はげたかの味覚は?

2012-01-16 00:00:11 | あじ
新潮社の書評誌「波」に連載中の椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』の第四回、23年12月号の小文はチベットのこと。その末尾に有名な鳥葬のことが書かれている。

今まで、鳥葬というと、死者を山の上に運んでおくと、大小の鳥類がつついて、そのうちに後片付けに行くのだろうと思っていたのだが、椎名レポートを読むと、そんなに生易しいことじゃないようだ。

まず、鳥葬に集まってくる鳥は、「はげたか」だそうだ。かなり大型の鳥だ。そして動物の死肉が好物である。地球上を覆い尽くすような大災害が起きた場合、はげたかだけが生き残るといわれている。そして、遺体は「まないた岩」というまないた状の岩にうつぶせに乗せられる。その段階ではげたかが群がってきて、追い払うのが大変だそうだ。

そして、鳥葬士という職業の人間に、背中をまっすぐ切られて内臓を取り出される。うなぎみたいだ。そして、細かく切り分けられるそうだ。食べやすいようにだ。骨はハンマーで砕かれ、麦の粉で作るナンにくるんで食べやすいようにされる。

そして、数十分ではげたかは食事を完了する。後には何も残らない。他の土葬や火葬に比べて葬儀料金が安いそうだ。

ところが、最近、チベットにもジャンクフーズが押し掛けてきて、そういった自然界にない味のものを食べ続けた人間の遺体を、はげたかが食べ残すということが起きているようだ。

というのは椎名誠氏の意見なのだが。本当は違うのではないだろうか。

確かに、人間が食べる肉牛だって、エサの種類によって味が変わっている。

はげたかが食べ残すというのは、味がケミカルっぽいからではなく、まだ、その味に慣れていないということなのだろうか。

クリムトとウィーン

2012-01-15 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
クリムトの絵画をもっと知りたくて、とりあえず図書館で画集を借りてくる。

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昨年紹介した「もっと知りたいクリムト」よりも、もっと包括的な捉え方をしている。世紀末のウィーンの興亡といった視野も感じる。

要するに、分離派といわれる美術界の革新勢力を育てた背景には、ユダヤ系実業家の財力があった、というようなこと。

そして、本書では、クリムトを「色彩のエロティズム」といとも簡単に断定している。まあ、早い話がそうかもしれない。

世紀末のウィーンといえば、フロイトなのだが、実際にフロイトと交際していたことはないらしいが、クリムトの絵画には、人間の精神の底流が渦巻いているのは間違いない。「生と死」「人間の愛慾」「神話の中のエロス」「同性愛」。これらの素材を、とても地上とは思えない神秘的な背景、あるいは夢の世界とも言い換え可能な心象風景の中に描き出す。

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しかし、画集や解説書を見れば見るほど、クリムトの絵画をナマで見たくなるのだが、それは、まったく難しいわけである。

追記:ウィーンと言えば、音楽とともに有名なのがケーキである。音楽についていえば、べートーベン、モーツアルトの時代から100年後にクリムトが寵児となった。ケーキについていえば、ケーキのデコレーションのデザインについては、たぶんアールヌーボーが大いに参考になっているものと推測する。

棋士人生をかけた最後の檜舞台?

2012-01-14 00:00:54 | しょうぎ
別に、退役棋士がコンピューターソフトと将棋対局をしても、たいした衝撃感はないのだが、本日(1月14日)10時から行われる「米長邦雄対ボンクラーズ」への最大の違和感は、本企画のタイトル。


「棋士人生をかけた最後の檜舞台」

なんというか、「最後」という言葉を安易に使っているが、良く考えると、人間側には自信がないのだろうか。

もし勝つ自信があれば、今年はもとより何年か先まで見据えて、挑戦者(コンピューター)を挑発するように、「何回でも、かかってこい」と言い放てばいいのではないだろうか。

翌年の登場選手は若手の気鋭のようだが、すでに来年は人間側のリベンジ戦みたいだが、自信があるなら、来年はもっと前に引退したロートルの元棋士でも登場させればいいのではないだろうか。


