日光道中(江戸の旅、近代の旅)

2010-10-17 00:00:19 | 美術館・博物館・工芸品
旧新橋停車場にある鉄道歴史展示室で開催中(~11月21日)の『日光道中/江戸の旅・近代の旅』を覗いてきた。

ちょっと地味な感じだが、歴史ってそんなものだ。



まず、江戸時代。日光は徳川家の御聖地の一つだった。東照宮は権現様つまり徳川家康を祭っていた。そして、代々の将軍は、日光詣を行うことになっていたのだ。

どうも、避暑だったようだ。現代では超金持ちが軽井沢に別荘を持つようだが、徳川将軍も、日光に避暑に行っていたらしい。

もちろん、将軍の旅行は大散財となるため、そのうち日光詣でにはめったに行かなくなるのだが、もしかしたら、江戸の人口が増えていって都会になると、「日光なんかに行きたくないぜ」ということになったのかもしれない。あるいは、多くの将軍は大奥に「オキニ」がいたようだから、大将軍の慰霊なんかに行きたくもなかったのかもしれない。

そして、明治。実は、箱根や軽井沢のように長期滞在の外国人の旅行先になったそうだ。正統派避暑地である。

しかし、実際のところ明治23年に日光まで鉄道が敷設されるまでは、江戸時代と変わらない大旅行であった。そして、明治39年鉄道国有化により、国鉄日光線となる。駅舎前には人力車が集まっていた。



そして、昭和4年。国鉄独占路線に、東武鉄道が新規参入する。上野発である。ここから猛烈な「国鉄×東武」の乗客獲得戦争が始まる。

競争の初めの頃は、国鉄が優勢だった。急行料金不要の「準急」を導入。さらに食堂車を連結。大戦後も国鉄はディーゼル準急を導入し、さらに電化すると、特急並の準急(つまり普通運賃)を導入。

しかし、国鉄には最大の弱点があったわけだ。東京方面からだと宇都宮を経由するため、東武よりも距離が長いこと。

東武は、デラックスロマンスカーという、まったくいけてないネーミングの列車を導入。サロンルームにジュークボックス付きでスチュワーデスも登場した。

そして、東武が絶対的に有利になったあと、国鉄側には東北新幹線が登場。しかし、東北新幹線は宇都宮を通るため、東京から直通電車を日光に走らせるわけにもいかないし、料金体系も格安準急ということもできなくなる。その結果、直通を廃止し、宇都宮発のまったく普通の電車となる。試合終了気味だ。



ところが、東武の弱点は東京側の出発駅。「浅草」では、やはり東京西部の乗客には不便だ。その結果、JRと相互乗り入れによって、JR新宿発という東武・JRの痛み分け方式が完成したわけだ。


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