モンゴル・アマゾンの葬式のこと

2012-01-25 00:00:44 | 書評
椎名誠が新潮社の書評誌『波』に「ぼくがいま、死について思うこと」という連載を始めて、新年号で第五回なのだが、第一回の時に自分が人間ドックに行ったことを書いたので、自分の死生観について書き続けるものと思ったのが間違いだったようだ。今のところ、世界の葬式紹介シリーズになっている。

12月号ではチベットの鳥葬についてであったが新年号ではモンゴルの風葬を取り上げる。まことに新年号にふさわしいテーマだ。次回の予告がさりげなく書かれているが、ジャングル葬とかやぐら葬らしい。

まず、風葬というと心地良げに聞こえると思うだろうが、実際には鳥に喰わせるわけじゃなく、荒地に置き去りにすること。簡単に言うと、「野ざらし」。訳した時のコトバのあやみたいなもので、原語では「テングリド・オルショーラハ」といって天に葬るということらしい。鳥だけじゃなく獣も葬儀に参加OKということらしい。

さらに、幼児や胎児がなくなった時には袋につめて馬に乗って草原の中の道の十字路などに、ちょっとだけ袋の口を開けておいてくるらしい。大人にならなかったこどもには、そういう方法で天に返して再生を待つということのようだ。

最後にアマゾンのインディオの家族の話。こどもはたくさん産んで、おとなになるまでに兄弟の何人かは、川に流されていなくなるそうだ。川は、ワニや巨大ナマズやアナコンダの世界で、「精霊につれていかれた」ということになる。

さらに奥地に行くとヤマノミ族という保護地があるそうだが、そこでは一夫一妻制度は存在してなく、多産系の女性による妊娠はひっきりなく繰り返され、母親は一人で産む。出産の時が来るとジャングルの中に一人で入っていって産み落とした赤ん坊を、ながめてから、自分で育てるか精霊にまかせるか一人で決める。

精霊にまかせると決めた場合はシロアリの巣の中に赤ん坊を置き去りにする。そして何日か経ってからシロアリの巣に火をつけて、天に返すということ。


日本でも、姥捨て爺捨ての風習はあったが、生きたまま捨てるのだから風葬以下ヤマノミ並みということなのだろう。