ブログとブロガーの単純法則発見

2005-12-18 22:28:25 | 市民A
土曜夜(12/17 19:00-23:00)、赤坂の某スナック(というかBARというか・・あいまい)で、忘年懇談会が開かれた。主催は私。ちょっと空いた時間が作れたので、愛読者の方と、共有の時間をもち、モーツアルトやショパンの生涯を回顧し、ヘンリームーアやマリノマリーニ、吉本ばななの新作とか・・静かに語ろうかな。できれば、「殿方」ではなく「姫君」と・・

ところが、実際に登場されたのは、上記の趣旨とはまったく無関係な、以下の方々(本当はそういう高尚な話題の方向にいかなかっただけかもしれない)。並べた順番はアイウエオ順。その他の基準で並べると文句がつくのが必定。

あざらしサラダ管理人のあざらしサラダさん
ある米国公認会計士(USCPA)の鎌倉からロンドンへの道管理人のKOHさん
大西 宏のマーケティング・エッセンス管理人の大西宏さん
ガ島通信管理人の藤代裕之さん
dawn管理人のdawnさん
「まるぽ」にうす管理人のぽいんと尺さん

残念ながら、私を含め、殿7、姫0。外に出て、赤坂を歩く姫君を何人かかどわかして・・とか一瞬思ったものの、週末の赤坂を歩く女性の方々の多くは、私の知らない言語を使われるようなので、あきらめる。

そして、全員と初対面であったのだが、ブログによっておぼろげに構築されたそれぞれの方のイメージとあまり違わない(想定内)なあ、というのが最初の感想。たとえばあざらしサラダさんがdawnさんだったらちょっと違和感がある、ということ。

感想2は、ブロガーは「おしゃべりだ」ということかな。ただし、これが一般論かどうかはわからないのは、私自身が愛読しているブログ自体が「やや長め(1500字から2500字)のおしゃべり型タイプ」という事情が反映されているのかも知れない。

感想3は、各ブロガーの方の話し方は、まさにその普段のブログと同質であるということ。話す場合の論理と書く場合の論理が一致している。「思考と直感の切り分け」や「論理の組み立て方」とか・・・、あまりこの先を書くと怒られそうなのでここまでにするが、脳の使い方が人によって違うのだろう。それから言うと、「ブログ用に特殊な論理を使ったり、無理なテーマを突き進むというのは長続きしないのだろう」と初心者用アドバイス。

そして、7人の輝く知性が共有していた時間は、ある話が触媒になり崩れていく。それは、少し前に私が取り組んだ「津軽」の話から始まる。なぜか「津軽」ということばが連想ゲームの起点になり、あえて名前は公表できないものの、とうとう「小林旭」氏がマイクを握ってしまったわけだ。

世間一般では、「津軽」→「石川さゆり・津軽海峡冬景色」ではないかと思っていたのだが、「北へ」という思考パターンもあるわけだ・・

実は、私の個人的な趣味でいえば、つい最近訪れた、津軽半島の中央にある本州最北の人口集積地である「金木町」出身の二人の有名人のうち一人(もう一人は太宰治)が歌う演歌をもって、「正統津軽うた」と認定したいと思いはじめている。それは、

 雪国 吉幾三だ。

吹雪の中、白い大地を二つに切り分け、津軽鉄道金木駅に近づく一両編成のワンマン列車を見たとき、なぜ、あのまったく素朴で誰にでも歌えるような単純な曲に、彼が過度の感情移入が可能だったのか、ちょっとだけわかったような気分になった。

そして、カラオケ連想ゲームは狭い思考パターンの中から脱出できず、いつしか自然終了し、「アネハ被害者に対する、やや微妙な違和感」を共有し、以下定刻の23:00となり、札束が乱れ飛んだあと、お開きとなる。

最後に、この集まりに参加された皆様方に、感謝の気持ちを表明するとともに、また、別の機会での再会を祈念し、さらに、まだ見ぬ愛読者の方々からの応援を大切にし、日々、次のエントリへ進むことにする。  

