人らしい男女計3人のお客さんが入ってきました。韓国系と判断したのは、流暢な英語を話すのだけど、顔が日韓系で、語尾に日本人の英語みたいに母音が入るわけ。英語の上手な韓国人と思われるわけ。そして、インド人の店長に英語で日本語で書かれたメニューから注文するわけです。つまり、日本語が読めて英語をはなす韓国人と英語が上手で日本語が片言のインド人店長と、英語しかわからないアフリカ系米黒人という組み合わせのわけですね。

で、韓国系韓国人の女性の方は例のごとく声が大きいので、どうしても耳に入ってしまうのですが、6段階の6番目(つまり激激辛)を選ぶわけです。すかさず、米国人の方が、何かぶつぶついったようですが、お構いなしになってしまいました。韓国人の女性が、メチャメチャ押しが強いのは大統領だけじゃないようです。もっとも、そのカレーが登場するまでに失礼してしまったので、結果は不明です。

しかし、よく考えると、英語が得意なインド人の方が日本でインド料理を開業するということは、早い話がアメリカや英国よりも日本の方が好きというか、肌が合うということなのでしょうか。

たぶん、そうなのです。インドというのは戦後、社会主義の国だったのですが、結局、社会主義+地方分権+資本主義+封建制というような、バランス型社会になっていったわけです。たぶん、国が大き過ぎるし、多民族だし、ソ連や中国のようにはならなかった。一方、日本は原因はまったく違うのですが、自民党と社会党という左右対決(実際にはプロレス的対決だったのだけど)によって、資本主義と社会主義の中間的な社会ができあがった(労働法関係の判例などは、ほぼ出尽くして、裁判すら激減している)。その結果、社会党は本当は日本の現在の成り立ちに大きな役目を果たしたのですが、皮肉にも不要になってしまったわけです。

それがインドの人が日本で料理店を開く理由だと思っています。

で、2050年の世界を思うと、移民のことになります。

日本の人は(欧州の先進国もそうですが)、「移民はいやだな」と思っています。米国は、ほぼ全員が移民とその子孫で、元からいた人は大部分は、虐待(虐殺含む)されました。だから、いまさら「ヒスパニックは困る」とかいいにくいわけです。

とはいえ、人口が増え続けるだろうことがほぼ確実な国は、インドです。とんでもない人口ピラミッドです。富士山型ですから。つまり、アフリカ東海岸から日本までの間に、どんどん移民が入っていくと思います。

で、文化とか食文化というのも徐々に変化するとしても、やはり米国流とか日本流とか韓国流とか、いつまでも残るのだろうと思います。日本生れの韓国籍の人は、日本の味に馴染んでいて激辛はNOです。インド料理にしても、本当のインド料理は日本では出てきません。たぶん、日本生まれのインド人が増えても、激辛カレーを食べるのは、インドや韓国で生まれた人だろうと思います。

で、この店のカレーですが、ちょっとインド料理から離れすぎているような気がします。日本風カレーになりすぎてしまったような感じで、もっとサラサラでもいいのではないかと思うのと、タンドリーチキンは、チキンの質が落ちるような気がします。というか、チキンは要らないと思います。あとは、合格。

で、結構、倉敷にはインド料理店が多いことに気づき始めているので、少しずつ歩いてみます。

知られざる日本の偉人たち(河合敦著)

2014-06-12 00:00:47 | 書評
「実は凄かった!世界に誇れる伝説の10人」と気持ち悪い副題がついています。「知られざる」という単語にもっとも相応しくない(忘れられかかっている、というのなら当たっていると思います)岡山県出身の人見絹枝の資料を集めている中で読んだ本ですが、この本に登場する10人とは、

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 早川徳次・・日本の地下鉄王
 知里幸恵・・アイヌ抒情詩を蘇らせたアイヌ女性
 早川雪洲・・ハリウッドスター
 人見絹枝・・日本人女性初の五輪メダリスト
 金子直吉・・鈴木商店の大番頭
 榎本健一・・喜劇王(エノケン)
 林董・・日英同盟を結んだ外交官
 津田出・・幕末の紀州藩家老格
 水野広徳・・戦前の反戦軍人
 高橋泥舟・・江戸幕末三舟の一人