さて、12月31日の出題作の解答。

d12


▲9一角 △同玉 ▲8一銀成 △同玉 ▲7三桂 △8二玉 ▲9一角 △同玉 ▲8一金まで9手詰。

9一に二回の角捨てを行う。6一の銀を除去すると、また別の感じで詰む。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題だが、2008年8月の詰将棋パラダイス誌に掲載された弊作7手詰の長めの姉妹作。

0114



序の部分は同じようだが、簡単には終わらない。こういう作品を(再)投稿すると、自作盗作疑惑になるので、なかなか発表するのが難しいことになる。一応、7手詰作も掲載しておく。

わかったと思った方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

7手詰作(詰パラ2008年8月号弊作)

7tetume

都会のボヤ

2012-01-13 00:00:12 | 市民A
あとほんの数ヶ月で、今の勤務先から変わることになっているので、いくつかの心残りの上位にあるのが、新橋地区での食道楽の未完結さである。といっても、食べるところは無数にあるので今更、全部制覇しようなんて、思わない。

kusikatu


ただ、一つだけ「ここには、行かねば」と思っていたのが新橋烏森(からすもり)通りにある串かつ屋である。いつもお昼時には満員なので、ちょっとフライングしなければならないのだ。

そして、そのフライングしてまでも行きたい串かつ屋に向かうことになるのだが、途中途中の交差点を消防車が走っていくわけだ、そして幅の細い烏森通りにはビッシリと10台近い消防車が並び、消防隊員が走り回るのだが、どうも厭な予感が漂う。

そして、ついに消防車が包囲したビルに到着したのだが、その出火元が、行こうとしていた「串かつ屋」だったわけだ。

消防隊員から状況を聞くと、フライを揚げる油から出火したらしい。営業再開のメドはない。


やはり串かつ食うには、大阪天王寺から通天閣まで、各種潜伏地である大阪市南部にいかにゃあかんか、と思ったりしている。

それと、ここ数年、自分の歩き回る場所に事件がいろいろと起きるように思うことが何回かあったのだが、また始まったのかなとか。

犯人隠匿罪は適用になるのか?

2012-01-12 00:00:12 | 市民A
どうも不思議な展開になっていく。平田容疑者が現れたと思えば、次に元女性信者が登場。大崎署が夜間に閉鎖されているらしいので。今度は昼間に出頭。

考えれば、あまりに急ピッチで手際よく話が進む。17年も捜査しても杳として行方が知れなかったものが、急展開である。

妙な言い方になるが、平田容疑者が31日に出頭する時に、長い髪を切り落として短髪のサラリーマン風で登場すれば、足取りをつかまれなかったのではないだろうか。というよりも、足取りをつかまれないようにしているのかどうかもよくわからない。

だいたい、平田容疑者を有罪にできるのだろうか?指名手配する位なのだから、証拠がたくさんあるのだろうが、それにしては教祖や幹部(死刑囚)に証言を求めようというのだが、どこまで信憑性があるといえるのだろうか。

だいたい、女性元信者を有罪にできるのだろうか?犯人隠匿罪について、まず時効の点だが、隠匿をはじめた時から起算すれば、とっくに時効であるが、検察は、隠匿を続けていた期間が現在につながるので、時効は成立しないとしている。

ところが、犯人隠匿罪は刑法103条、証拠隠滅等については104条だが、刑法105条では、親族についての適用について規定されている。

第105条
前2条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。


つまり、女性元信者は14年間も同居していて実質的に内縁関係にあったとみられるわけで、「親族」ということになれば、「刑を免除することができる」ということになる。

14年間の最初の年や次の年であれば、まだ内縁状態ではない、ということになるのだろうが、その頃に有罪状態だったとしてもその状態は時効である。時効は2年なので、同居12年目の状態を内縁状態と言ってしまうのか、あくまでも内縁状態では親族ではない、と言えるのか、長くなりそうな話である。

