漱石「猫」2

2012-01-30 00:00:49 | 書評
『吾輩は猫である』の2回目。長編の中盤に差し掛かった。

ちょうど、中ごろになって、文章のちょっとした癖で漱石らしさを感じられるようになった。ただ、猫以外の小説はほぼ読んでいて、新たに初期作品の猫を読んで漱石らしさを感じるということは、漱石文学の原点が、本作に凝縮しているということだろうか。

neko2


しかし、古今東西の文学史にも例をみない、この猫を語り部にした文明否定エッセイ風の小説だが、ガリヴァ-旅行記がテキストにでもなっているのだろうか。

感心したことはいくつかあるが、文中に登場する「実業家の三角法」。義理をかく、人情をかく、恥をかく。三つの「かく」が必要だそうだ。

逆に、ちょっと漢方医を馬鹿にしたところがあって、当時は風邪をひくと「葛根湯」を飲むことになっていたようで、もっと科学が進歩すれば西洋医学の薬を飲むことになるだろうと、書いているが。私は、いつも風邪をひくと「葛根湯」を飲んでいる。100年で何も進歩していない。

ところで、100年以上前に書かれたこの猫だが、私はほとんど読めるのだが、もっと後世に生まれた人たちでは、たぶん意味がわからないという表現が多そうだ。若い人から見れば『漱石』を読むことは、私が『西鶴』を読むの同じようなことなのだろうか。


そして、この物語が最後にどのように終わるのか。なんとなく不安をもっている。ハッピーエンドにはならないような気がする。厭だな・・