この中で、本書で初めて知ったのが、知里幸恵氏と水野広徳氏。高橋泥舟を世界に誇れるとは言えないのではないでしょうか。武士の義理を通すため、他の二舟のように新政府の端役に入らず、一生無役を通しただけですが、たぶん彼以外にもいたのではないでしょうか。武士精神を最後まで貫き、函館の地で榎本武揚と別れ戊辰戦争により自分なりの決着をつけた土方歳三とは、格が違うような気がします。平家、北条家、豊臣家などが滅びる時には、それぞれ最後の戦いがあって、多くの武士が決着をつけていたのですが、足利と徳川は、そうじゃなかった。もともと武家ではなく農家出身の土方が、最も格好良く武士のけじめをつけたことなんかも、現代日本が無責任国家になった原因かもしれません。

それで、調査中の人見絹枝さんのことに一言触れると、単に1928年のアムステルダム大会で日本人女性初めての銀メダルを獲得し、3年後に亡くなった、というだけの話ではまったくないことがわかってきました。さらに、一般に手に入る彼女の伝記を読んでも、いくつかの疑問が湧いてきます。

うっすらと調べただけでも、彼女は選手であり、かつ新聞記者だった。歌人でもあった。三段跳び金メダリストの織田幹雄氏と親しかった。というような一般的な話だけではなく、讃美歌をよく歌っていたとか、25才でたぶん結核で亡くなったあと、すぐにデスマスクをとられたことが問題になったり、葬儀についてトラブルがあったり、結局、彼女の墓が岡山にあるのか、青森県の八戸にあるのかというような問題があるのが見えてきました。

さらに、当時は、五輪の他に、「女子五輪」というのがあって、五輪と女子五輪の関係はどうなっているのだろうかとか、それらの謎は一つ一つ調べないといけないわけです。さらに関東大地震のこととか、大恐慌のこととか、国際政治のことが絡んでいることがわかってきました。

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とりあえず、デスマスクと少女時代の並外れたスポーツレディだった時の写真をここにおいて、調査中である証としておきます。

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なお、1928年8月2日は、アムステルダム大会で人見絹枝が800M走で銀メダルを取った日であると同時に織田幹雄が金メダルを取った日なのですが、3年後の同日、彼女は大阪の病院で亡くなっています。陸上競技で女子が次にメダルを取ったのは絹枝の後、64年後のバルセロナ大会のマラソン銀メダルの有森裕子ですが、奇しくもそれも同日8月2日。さらに有森は岡山市出身で、人見絹枝の生地から15キロほどしか離れていない場所で育っています。彼女も絹枝以上に波乱に富んだ人生を送っているのですが、現存している人のことを書くと、都合の悪いことが起きそうですし、何より物語性において重要な役目を果たす「悲劇性」につき、今のところ何もないわけなので、単なるサクセスストーリーにしかならないのです。あくまでも、「今のところ」ということですが。

東京公園(2011年映画)

2014-06-11 00:00:26 | 映画・演劇・Video
ワールドカップ録画用にブルーレイのディスクを片付けようと録画済みの各種映画の中を探してみたのだけど、若い人が亡くなるような話は嫌だなと最近起きたできごとから思って、もっとも平和そうなタイトルの『東京公演(2011年)』にしたのだが、しばらくみていると、若い人が亡くなった話の続きがこの映画で切り取られた時間なのだ、ということに気付く。

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さらに亡くなった亡霊は、成仏せずに、元いた部屋に姿を現すわけだ。さらに何らかの不幸を背負った人たちが、次々に登場する。

映画の中の女優や男優が、その不幸と向き合って生きていこうとするわけで、私も現実と向き合うしかないわけで、とにかく映画を観ることにする。

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血の繋がらない姉弟の愛、彼氏が亡くなって一人で生きていくのが怖い女性、それらの女性に囲まれた鈍感なカメラマン志望の男子大学生、奥さんと死に別れたゲイのマスター。そして、理由不明のままなのだが亡くなったあと彷徨う亡霊。

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映画全体を通して流れる別のストーリーである東京の公園めぐり(理由は最後に一応明らかになるが謎は残る)。

それぞれの人たち(&亡霊)の中で止まっていた時間が、動き出すことにより、ドラマは終わるが、それぞれに行方のしらない人生が始まる。

風呂敷に包めるかどうか?