ともあれ、この二人で完結している話のようなので、残る二人の容疑者は、当面、出てこないだろうと思うのだが。平田容疑者が出てきた原因として、東北の震災被害をの実情を知って次のようなことを思ったとされている。

俺って、何やってんだろう。


ホントのところ、自分だってそう思うことが多い今日この頃なのだけど・・・

国民投票の勧め

2012-01-11 00:00:28 | 市民A
ここ何年も(いや本当は何十年もかもしれないが)日本の政局が麻痺している。

たとえば、311の後だって、何にもできていないといってもいい。ガレキ処理だけ。早くも家を建て直しているのは、地震保険に加入していた個人が保険に自己資金を上乗せして建て直しているケースが多いそうで、政府の資金がどうなっているのもよくわからない。

近所の噂好きの男性美容師によれば、いわゆる大工さんがボランティアのつもりで現地に応援に行ったものの、8,500円の日当で働いているうちに、公的資金は25,000円も出ていて、途中段階で目減りしていることを知って腹を立て、横浜に戻ってきたとか・・

消費税増税に反対と民主党から離党して「きずな」という神聖なコトバを政党名に選んだ人たちと、「消費税反対」ということのみが一致するだけで共闘しようというような軽薄政党もあるらしい。

もともと自民党だって民主党だって、党内に色々なことをいう人がいるのだし、そもそも中選挙区制から小選挙区制に変わったという方向だって、大間違いだったのかもしれない。選びたい候補者がその選挙区にいなければ、投票しなかったり、不支持政党の候補に投票したりすることになる。

つまり、現代の世界や日本には、抱えている問題が多過ぎるわけで、それぞれの課題についての議論は、それなりに個別に正論がいくつもあって、個人としての一市民が、すべて納得できるような政党は存在しないだろうということ。

そこで、「政策別国民投票」ってどうなのだろうかということ。

法的には、日本の国民投票というのは憲法改正に限られている。

ただ、実際に憲法改正をどのようにやるかというのは大問題だし、もともと第九条にかかわらず、憲法って守られているのかという問題すらある。基本的人権については、かなり執拗に記載されているのだが、日本に不当な差別はないのだろうか。大量にあるような気がする。では、日本は左ではなく右なのかというと、そんなこともない。憲法を軽く読んだだけでは日本が資本主義の国であることに気付かないのではないだろうか。わずかに個人の財産権が認められていることで、経済活動の自由が保障されていると解されているだけだ。

また、憲法の記述に、基礎的な法律用語のミスが多いのはよく知られているが、元々の英語版を放置して時間稼ぎしているうちに、マッカーサーからカミナリが落ちて、拙速に翻訳するハメになったからだ。これなんか直すのに国民投票する意味なんてない。


現代的課題として、たとえば消費税は、10%なら国民の50%の理解はあるが、25%となればどうなのだろう。現在はマスコミの世論調査を政策立案の参考にしているのだろう。(新聞社にとっては、新聞が非課税になることがもっとも重要なことらしいが)

原発問題だって、TPPだってそうだ。一票の格差、死刑廃止問題、皇位継承、定年延長問題、対中政策・・・・・

要するに、そういう大問題についての民意を問うため、欧州のいくつかの国のように個別政策について国民投票をしてはどうなのだろう。単に総選挙の勝ち負けでは、個別問題についての民意は計れないような時代なのではないだろうか。

そして、別に法令で国民投票の結果を政策に義務付けなくてもいいのではないだろうか。実際には、政策にはベストミックスというのがあって、それを選ぶのが政権党の役目なのだろう。だから、憲法ではなく、一般法の範囲で行えばいいのではないだろうか。さらに、設問は、イエスかノーかの二択でなくてもいいのかもしれない。


もっとも、原発問題だって、増税問題だって、そもそも政策選択の幅なんてなく、既に、なるようにしかならないという説もある。消費税増税だって、「消費税で貧乏人がさらに困窮する」という説や「消費税を導入するとデフレになる」という説があるが、実際には、「困窮し、さらにデフレにもなる」ということなのだろうが、それを避けるすべもない、ということなのだろう。

