笹子トンネルは半復旧だが

2012-12-31 00:00:57 | 市民A
12月29日の午後、通行禁止になっていた中央道笹子トンネルはコンクリート製の天井板が崩落した上り線はそのままにし、下り線トンネルの天井板を撤去した後、片側1車線の対面通行で仮復旧した。時速40キロ制限だが、それにもかかわらず事故を起こす無謀ドライバーがいないことを祈りたい。

しかし、天井がなぜ落下したのか調べる前に天井をはずしてしまったので、本格的な検証は上り線の調査を徹底的に行うしかない。

12月12日に弊ブログ笹子トンネル天井崩落事故で触れたように、天井板でも、吊り金具でも、それを埋め込んでいた接着剤でもなく、コンクリートの材質そのものではないかとの説もあるようだが、個人的には少し気懸りなのは、1960年代から1970年代の高度経済成長下で出回っていた欠陥コンクリートのこと。セメント比率を減らしたシャブコンとか海砂しようとかの話だ。


実は、昨年の大震災の時に、東北各地で崩れた防潮堤のこと。特に、絶対に崩れないはずだった田老町のスーパー堤防のこと。

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実は、田老町の防潮堤には三種類あって、それらがX型に組み合わさっていた。もっとも古いのが内側に長く「逆くの字」状に南北にのびる部分で昭和三陸津波を受け1934年から1957年に完成(1350m)。次に古いのがXの中心点から東に延びる部分で、チリ地震を受け1962年から1965年に完成(582m)。そして三番目が南側を護る部分で1973年から1978年に完成(501m)。このうち二番目に古い東に延びる部分が崩壊した。

よく考えていくと、この2番目の堤防は3番目よりも長いのにもかかわらず、工期がかなり短いのである。


堤防の設計の問題を議論するのも重要だが、使用されたコンクリートが適正に配合されたものなのかどうかは、まず最初に調査が必要なのではないだろうか。山梨にしても岩手にしても、建設業界に力をもつ有名議員の産地として有名なわけだし。時期としては、有名議員が、より有名になっていった時期と重なっているのだし。


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