2014-06-10 00:00:19 | 市民A
拉致問題をはじめとする日本人消息調査が日朝協議の末、決まりました。問題は成果ということです。別に、この件について安倍総理のやり方に反対とかいう立場にはなく、手段を問わずどんどんやるしかないテーマなので、とにかく成功してほしいと思います。

ただ、個別に本件だけの話ではないのですが、実際には、「第三の矢」「TPP」「農業再生」「個別自衛権」「領土問題」など、あちこちで大風呂敷を拡げたままなのですが、何一つ実効的な成果を得ていないというか、中途半端になっているわけです。むしろそれらの問題は、1センチも進んでいないというような気がします。

しかし、風呂敷と言うのは、拡げてしまった以上、なんらかの成果を得ないと、畳むわけにはいかないわけです。大いに心配です。

復興事業はぼちぼち進んでいますが、それは安部政権の成果とは言えないのではないかと思います。

岡山発新山口行

2014-06-09 00:00:02 | 企業抗争
JR岡山駅は、かなりの数の路線が通っています。「山陽本線」と「山陽新幹線」は当然ながら、高松方面に向かう「瀬戸大橋線」。古くは宇高連絡船につながっていた宇野行きの「宇野線」。備前焼や赤穂浪士の故郷だった方に向かう「赤穂線」。小説家あさのあつこ氏が住んでいるらしい津山市に向かう「津山線」。秀吉の中国大返しで有名な備中高松城のある「吉備線」。さらに本来は倉敷と鳥取県の米子を結ぶ「伯備線」も岡山駅から出発です。おまけに路面電車も岡山駅から二系列です。だから乗るときに、厳重な注意が必要です。「どうにもおえん」ことになります。

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で、山陽線の下り方面に止まっていたのが、派手な外装の電車。一瞬、目を疑いました。

広島カープの専用電車かと思いましたが、そんなはずはなく、「カープトレイン」というらしいです。岡山発、新山口行です。あとで調べてみると、岡山駅を16時17分発で、広島は19時08分。新山口には22時02分着です。6時間近い時間です。野球でいえばダブルヘッダー。ご苦労さまですが、よく考えると、岡山にはあまり広島カープのファンはいないそうです。タイガースのファンが多いそうです。要するに、岡山県は広島県と張り合っているわけです。県民性ですね。一緒にやろうとは思わない。たぶん山口県にも広島カープファンは少ないのじゃないかな。ホークスファンが多かったりするかも。

で、プロ野球の話ですが、今年は広島カープが好調ですが、実際には、数年前からセリーグの中での相対的地位は徐々に上がっていたようです。早い話が巨人が強すぎるようになると、他のチームの差が少なくなるようです(ベイは別です。東大みたいな存在。)。

でも、結局は最後には順位は下がっていくのだろうけど、マーケティング的には、ずっと1位を続けて最後に2位になる方が、ずっと2位を続けて最後に逆転して1位になるより成功ということになるのでしょうね。


似たような話が、マラソン選手のスポンサー企業。要するに先頭グループで目立つ時間が長ければ長いほどいいということなので、先行激走型を期待してしまうわけです。優勝者のスピーチが始まったころに三人抜かして8位入賞なんて、困るわけです。

とはいえ、企業の不祥事発覚なんてことになったら、逆に、「頼むからテレビに映らないように後ろの方で走ってくれ」とか、あるのかな・・

竹中大工道具館(転居前)

2014-06-08 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
竹中工務店は創業が慶長15年(1610年)。400年を超える歴史を持つが、江戸ではなく名古屋だった。そして実に289年後、明治32年に移転するのだが、移転先は東京ではなく神戸。このあたりの事情は不明。その兵庫県庁の近くにある本社の場所にあるのが「竹中大工道具館」。保持している所蔵品は25,000だそうだ。そのうち大工道具そのものは15,000点超ということで、とても展示することはできない。

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ということで、今年10月に新神戸駅の近くに移転するそうだ。となると慌てて旧館に行くのがミュージアムフリークの常だ。閉館時間29分前に行って、店じまいの邪魔をして入館する。

なにしろ、道具というのは、日々進化するものだ。古くは動物の骨が石器に変り、鉄が登場し、・・・・というのが世界中の人類の進歩だが、ほとんどの古い道具は、そのつどゴミ箱送りになる。