初詣、ついでにEXPASA

2012-01-10 00:00:33 | 市民A
今年最初の連休に、寒川神社に初詣に行く。すでに厭なことが5個以上、10個以内程度発生しているので、早くもゲン直しである。

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で、結構混雑している。例年よりも混んでいる感じだ。神社側も、まとめてお祓いをしてくれようということらしく、神殿の最後方から場外に落っこちそうな人もいる。世間に厭なことが早くも充満しているのだろうか。それに、暗い世相風に黒いコートを着ている人が多い。これが中華圏だと、金運を願う黄色や赤が氾濫するのだろう。

まあ、開運熊手を購入し、おみくじで末吉を引き当て、民間駐車場という名前の空地で500円を払って(所得として申告されないだろう)、早々に失礼。

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帰りに、一部で話題の海老名SA(上り)の、EXPASAへ立ち寄る。こちらも人混み。買い物よりも見物といった感じの人が多い。あまり売れていないような気がするがどうなのだろう。レストラン多数ほかデザートなど食べ物系が多い。成城石井なんかも入っていて、海老名SA特製の「肉まん」と「エビまん」が売られている。「肉まん」は、高座豚というご当地銘柄なのだが、ちょっと食欲なく、399円の「エビまん」を購入。ディスプレーではプリプリの「エビ」が大量使用されていたのだが、実物は大違い。小エビ少々、である。

後で、なぜ「エビまん」がご当地なのか考えたのだが、たぶん「海老名」の語呂合わせなのだろうか。こんなことでメゲては、今年を乗り切れない。


ところで、首都圏に名古屋方面から東名で帰ってくると、御殿場のあたりで、とりあえず「ほっと」するらしい。江戸時代の旅行で言えば、いわば「箱根越え」みたいなものだろう。ところが、伊豆箱根方面から帰ってくると、厚木インターあたりで「帰ってきた感」が感じられるようだ。そういう意味で、これから都会に向かう前の一服ということで、厚木にある海老名SAで、旅の資金の残りを使わせようということらしい。

江戸時代にも同様な宿場戦略を取ったのが品川宿。江戸から西下する時にいきなり品川で泊まる人はいないが、帰ってきたときには、ここで疲れて汚れた体を洗い直すついでに、一泊、二泊して、余った路銀で女郎衆と遊ぶことが多かったようだ。

品川遊郭は、旅の帰りに限らず、公認岡場所であった吉原で身分を知られたくなかった江戸の風流人たちが愛好していたのだが、ことの善悪はともかく、その方面では、人間の所作って、たいして進歩しない。(品川には、高速道路の出口はないし、岡場所があるのかどうか知らないので、念のため)

東條英機 処刑の日(猪瀬直樹著)東條英機 処刑の日(猪瀬直樹著)

2012-01-09 00:00:19 | 書評
まず、本書は2009年に刊行された『ジミーの誕生日』を文庫化した時に、改題したもの。うっかりして、別の本と勘違いして買ってしまうと、かなり悔しい気持ちになる。もっとも、年を取ると悔しい気持ちも半分くらいになってしまうし、もっと年を取ると、同じ本だと気付かないまま読み終わってしまうのだろう。



で、改題の内容だが、ジミーこと現天皇(終戦時には皇太子)の誕生日である12月23日を選んでA級戦犯の絞首刑が行われたのが昭和23年。その当時の状況を猪瀬直樹氏が徹底調査を行っている。

本書で書かれているように、皇太子誕生日と処刑の日が同じであることを知っている人はほとんどいないとされているが、実際、私は知っていた。知っているから、「なぜ」という気持ちになり、それで本書を読むのだが、実際には、その結論だけを知りたいがために本を買うと、ちょっと残念なことになる。むしろ戦後直後の日本の世情を詳しく知りたい人に向いているのかもしれない。

マッカーサーが厚木基地に飛来する数日前まで飛行場を襲おうと計画していた部隊もあるし、マッカーサーが到着するや、すぐにサンドイッチの差し入れを行ったり、芸者の手配をしようとして断られたりと、そこのあたりが面白い。

