アスベストの先に見える、未成熟ジャーナリズム

2005-07-25 19:51:36 | 市民A
アスベスト禍が大きく報じられている。ひどく嘆かわしい事実が明らかになっている。

ところが、建設会社に以前勤められていた方と話をすることがあったのだが、建設現場で囁かれている話として、「問題は、アスベストに係わらず、建材一般にある。」というのがあるそうだ。個別の建材の名前をあげることは避けるが、多くの建材には、疑わしい物質が使われているとの疑念を感じているとのことであった。一応、業界団体の調査では、発ガン性なしといわれる素材であっても、国交省と経産省は合同で、直接、建材調査すべきとの意見をお持ちということだ。

また、あまりにも、省エネ重視型住宅を求めるがため、ロックウール、グラスウール系の素材を多用し、換気が二の次となった結果、少量の化学物質も室内に滞留しやすくなっているとのことだ。

もちろん調査の結果、何かが見つかれば大きな問題になるのだが、身勝手な業界団体の持ち出す御用学者による「安全論」と業界団体の自主検査による安全性の認定では危険だということだ。

もう一つ苦言を話されていたのは、マスコミの問題。A新聞もY新聞もどちらも、信じられていない。記事の表層的なつまみ食いをするだけで、その根本的な背景を無視して、簡単に善悪をつけようとするのものだから、取材拒否を受けているとのことだ。電話を会社にかけてきて、「何人死んだんだ!」と無感情に言われても、誰も答えないだろう。

新聞社が部ごとの縦割り組織になってしまい、複雑系の現代社会を解析する機能を失っていることを見抜かれている。まだ、新聞社の能力に期待できるのか、手遅れなのかはよくわからない。(部分的には再起できるだろうが、全体としてはダメであろうというのが私見)

今回のアスベスト禍の問題もそうだが、企業の内部に籍を置く社員からはなかなか告発しにくいものがある。また、現場で起きているのはもっと陰湿な話なのである。たとえば、会社側は気に食わない人間を、社内で「危険」と暗に考えられている作業環境に追いやって、退職を迫ったりすることがある。

そういった、社会の裏側に起きている、不正義を洗い出し、次の被害者を防ぐような記事を書くことこそ、A新聞もY新聞もめざすべき道なのだろうとは思うのだが、どうしても大衆紙になりたいというならしょうがないのかもしれない。

ロンドンの大衆紙「SUN」がニューヨーク進出での成功に続き、日本にもサテライトをつくればどうなるのだろう。A・Yの目指す大衆紙化路線も間違いなく粉砕されるだろうと確信できるのである。


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