5泊6日の城めぐりplan(5)

2005-12-25 22:37:42 | The 城

f67d7223.gif5日目

6日間で12城まわると言っても、残る2日間で5城残っている。四国の4ヶ所(丸亀、松山、宇和島、高知)と姫路。色々考えると5日目に三ヶ所回らなければならない。大変忙しい一日になるはずだ。まず、丸亀の朝は早起きし、朝9時には天守閣の入口に並ばなければならない(といっても列ができているはずもないが)。

この丸亀城は、異例な構造だ。平地にぐいとそびえる丘そのものを利用している。築城にあたっては、幕府には第二候補として申請したそうだ。他国の例で言うと、第一候補の場所は、戦略的な要衝の場合が多く、たいてい許可されなかったそうだ。大名の弱体化は幕府の狙いだからだ。丸亀は逆筋を狙い、成功したようだ。市内一望。

そして、美しい水堀に華麗に引き立つのは、巨大な石垣だ。そして、現代では当然というべきこのタイトに四角い石を組む方法は、当時は画期的だった。個人的な趣味では牛蒡積みというような、古風で柔らかな組み方が好きなのだが、ここは精悍だ。石と石の間にできる、黒い陰がくっきりと、高石垣の印象を強める。今は亡きソニーのトリニトロンのようなものだ。

そして、相当高い場所に天守閣はある。もちろん、4日目に備中松山城に行っていなければこの高度差に思わずため息が出るかもしれないが、要は、ここまできたらよじ登るしかないのだ。そして、この城は正面の石垣の上にいきなり天守閣がある、どうしてこういう構造かというと、大砲が実戦化される前の時代だからだ。敵の攻撃を裏側からに限定している。そしてそこには、急な坂道と緩やかな坂道の二つの入路がある。その緩やかなつづら織りの坂道で戦闘が行われることを仮想して設計されている。だから、裏側から敵が侵入した場合、天守閣を枕に最後の防衛線が行えるようになっているのだろう。

そして、その二つの道は、現代の登城者にも選択を迫る。途中の分かれ道に二つの矢印がついている。片側は「男性」、もう片側は「女性」。何かトイレみたいだ。実際には、「男性」コースは階段が急で、一段ずつが大きく苦しむし、「女性」コースは距離が長くて苦しむ。いずれにしても、天守閣まで、時間はかかる。そして、天守閣から瀬戸内の海を眺めれば、はるかに続く瀬戸大橋が見渡せるのである。この城も、天守閣そのものの楽しみと、このアプローチの部分の楽しみと、一粒で二回味わえる。

そして、残念ながら、時間の都合で30分ほど見学したら、「男性」コースの下り坂を走り下りなければならない。なにしろ徒歩15分のJR丸亀駅で乗らねばならない特急いしづち9号は、10時8分発である。さらに、駅と城との間には歓楽街があり、あやまって袖を引っかけないようにしなければならないが、朝の9時台なら大丈夫だろう。


f67d7223.gifそして、四国は横に長い。次の目的地である松山に着くのは12:05分。丸亀駅の近くにある、極めてうまいうどん屋に行けなかったことを悔やまなければならない。昼飯など落ち着いて食べる時間はない。松山についたら、すぐに駅前から市電に乗る。10分ほどでロープウェイ駅近くに着く。さらに工事中のロープウェー通りを歩き、ロープウェイ駅につく。すると、また二択になる。ロープウェイという箱型の乗り物に乗るか、スキー場にあるようなリフトに乗るかである。一長一短。リフトは待たないですぐに乗れるが、寒いし雨に濡れるし荷物が多いと危険だ。ただし、落下したときの存命率はリフトの方がましだろう。

ところが、この辺で明らかにしなければならないが、現在の松山城は大規模修繕工事中である。美しい天守閣の姿を見ることはできない。もちろん美しい庭園や天守閣内部は入場可能だ。ただし、松山市自体がこの城の工事に合わせて全市休業のような状態であり、ロープウェーが止まる日もあるらしい。巨額な投資の結果が空振りに終わらないことを祈るだけだが、空振りになる可能性も結構高そうだ。姫路、松江、松本などと並び大型観光開発の目玉となっている。気になるのは、本当に観光客へのホスピタリティを考えているなら、工事中でも来訪してくれる人たちにも、もっと暖かい心尽くしがほしいところだ。

そして、ここでもロープウェイで下りてきたら、タクシーで松山駅に急がなければならない。注意が必要なのは、JR松山駅と伊予電松山市駅があり、大きな声で運転員に告げなければならないが、そうすると、勘違いをしたドライバーから色々と話しかけられてしまい、思わず道後温泉に連れて行かれそうになることだ。無視する。

14時18分、宇和島行きしおかぜ9号発車。みかん畑の中を走り、15:33に宇和島に到着。


f67d7223.gif宇和島城は、実は駅から近いのだが、行きはタクシーがいいかもしれない。走行距離は極めて短いのだが、上り口を一見のトラベラーが発見するのは困難。そして、いつもの未舗装の山道が出迎えてくれる。ここの石段は後付のようで綺麗な反面、雨の日は滑りやすい。

そして、完全に森を抜け、山の頂上に登るとやっとの思いで天守閣に到達。奇妙な形をしているため、正面から見た姿が、鬼の顔面のようにも見える。宇和島の町の背後に連なる鬼ヶ城連山の主が山から下りてきたようだ。そして、大変に雰囲気がある。場所も秘境っぽいし、アプローチの間の「暗」と天守閣前広場の「明」。眼下には宇和島漁港とみかん畑が広がる。

そして、この宇和島城こそ、かの城造りスペシャリスト藤堂高虎が世界に残した多々の天守閣の中、ただ一つ現存している遺作なのである。405歳。文献などで見ると、今治城、和歌山城あたりが彼の作品の頂点であり、この宇和島城は、彼の中ではどちらかというと傍系のようになっている。復元された和歌山城は、十数年前に挑戦したときは、本物と思ってしまったほど、大変な名作と感じたのだが、おそらく後年の設計者は、原図を変える気にならなかったのだろう。

そして、宇和島城天守閣内部を歩けば、そこに400年前の藤堂高虎の精神に少し自分の脳波の波長を合わせることができるかもしれない。

ただし、これだけは言っておかなければならないのは、宇和島城は現存12城の中で、もっとも傷んでいる。このままであれば、自然倒壊や、地震被害を免れないだろう。大規模修繕の経歴もないようだ。が、それも藤堂高虎にふさわしいのかもしれない。さらに、天守閣前に立つ巨木。樹木の名前には疎いのだが、根元に既に2メートル大の洞ができている。すべてが、古城にふさわしい。

f67d7223.gifそして、いつものように大急ぎで宇和島駅に戻る。四国ローカル線の旅は大変だ。17時05分発、予土線の普通電車で南下。山あいを抜け高知県に入り、太平洋側の窪川駅着が19時08分。接続悪く、19時48分発土讃線特急しまんと10号に乗る。高知着は20時54分だ。ネタの太い寿司屋「おらんく屋」も、駆け込んだ時には、ほとんどネタが残っていないかもしれないのだ。

5日目、乗車距離、417km。乗車時間、6時間23分。

<追記>当初、宇和島城の俗称を鬼ヶ城と書いたが、現地の方から誤謬との指摘を受け、事実を調べなおした結果、その部分を修正(2006/02/02)。