ミズーリ号での降伏文書署名の全権である重光葵外相が、艦船の上で、あまりの消耗に水を所望して断られたところは、石田光成が関ヶ原の敗戦のあと、捕えられて処刑場に向かうところで茶を断られたことと似ている。

東京裁判の全貌については、児島襄氏の名著「東京裁判」があるため、誰が何を書こうが二番煎じの感があるのはしかたないとして、それなりに面白い。

憲法制定の段では、白洲次郎について、本書では、まったくコケにされているのだが、別の本でもそういうことを読んだことがある。


23年12月23日に処刑されたのはA級戦犯7人である。例のカルト集団では13名が「待ち」の状態となっている。

横浜の遺跡展

2012-01-08 00:00:01 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市歴史博物館で開催中(~1/9)の横浜の遺跡展。市指定文化財である。

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ただし、中世の文書類についていうと、横浜にはたいしたものはない。東国の歴史の中心は鎌倉である。その後、江戸が日本の中心になり、幕末に漁村から突然国際都市に格上げになったのが、横浜の歴史の実態。

むしろ、歴史博物館のある横浜市北部が有名なのは、弥生時代後期の集落や住居の跡が多数残っていることだろう。この弥生時代後期というのは、中国の歴史書でも「倭国大乱」と記載されているとおり、知られざる戦国時代であったと考えられている。

このあたりでは東京湾岸系の弥生式土器と北部の朝光寺原系土器が、まったく重ならずに存在することから二大勢力があって、その中で双方ともにいくつかの集落に分かれて住んでいたことがわかっている。そういう小集落が500年近く存在したらしい。考えてみれば当時の寿命って30歳くらいだっただろうから、同じ集落内で婚姻が行われ、土器の種類もグループ毎に異なって受け継がれている。

とても考えにくい社会だったのだろうか。

そして、どうも東京湾岸系の方が生き残ったと考えられている。戦争があったのか、あるいは何らかの原因で自滅したのだろうか。あまりはっきりさせない方がいいのかもしれない。


実は、同時開催の「平成23年度 横浜市立学校総合文化祭」の中学校社会科作品展がすばらしかった。夏休みの宿題らしく、「四国お城回り」というようなのもあるし、「祖父に聞いた戦争体験」とか「近隣のラーメン店の経営を取材」というのもあった。ラーメン店の利益の秘密を明らかにしようということだ。

中学生、おそろし。

将棋と議員

2012-01-07 00:00:00 | しょうぎ
将棋文化振興議員連盟のことでも書こうかと調べてみると、入会者は100名を超えているらしい。超党派ということになっていて、何回か集まりをもっているようだ。

国家予算の中からの資金集めのためとしたら、まったく遺憾なことであるが、判別がつかない。

予算があるところ、民が政・官の権力になびくのは世の常ではあるが、むしろ、暇な議員が多過ぎるということであろうか。

ただ、先生方に有段免状を乱発するのは、みっともないからやめた方がいい。正規料金で段位にたどりついた人たちへの説明責任はないのだろうか。



さて、12月24日、出題作の解答。

c12


▲4三角 △1一玉 ▲2二と △同玉 ▲1三角 △1一玉 ▲2三桂 △1二玉 ▲2一角成 △同玉 ▲3一角成 △1二玉 ▲1三とまで13手詰。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

0107


チマチマと長い。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、ありがたい。

月の夢

2012-01-06 00:00:16 | 市民A
年末の予想では、ヒドイ初夢を見る予測だったのだが、予想に反して「月」の夢を見る。

たぶん、年末にあった月蝕の撮影で苦労したことと、その時、日蝕の時になぜ太陽と月が同じ大きさになるのかと思ったものの、そのまま調べなかったことが深層心理に影響したのだろうか。