岡本太郎の遊ぶ心-岡本敏子-

2005-12-18 22:27:28 | 書評

f7117c4f.jpg岡本太郎の造形は楽しい。ただし、それは絵画のように持ち運びが可能なものではなく、またロダンやヘンリー・ムーアのブロンズのように同一主題での複製が可能なわけでもなく、「太陽の塔」をはじめ、それぞれの構築物があちこちに単独で存在する。したがって展覧会として、まとまって見られるのは絵画が中心になる。表参道の旧邸宅である美術館もそうだし、川崎市にある美術館でも屋外展示物はあるものの、やはり絵画中心だ。だからと言って、あちこちにTARO-ハンティングに行くのも困難ということで、本を読んでみた。50年間の秘書で、後に養女となった岡本敏子さんの著。

この本は、主に大量の作品を製作始めた大阪万博以後よりも、それ以前に詳しい。子供時代、戦前のパリでの著名人との交流、そして日本で縄文土器の再評価、そして数々の趣味。スキー、クルマ、ゴルフ、カメラ、ピアノ。そして生涯唯一のペットである「カラス」。多芸というコトバでは包括できないのは、それらの総体が彼のすべてということだからだ。(それにしても、カラスの足に紐をつけ、凧のような状態で散歩をしていたというのは、世界中で彼だけではないだろうか。)

f7117c4f.jpgこの書で特に触れているのは、ピカソとの出会いだ。一時、絵が描けなくなった太郎が、ある画廊でピカソの100号の大作に出会ったそうだ。そしてその絵に強い衝撃を受け、再び筆をとることになる。南仏のピカソのアトリエに行った時に、太郎は、「均衡や調和ではなく、悪趣味でもって調和や均衡といったものを壊していくべきではないか」と持論を展開するのだが、ピカソに「そうだ。僕はそれをやっているんだ」と一蹴されている。太郎によれば、別れ際にピカソと握手をしたところ、ピカソの手は小さく柔らかく、その感触が心臓に伝わってきた、と述懐している。

そして、彼の生涯最大の作品は、言うまでもなく「太陽の塔」だ。当時、このテーマ館のプロデュースには自薦他薦さまざまな候補がいたそうだ。そして。もめにもめた後、太郎に白羽の矢が飛んできたそうだ。そして、そのもめたのが良かったかもしれないのだが、彼の意見はかなり企画段階で優遇されることになったそうだ。

ところが、ここからゴタゴタが始まる。まず、万博のテーマは「人類の進歩と調和」なのだが、ピカソに彼が話したとおり、「調和」は太郎がもっとも嫌う言葉だ。創造的破壊とか芸術の普遍性というのが彼の持論なのだから、食い違うのが当然。そして、決定的な対立が、テーマ館設計者の丹下健三との間で爆発する。なにしろ、岡本太郎が万博会場に建てようとした高さ70メートルの「太陽の塔」は、せっかく丹下健三が設計したテーマ館の巨大天井をつき破らなければ、おさまらない大きさだったからだ。

そして、最後のダイスを振ったのは、万博協会会長の石坂泰三である。彼が、なぜ岡本太郎の肩をもったかはわからないが(運がよければ自伝にかいてあるかもしれない)、結局、会場の中に、「進歩と調和」と「人類の普遍性」という二つの巨大テーマが混在することになり、何だかわからないうちに6422万人が大阪に引き寄せられていくのである。

この書には、いくつかのTARO語録が紹介されている。

人間は その根底において 美しいし、尊いのだ
みんなが 真の人間的な存在 つまり芸術家になれ
悲劇に真正面から取り組み 生命をひらくことが、真のいきがい、遊びなのである
男に生まれた以上、世界中の女の 男であるべきだ

そして、さらに驚異的なのは、

私は父母に生んでもらったんじゃなくて、自分で決意してこの世に生まれてきたのだ

「芸術は、爆発だ!」とはあるビデオテープのCMだったが、もっと正確に言うなら、「岡本太郎の人生は爆発だ!」ということだろう。そして敏子さんは2005年、慌しく永眠。