知られざる日本の偉人たち(河合敦著)

2014-06-12 00:00:47 | 書評
「実は凄かった!世界に誇れる伝説の10人」と気持ち悪い副題がついています。「知られざる」という単語にもっとも相応しくない(忘れられかかっている、というのなら当たっていると思います)岡山県出身の人見絹枝の資料を集めている中で読んだ本ですが、この本に登場する10人とは、

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 早川徳次・・日本の地下鉄王
 知里幸恵・・アイヌ抒情詩を蘇らせたアイヌ女性
 早川雪洲・・ハリウッドスター
 人見絹枝・・日本人女性初の五輪メダリスト
 金子直吉・・鈴木商店の大番頭
 榎本健一・・喜劇王(エノケン)
 林董・・日英同盟を結んだ外交官
 津田出・・幕末の紀州藩家老格
 水野広徳・・戦前の反戦軍人
 高橋泥舟・・江戸幕末三舟の一人

この中で、本書で初めて知ったのが、知里幸恵氏と水野広徳氏。高橋泥舟を世界に誇れるとは言えないのではないでしょうか。武士の義理を通すため、他の二舟のように新政府の端役に入らず、一生無役を通しただけですが、たぶん彼以外にもいたのではないでしょうか。武士精神を最後まで貫き、函館の地で榎本武揚と別れ戊辰戦争により自分なりの決着をつけた土方歳三とは、格が違うような気がします。平家、北条家、豊臣家などが滅びる時には、それぞれ最後の戦いがあって、多くの武士が決着をつけていたのですが、足利と徳川は、そうじゃなかった。もともと武家ではなく農家出身の土方が、最も格好良く武士のけじめをつけたことなんかも、現代日本が無責任国家になった原因かもしれません。

それで、調査中の人見絹枝さんのことに一言触れると、単に1928年のアムステルダム大会で日本人女性初めての銀メダルを獲得し、3年後に亡くなった、というだけの話ではまったくないことがわかってきました。さらに、一般に手に入る彼女の伝記を読んでも、いくつかの疑問が湧いてきます。

うっすらと調べただけでも、彼女は選手であり、かつ新聞記者だった。歌人でもあった。三段跳び金メダリストの織田幹雄氏と親しかった。というような一般的な話だけではなく、讃美歌をよく歌っていたとか、25才でたぶん結核で亡くなったあと、すぐにデスマスクをとられたことが問題になったり、葬儀についてトラブルがあったり、結局、彼女の墓が岡山にあるのか、青森県の八戸にあるのかというような問題があるのが見えてきました。

さらに、当時は、五輪の他に、「女子五輪」というのがあって、五輪と女子五輪の関係はどうなっているのだろうかとか、それらの謎は一つ一つ調べないといけないわけです。さらに関東大地震のこととか、大恐慌のこととか、国際政治のことが絡んでいることがわかってきました。

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とりあえず、デスマスクと少女時代の並外れたスポーツレディだった時の写真をここにおいて、調査中である証としておきます。

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なお、1928年8月2日は、アムステルダム大会で人見絹枝が800M走で銀メダルを取った日であると同時に織田幹雄が金メダルを取った日なのですが、3年後の同日、彼女は大阪の病院で亡くなっています。陸上競技で女子が次にメダルを取ったのは絹枝の後、64年後のバルセロナ大会のマラソン銀メダルの有森裕子ですが、奇しくもそれも同日8月2日。さらに有森は岡山市出身で、人見絹枝の生地から15キロほどしか離れていない場所で育っています。彼女も絹枝以上に波乱に富んだ人生を送っているのですが、現存している人のことを書くと、都合の悪いことが起きそうですし、何より物語性において重要な役目を果たす「悲劇性」につき、今のところ何もないわけなので、単なるサクセスストーリーにしかならないのです。あくまでも、「今のところ」ということですが。