そして夢の内容は、月でエネルギーを作り出すことだったのだが、本当に驚いたのは、夢を見たあと、ネットを開くと清水建設が、「月太陽発電 ルナリング」構想をぶちあげていたことだ。

luna


エネルギーのパラダイムシフトによる新たな持続型社会の実現を目指して

地球上の限りある資源を節約しながら使う・・・ というこれまでのパラダイムから、無限に近いクリーンエネルギーをつくり出し、潤沢なクリーンエネルギーを自由に使うという発想へのシフト。独創的なアイデアと宇宙技術の研究開発によって、それを具現化したのが「月太陽発電 ルナリング」構想です。

月発電所の建設には、月にある資源を極力活用します。

月の砂は酸化物なので、地球から水素を持ち込めば「酸素」や「水」をつくることが可能です。また「セメント」ができれば水と砂・砂利を混ぜてコンクリートに。そして、太陽熱を利用し、ブロックやグラスファイバーも製造することができます。

要するに、月の資源を使って太陽光パネルを作って、それを月の赤道沿いにベルトにして太陽光発電をして、地球にはレーザー光線でエネルギーを送るという構想で、作業はほとんどロボットが行うということだそうだ。

夢なのか現実なのかよくわからないが、作業員がロボットというのが実現できるなら、月面の前に地球上の労働者が全部失業しているような気がするが、雇う方からいえば、人間よりもロボットの方が、疲れたとか風邪をひいたとか文句は言わないし、交際費も使わないからずっといい。

ただし、地球にレーザービームを送るといっても月と地球の位置は刻々と変わるので狙いが外れると地上で大火災が発生するかもしれない。


となると、私の初夢と同程度の話かもしれないが、私の夢はもっと素晴らしいアイデアだった。それは、月そのものを太陽のように核融合反応させてしまおうということで、月の中心部に水素を注入して月全体を燃やしてしまおうということ。小さいとはいえ、燃え尽きるまではかなり時間がかかる。地球上の石油を燃やしつくしても平気なのだから月が燃えてなくなってもどうってことないだろう。


で、ここで、地球からみると月と太陽が同じ大きさに見える理由なのだが、これが「偶然」なのである(偶然でなく神が定めたという人もいるだろう)。

まず、地球から太陽と月までの距離と、太陽と月の絶対的な大きさなのだが、距離は太陽までが1億5000万Km、月までが38万Km。約400分の1である。一方、直径だが、太陽が139万2000Km、月が3500Km。約400分の1。つまり400倍大きな物体が400倍遠いところにあるので同じに見えるわけだ。だから太陽-月-地球と並んだ状態では、ダイヤモンドリングみたいに見えたりするわけだ。

一方、月蝕のことだが、良く考えると太陽-地球-月と並んだ状態で、太陽からみて地球の影が月をどこまで隠すのかということに言い換えられるのだが、太陽から見れば月も地球も同じくらい遠い距離なので、単に月と地球の直径差が問題になるわけで、地球が月の約4倍なのである。だから、月蝕の方が起きやすいし、決してダイヤモンドリング状にはならない。(もっとも、毎日の月の満ち欠けを地球の影のせいだと思い込んでいる人もいるようだが、まあ、論外としておく)


ついでに太陽の構造についても調べたのだが、核融合反応が起きているのは太陽の中心部だそうで、そこのエネルギーが太陽の表面から発散されるまでに内部のメカニカル的問題で、10万年必要だそうだ。だから、太陽内部に何らかの問題が生じたとしても、太陽系が死滅するまで10万年の余裕があるともいえるが、それは、あっという間なのかもしれない。(10万円がなくなるのよりは、ずっと長いといえるけど)

昨年100冊目「持ち重りする薔薇の花」

2012-01-05 00:00:04 | 市民A
昨年の100冊目は、ついに12月30日に読み切ることになった。毎年のノルマも結構きつい。年初に結構重い本を読んでいたり、大震災で読書の気分になれなかったこと。個人的に重要なできごとがあったこと。年末に島田雅彦の無限カノンシリーズを読んだことなどが苦戦の原因かも。

