幕末に、ツーリズムの波が来ていた

2021-08-16 00:00:44 | 歴史
『ニッポンをみた!?幕末・明治の外国人』という冊子(というには大きいが)を読んでいると、幕末から明治に日本で活躍していた写真家や挿絵画家や新聞記者について興味深いことが書かれていた。また、英国他の公使が日本国内を頻繁に旅行したり、退任後に日本についての文化論を書いたりしたことも、ある程度理解できてきた。



ペリーだって誤解だらけの日本論を書き残している。ペリーは、「日本人が子沢山なのは、パジャマの前がすぐにはだけるようになっているからだ」と自論を書いている。それが真実なら、人口減少問題の決め手は「パジャマ禁止法」ということになる。

話を戻して、当時の日本ブームだが、背景には欧米で始まっていた「ツーリズムブーム」があったそうだ。

もともと英国では、貴族階級では「グランド・ツアー」という観光旅行の一形態があった。そもそも欧州の貴族にとって重要なのはギリシア・ローマの歴史や文化ということで、旅行に行って過去の文物を知ることが教養と考えられていた。百聞は一見に如かず、ということ。

1841年には近代ツーリズムの祖といわれるトーマス・クックが団体旅行を企画した。同年には駅と一体化したホテルが誕生。鉄道網が整備され、米国では大陸横断鉄道が完成。そしてクックは1872年には、日本を含む世界一周団体旅行を催行した。同年には、ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」という観光キャンペーン小説も出版されている。

もちろん明治5年の日本は、あっという間に攘夷論者は(表向きは)一掃され、安全都市宣言をしていた。「お・も・て・な・し」。同年には日光金谷ホテルが開業。ご一行様は、できたての東京~横浜の鉄道を使い、瀬戸内海の船旅を堪能している。


なお、日本で幕末から明治初期に繰り返されたコレラの流行だが、通説では1858年に長崎に上陸した米艦ミシシッピー号の乗組員が持ち込んだと言われる。

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