芭蕉の蛙の裏の意味

2014-06-26 00:00:33 | 書評
新潮社の書評誌「波」に連載中の『芭蕉という修羅(嵐山光三郎著)』の2014年6月号に、ついに芭蕉の生涯の名作が登場。

古池や蛙飛こむ水の音

著者は、果たして蛙が水に飛び込む時に、どういう音がするかを当時の住居である深川の近くの水辺で研究したそうだ。もちろん、当時よりも蛙の生息数は少ないのだろうが、実際に蛙が水音を立てるのは聞いたことがないそうだ。池の上から飛び込み選手のようにポシャーンと音を立てては飛びこまない。池の端からするり、と音を立てずに水に入っていく。

ただ、音をたてて池に飛び込むのは、ヘビなどの天敵や人間に追われた時だそうだ。

で、芭蕉の人生と比べてみると、この句の成立の少し前に、深川の住居で大火事に遭遇している。その時は、かろうじて隅田川に身を潜めることにより九死に一生を得ている。おそらく、その時の恐怖感の表現を句に託したのだろう。また古池の「ふる」だが、単に古いということではなく、「ふる=経る」という古典的表現で、時間の経過を表現しているととれるそうだ。「大火があって芭蕉庵が消失して四年が経ち、当時と変わらぬ池に飛び込む蛙に、自らの再生を期したのだろう」と読めばいいそうだ。