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そして100冊目に選んだのは、丸谷才一著『持ち重りする薔薇の花』という小説。著者久しぶりの小説である。実は、彼の小説は、ほとんど(たぶん全部)読んだことがあって、ファンの一人ということなのだが、なんとなく名作と呼びがたいところを感じてしまう。軽作というコトバがあればちょうどいい。

振り返れば、若い時に書いた『笹まくら』。緊迫感があふれている。『たった一人の反乱』もそうだ。『横しぐれ』。『裏声で歌へ君が代』。私の中では、ここまでかな。

『女さかり』、『輝く日の宮』。そして本作。たしかに上手いのだが力強さがない。元経団連会長とか世界的な日本人弦楽四重奏団の醜聞を書いても、ゴシップ好きのクラシック音楽ファンで、かつ財界人というのが正しい読者層なのだが、果たしてそういう条件を満たす日本人が何人いるのだろうか。

あるいは、本作の中で、語り手である元会長が、「すべては関係者が亡くなってから発表してほしい」と編集者と取り決めることからして、全編に「老いの影」が漂っている。取材済みの題材を使って、何かラストラン的な片付け作業をはじめたのだろうか。

平田容疑者出頭のこと

2012-01-04 00:00:27 | 市民A
12月31日深夜、警視庁に出頭した容疑者に、出頭場所が違うと警察内部のたらい回しをした機動隊員の将来を考えると、ちょっと悲しくなるが、彼の16年間の逃亡は終了した。

まず、彼を匿う組織が厳然と存在し、まったく微妙なタイミングをはかって登場した事実からして、かなり不気味な感じがする。また、すでに有期刑の判決を受けた元受刑者達も既に出所しているわけだ。

出頭した時点から逆算的に背後組織を捜査するのだろうが、かなり計画的にあらわれたことからして、解明は難しいのではないだろうか。

出頭した理由は、一つには長官狙撃事件が時効となり、さらに、いわゆる三大事件(坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件)の関係者ではないとされていて、量刑の想定も可能だからなのだろう。

そして、一説には松本(麻原)教祖の極刑が近いと感じて、時期を延ばすため、とも言われている。仮にそうだとすると、年初の早い時期に執行されるという詳しい情報を得ていたはずで、事実なら、これも驚きである。

実は、年末に、戦後の死刑囚の執行についての一覧を見ていて、刑の執行について、気付いた点がいくつかある。

1.共犯者が逃走していると執行されない
2.共犯者のある事件では、共犯者全員が同一日に執行される

という二点である。

そういう意味では、平田、高橋、菊地の3名が逃亡している中で執行するのは過去の慣例からはずれているし、オウム真理教裁判で死刑が確定したのは13名である。13名同時に執行する予定だったのだろうか。

また、最初に教祖一人を対象とするつもりだったのだろうか。


なんとなく感じるのは、三大事件の最初にあたる坂本弁護士一家殺害事件の関係者6名(含む教祖)に対しては先行するのではないだろうか。逃亡者3名(現在2名)はこの事件との関係はないとされている。

そして、本件に最終的な決着がついた段階で、やっと死刑廃止論についての議論が始まるのだろうと思う。

正月の酒

2012-01-03 00:00:04 | 市民A
この正月は、各種の酒を用意して、単にボーっとしていることにする。

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瑞泉・・割と有名な泡盛。いかにも泡盛的な味。暮れに川崎の沖縄料理店で、この酒で杯を重ねたのだが、沖縄のことに思いをめぐらせる。沖縄は沖縄なのか、日本なのか、米国なのか。あるいは、世界の秩序のカギなのか。ただ、琉球王朝って江戸幕府よりも中央集権的かつ封建的だったようだ。問題は、明治時代以降終戦に至るまで、沖縄人が差別されたこと。

高島雄町・・岡山の酒。山田錦の原種である雄町米を原料にしている。かなり酒くさい。雄町種は、稲の高さが2メートルにも伸びるため、西日本が台風銀座だった数十年前には栽培できなかったそうだ。一時、ほとんど絶滅しかけていた品種が生き返り、古くて新しい酒が現代によみがえった。原種ブームで、江戸時代から残る旧家の蔵の中から探し出したコメ粒を遺伝子工学で復活させようということも行われているそうだ。