で、日本古来の大工道具や中国や西洋のノコギリとかカンナとか、それぞれの歴史上、地理上の都合で勝手に発展していたわけだ。

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ただ、やはり館内が狭いためか、なんとなくわかりにくい。

で、大工の知識は、あまりないが、よく「七つ道具」という言葉があるように、「のこぎり、かんな、墨ツボ、曲り尺、トンカチ、ノミ、きり」程度で家が建つのかと思っていたが(いや、思ってないが)、実際に何種類の道具が必要かというと、最低73種類、最高179種類ということだそうだ。開業するには大金が必要なことがわかった。七つ道具では、犬小屋もできないだろう。

木見金治郎の生家こそ、すぐそば

2014-06-07 00:00:19 | しょうぎ
弊ブログ2014年4月12日「大山十五世名人生誕地の謎」の中で、倉敷市のJR西阿知駅の近くの畳屋で生まれただろうが場所は特定できず、図書館とか大山記念館に行かなければ手がかりがない、ということになったのだが、実際に、倉敷市立図書館も大山記念館も徒歩15分内なので、調べにいく。が、大山情報については、元々は佐々木姓だったが、両親が親戚の養子になり大山姓になったこと。畳屋に生まれたのではなく、父親が花筵(はなむしろ)会社の役員だった(要するにサラリーマン)ということがわかる。ますます手がかりを失う。もっとも、大山ファンだったわけでもないのだから、すっかり忘れてしまえばいいのだが、・・

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大山記念館の前に、駒形の石碑がある。大山康晴、升田幸三などの棋士を育てた師匠である木見金治郎九段を記念するものだ。そして、その脇の石板に刻まれた文字を読むと、木見九段は明治11年6月24日に倉敷の稲荷町で生まれた、とされる。その後、上京し、関根13世名人の門下となり、苦労の末、八段となり、西下し、神戸を経て大阪に移り、升田・大山他の内弟子を育てたことになっている。

驚いたのは、生まれが稲荷町ということ。今住んでいるところの隣町。近いところは200m。遠くても600m位しか離れていない。

実は、木見九段のことについては、2006年に書いたブログ版「カール・ユーハイム物語」の中の一節に取り上げていた。バウム・クーヘンで有名なカール・ユーハイム氏が世界史の中を木の葉のように吹き飛ばされながら生きていた証を少しでも紹介したいということで相当な調査で書いたのだが、エピソードとして触れていた。

要するに、古鉄屋の家に生まれ、20歳ぐらいまではブラブラと真剣士だったようだが、関根名人に一蹴されたことから上京して、プロ棋士を目指す。一時は古鉄商を再開するも、神戸、大阪と転居し大阪でうどん屋を経営し、升田・大山にうどん屋の手伝いをさせていた。カール・ユーハイム氏とはチェス仲間だった。

で、不思議なのが、大阪でうどん店を開いたこと。倉敷でもうどんはよく食べるが、なんといっても讃岐系だ。一方、大阪もまたうどんの本場だが、だしの味はかなり異なる。大阪でうどん店を開くとは、どういう事情だったのだろう。

ということで、狭い町である稲荷町を歩いてみる。ただ、明治11年のことがわかるとは思わないが、町の雰囲気を感じてみたいと思っただけ。そういうので、色々と考えながら歩くと町の歴史や住民の歴史を読み解く感覚が磨かれてくる。本筋だけを一筆書きで歩けば30分。路地まで歩いても1時間程度だが、路地をうろついていると、結局、同じ場所を何回も通ることになり、直ちに「挙動不審者」の仲間入りとなり、おまわりさんと鬼ごっこやかくれんぼをするハメになる。もっとも、わざわざそうやっておまわりさんを誘い出して、警察署で事情説明をして、捜査能力を利用して古い情報を得る高等作戦もあるが、そんなに捜査能力が高いようには思えない。

で、歩けば、この土地に「うどん屋」がたくさんあることとか「製麺所」があることがわかる。古い家も多いが、かなりの土地が集約され大型マンションやスーパーになっている。最後だけ路地に入ると、曲がりくねっているし、ずいぶん50センチほどの石柱がたくさんあって、駐車場の囲いなどに利用されている。それぞれに文字が書かれていたりして、読みながら歩いているうちに気が付いたのだけど、どうも大きな神社があったのだろう。稲荷神社だ。だから稲荷町なのだろう。ある時になんらかの理由で神社がなくなったのだろう。そして神社にあった石柱を勝手に抜いて、周りの人が使っているのだろう。ばちが当たりそうな感じだが、気付いていないのかもしれない。

