村上春樹氏にカフカ賞。もう一つ串刺し?

2006-03-25 00:00:00 | 書評

数日前に、吉本ばなな氏のことを書いた時、欧州では村上春樹氏より有名で、ノーベル賞に近いのではないかと書いたら、さっそくノーベル賞前哨戦の情報がきた。予想ははずれたかもしれない。  <村上春樹氏にカフカ賞 プラハで10月に授賞式>(共同)  

 プラハからの報道によると、チェコのフランツ・カフカ協会は23日までに、プラハ出身の作家フランツ・カフカ(1883-1924年)にちなんだ文学賞「フランツ・カフカ賞」を、日本の作家、村上春樹氏(57)に贈ることを決めた。授賞式は10月30日にプラハの旧市庁舎で行われる予定。

同賞は2001年に創設、今年が6回目。これまで2004年にオーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネク氏、2005年には英国の劇作家ハロルド・ピンター氏が受賞。両氏はいずれもその年にノーベル文学賞を受賞した。同賞は民族文化の重要性を喚起することなどに貢献した作家に贈られ、賞金は1万ドル(約120万円)。

地元紙プラーボは、村上氏の代表作として「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」「海辺のカフカ」を挙げ、約20カ国語に翻訳されて世界でミリオンセラーとなっているなどと紹介した。

経済紙ホスポダージュスケー・ノビニは「村上氏は(ノーベル文学賞授賞式が行われる)スウェーデン行きの航空券を手配しなければいけないだろう」と伝えた。(共同) 

確かに、ノーベル賞の世界では、圧倒的に有利なアメリカ勢も文学賞ではさっぱりで、これといった候補も見当たらない(アップダイクも小市民小説と化したし、ブローティガンは頭を撃ち抜いた。ロスは寡作すぎる。)。ずいぶん長い間、アメリカ人は受賞していない。

村上氏も年の功もそろそろといったところなのだろうか、・・・

しかし、「海辺のカフカ」はノーベル賞狙いの一作のような気がしていたが、まさかカフカ賞と串刺しを狙っていたとは知らなかった。「海辺のカフカ」はかなりの力作なのだが、一割くらいの人が酷評する。ようするに、普段、小説を読まない人には固く門を閉ざすだろうという種類の小説である。個人的には「猫と話すナカタさん」という準主人公が好きだ。 デビューから「ダンス・ダンス・ダンス」にいたるまでが第一期。そして、冒険的な作品群を書いている現在は第二期の終わりなのだろうか。「ねじまき鳥クロニクル」は第一巻と第二巻は傑作と評価できるが、2年の時間を空けて完成させた最後の第三巻は、ちょっと息切れの感もある。地下鉄サリン事件のその後を追ったノンフィクション「アンダー・グラウンド」。確かに、多彩だ。

さて、ここでカフカ賞のことを考えてみる。報道では第4回(2004年)と第5回(2005年)の受賞者がそのままノーベル賞をとったので第6回の村上春樹もノーベル賞ではないか、と書かれているが、では第1回から第3回はどうだったのかということになる。これが簡単にはわからないのだが、やっと探し出した。

第1回(2001年) フィリップ・ロス(アメリカ) 1933年生
第2回(2002年) イヴァン・クリーマ(チェコ) 1931年生
第3回(2003年) ナーダ・シュペーテル(ハンガリー)?年生
第4回(2004年) エルフリーデ・イェリネク(オーストリア)1946年生
第5回(2005年) ハロルド・ピンター(英国) 1930年生
第6回(2006年) ハルキ・ムラカミ(日本) 1949年生

驚いたのは、第一回がフィリップ・ロスなのだ。年の差は16歳だが・・

と書いていて、ふと気が付いたのだが、世間では、「カフカ賞をとったら、ノーベル賞につながる」と思われているのだが、それは偶然ではないのではないか、と思い始めたのだ。つまり、ノーベル賞をとりそうな作家に先にカフカ賞を渡すことによって、カフカ賞の権威付けしようということではないのだろうか(姑息だが)。

そして、今度はノーベル文学賞のリストを見てみるとこのところ、6年に一回ずつ、非白人が文学賞を受賞している。そして、今年はその周り年である。また。2004年と2005年は連続して劇作家であり、そろそろ小説家の番なのかもしれない。そしてロス氏の場合は最近嫌われている金融業が得意なある民族であるのが災いしているのかもしれない。

1988年 N・マハフーズ(エジプト)
1994年 大江健三郎(日本)
2000年 高行健(中国)
2006年 Who?

案外、異色候補としては、大御所である谷川俊太郎というのはどうだろう。少しいばり過ぎという声も多いが・・

ところで、最近の新人の文学賞応募作は、そろって村上春樹と川上弘美の文体とそっくりだそうだ。それでは文学賞は受賞できないそうだ。その証拠に村上春樹も芥川賞を取り損ねている。逆の言い方として、彼に芥川賞を渡し損ねたことが、芥川賞の汚点と言われているそうだが、その他小さな汚点はいっぱいある。受賞作を並べてみると、選考委員の好き好みで同系統の作家が並んで、突如、系統が替わったりしている。

たぶん、当時の選考委員は彼がノーベル賞を受賞したら穴に潜り込みたいだろう。 彼が最も芥川賞に近かったのは、1979年6月に群像新人賞を受賞した「風の歌を聴け」なのだが、その時の受賞作は・・というのもわかってはいるのだが、まあ書かないことにする。その後、1980年発表の「1973年のピンボール」、1982年の「羊をめぐる冒険」で、もう新人賞とは卒業してしまったのだ。

さらに将来問題化する汚点を追加すると、もう一人の未来のノーベル賞候補者になるだろう吉本ばなな氏も芥川賞とは無縁である。逆に、もらった芥川賞を後で返上した作家は、今のところ一人もいないはずだ。



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