先日、アメリカ産のポテトチップスというのを袋で買ってきて食べてみたのだが、味にはむらがあるし、だいたい大きさが不揃いで、板状でなく丸まっていたりする。確かに日本の食品は、海外品に対して素晴らし過ぎるのであって、品質や味の点では間違いなく世界最高。追随できるものがないため、理解されにくいし、価格もかなりの割高になる。といっても輸出を始めれば、確実に売れてしまうだろうと思うのでTPP反対論なんか、まったく勘違いと思うのだが、個人的には、おいしい味は世界に紹介しないで、私だけの秘密にしておきたいことが多い。

シーバス・・長く酒を飲み続けて、酒遍歴の末、シーバスに戻ってきた。「お帰りなさい」とは言ってくれない。「今まで、どこへ行ってたの」と言われそうだ。シーバスかタラモア・デューを水割りシングルでゆっくり飲む。肩の力を抜いて、自分史でも考えてみる。来し方行く末。自分の未来が予測できるようになっちゃ、もう、たいしたことない。

ところで、実は、既に二本は年末に封を切ってしまったのだが・・

除夜の鐘を響かせる

2012-01-02 00:00:01 | 市民A
12月31日、夜11時過ぎ、除夜の鐘を撞くために出発する。徒歩30分のところにある天台宗の寺院に向かう。天台宗は宗派違いなのだが、特に大震災で亡くなった2万数千人の方々の無念を思いながら年を越えようと、あえて宗派を超えて祈念に向かうことにした。思えば3月11日の日に、あえて都心から30キロ歩いたことも、被害者への心のアプローチであったのだが、さらにその続きでもある。

とはいえ、夜道は冷たく、さらに犬の落し物などあって歩くのはつらい。コンビニにはマユゲの欠落したオニイチャンたちがタムロしていて目を合わさないように歩く。

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そして、やっと目的の寺院に到着した11時半から鐘撞きが始まった。既に人の列は長い。墓地の中に列を作り順番を待つ。しかし、鐘は煩悩の数と言われる108回だけ撞かれるのではなかっただろうか。どうみてももっと大勢が並んでいる。みるみるうちに後ろにも人が繋がる。立ち話が耳に入ってきたが、「YOKOHAMA WALKER」誌に鐘の撞ける寺、と紹介されていたそうだ。(翌日の町の噂では600人、朝の3時まで続いたそうだ)

ところで、煩悩だが108というのは、煩悩の種類だそうで、すべての人がそれだけの俗っぽい悩みに取り憑かれているわけじゃない。逆に煩悩から解放されるために仏門の修行があるのではないだろうか。

自分の場合、概ね10個程度の煩悩があるように思うが、実のところつきつめればもっと少ないのかもしれない。5個位か。さらに、いくら鐘を撞いても解決できないだろうとも思うわけで、自分のことはさておき、東北の犠牲者の無念に心を集中させることにする。

そして、お約束は、鐘1個と決まっている。一人で5つとかいうわけにはいかない。となると、鐘撞きの瞬間に気を集中させなければならないのだが、これが各人各様の撞き方なので結構個性的に難しい。鐘木(鐘突き棒)と鐘の振り子運動のタイミングを間違えて、かすったような小さな音しか出ない人や、明らかに自分の私欲を叶えようと意地汚く鐘が割れるように力いっぱい撞く人もいる。

なんとなく、ゴルフのスイングのタイミングと同じだなあ、ということに気付いて、自分の番になりバックスイングを大きくとって、最後は鐘木を放り出すようにして、ぶつけると音は高からず低からず大きからず小さからず。予想していたよりも上手に鳴り響いてくれる。すかざず、わずか数秒の祈念ではあるが、犠牲者の心に一歩だけ近づけたのではないかと感じた。

こうして、暗闇の中で2012年が始まった。