雨鱒の川(川上健一著)

2009-09-10 00:00:01 | 書評
kakwakami最近、二人の男性作家を読んでいる。川上健一と藤沢周。二人とも多作でないのがいい。ジャンルはまるで違うが吉村昭も新潮文庫で読んでいて、ずいぶんたくさんあるなあ、と思っていたら、数多くの出版社から同じ位たくさんの文庫がでていることに気付く。


テンポが速く、現代社会の横向きにとらえる藤沢周に対し、川上健一はまったく古典的である。この「雨鱒の川」は、まったくの青春小説である。それなら、一気呵成に読み終わって、「現実より甘い」とか「青い」とか言ってしまえば簡単だが、要するに、そういう話を長い小説にするというところが彼流なのだろう。

また、本来、美文家ではないので、表現が回りくどくてなかなか、前に進まない。藤沢周はまるで逆で、スピードありすぎで、ぼやぼやすると振り落とされるのだが、川上健一の文体は、あちこちで渋滞する。

川で雨鱒と友達になった後、その雨鱒をヤスで突き刺そうとする農民を妨害するエピソードのところなど、念入りに二回も同じように書くわけだ。

筋書きが長く続く副作用で、読者の方が、読み進みながら、次の展開をあれこれと予想することになる。


およその粗筋をサマリーすると、

東北のとある寒村。母親と二人暮らしの小学三年生の心平は、川で魚を捕ることと絵を描くことにしか興味がない。そんな心平には心の通う少女がいた。小百合。そして、もう一つ、川の中には、彼とコミュニケーションができるようになった一匹の巨大な雨鱒がいた。

しかし、心平の絵が国際児童画賞を受賞した祝賀会の夜、母親は雪の中で亡くなってしまう。

十年後、十八歳になった心平は村に帰ってきて小百合の実家の造り酒屋に勤めるが、一人娘の小百合には家業を継ぐべく縁談が進んでいた。そして、心平には、職業画家としての第一歩を目指すべく東京の大家の家に住み込む話が決まっていく。

しかし、・・・


まあ、そんなところで、お決まりのフィナーレを用意するのが、彼流の小説のモラルなのかもしれない。

「涙目になるので電車の中で読まないこと」という人もいるのだが、そういうことはなかった。むしろ、清流の中を雄大に泳ぐ一匹の雨鱒の行く末が、気になる。


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