そして、再度図書館にいって念のため、電話帳を調べることにした。もちろん電話帳に非掲載の人も多数いるのだが、調べるだけのことはやってみる。残念ながら倉敷市には「大山」はたくさんいるが、西阿知方面にはいない。「木見」という姓は一人もいないのだが、・・

もっと奇妙なのは、明治の最初の頃は、倉敷市そのもののことを、児島郡木見村といっていたそうだ。何が何だかわからない。五里霧中だ。もしかしたら、賭け将棋をしていた時期に、木見出身の金治郎と名乗っていたのかもしれない。その仮説が正しければ、戸籍上の本名は違っているはずだが。


さて、4月19日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の出題。

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わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ正誤判断。

最下位メーカーいじめにも見える極ゼロたたき

2014-06-06 00:00:21 | あじ
サッポロビールの「極ゼロ」が販売中止になる。第三のビールで売っていたのが第一の(つまり本物の)ビールではないかと、国税から捜査されそうになり、「本当は違うと思うけど、税金を払った上、第二のビールとして作り直す」ということらしい。それなら、裁判を起こした方がいいと思う。勝てば払った税金に利息をつけて返してもらえるので、要するに訴え得になる。

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で、困ったことに極ゼロはプリン体0.00%、糖質0%と健康的でアルコール度数も4.0%と薄口である。あまり値段にかかわらず、よく飲んでいたのだが、どうなるのだろう。発泡酒になると、麦芽比率が下がるので、そこが心配である。

それに、ビール類を値段で選ぶ人にとっては、サッポロの第三のビールが減っても他社の第三のビールが増えるだけで、極ゼロが第二のビールになっても他社の第二のビールの売上を削るだけだろうし、国税にとって何も変わらないような気がする。

一説では、第三のビールを最初に発売したのがサッポロドラフト1だったので、サッポロを叩くチャンスを待っていたともいわれる。

ところで、ビールの節税商品は、いかにも庶民の味方商品のように報じられるが、これがガソリンや軽油に、それに近い製品をブレンドして税額を低くして売ったりすると、大問題というか犯罪者と呼ばれてしまう。飲食するものではなく、燃えてなくなるだけの製品なのに凄く不自然だ。ガソリン代の税金をセイブして、その差額金で第一のビールを買った方がいいと思うのだが、どうなのだろう。

一円の価値

2014-06-05 00:00:43 | マーケティング
一か月の休筆の後なので、指ならしに、ぐっと軽いネタからです。

先日、家の近くでTAXIに乗ったのです。何しろ、クタクタになることがあって、さらに腰痛も悪化して、・・

で、確か、料金は1,090円だったと思うのですが、1,100円を現金で払うと、おつりの10円と一緒に領収書をもらったのですが、後日、領収書の整理をしていて、驚愕したことがありました。


何しろ、格安料金です。

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合計 1円。

現金支払 1円。

しかも、貸切料金 1円となっています。1円でタクシーを借り切ったことになるのでしょうか。

今では忘却の彼方となっている経済用語である「デノミ」で、1,000円=1円になったのでしょうか。となると、1,090円を払ったことは、百九万円を払ったことになってしまいますね。

あるいは、タクシー会社には、売上1円と報告して、ポケットに1,089円を・・・

ゆるく、再開します

2014-06-04 00:00:24 | 市民A
さまざまな事情で、今は詳しく(いや、ほとんど)語れないのですが、「事実は小説並みに奇である」という事柄があり、1ヶ月間休みました。「小説並み」というよりも、視点を変えれば何種類もの小説が書けると思うので、一つの大小説の中に数種類の小説があるというような構造かもしれません。カポーティにそういうのがありましたね。書くにしても、ずっと後です。

ということで、毎日書き続けられるかどうかも未定なので、無断欠勤の日があっても気にしないでほしいですが、気分転換に文体もしばらくはテスト的に変えてみました。(書き溜めていた数日分は、以前の「○○である。それでなにか・・」というような文体なので、ゴメン。

といっても書くネタの種類は同じなので、文体の差は、「にぎり寿司」か「ちらし寿司」かの差みたいなものでしょうけど。

では、またあしたから。