行列の短くなった寿司屋

2008-11-14 00:00:17 | あじ
人気ブロガー大西宏氏が、最近ランチで行く店が空いてきたの中で、外食店の入りが減少してきた実感を書かれている。



ちょっと前までは、ランチ時には並んで待たなければならなかったお店も、最近はお客さんの数が減って、すぐに入店できるようになってきました。それもラーメンとか、うどんとか、そばなど、決して価格が高いとはいえない郊外のお店です。

原材料の高騰で打撃を受け、原材料コストが下がりはじめた矢先に、景況感が悪化し、今度は消費心が冷え込み、そんな店にも影響しはじめてきていることを肌身に感じます。都心のお店はどうなんでしょうか。


都心の事情について。

「行列のできる寿司屋」と有名だった、下高井戸「旭鮨総本店」へ行く。赤坂の山王パークビルにある支店である。このビルは、携帯電話のD社が賃貸し、本社にしている。

しかし、

すぐに入店することができた。しかも、空席あり。

一見、高そうな寿司屋だが、要するに一品ずつネタを選ぶのではなく、「さざんか」とか「特上」とか「おまかせ」といったセットメニューである。だから、ある程度、ネタを入れ替えることによって、店側が原価コントロールするができる。しかもメニューは鮨だけなので、安いつまみを食いながらテーブル回転数を下げるような酔っ払いは排除できる。

もちろん、行列ができている間は、だ。



そして、たまたま、ビルの上階から降りてきた常連の部長風の男性は、「少し、つまみを切ってくれ」と、メニューに載っていない特別オーダーを通す。冷えた透明な液体を飲んでいる。なんか変だなあ。たぶん、2008年携帯電話顧客満足度で、栄えある銀メダルを獲得したことの、祝い酒なのだろうか。

寿司屋従業員のプライドとかモラールとか、ちょっと心配。

まあ、一口で言えば、不況の影響だろう。



ところで、ここから急転直下、話は変わるが、この山王パークビルのあった場所には、以前は「山王ホテル」が建っていた。戦後、米軍関係者が来日したときの宿舎であり、さらにダンスホールなどの娯楽施設があった。

さらに、さかのぼると、この山王ホテルは日本の近代史を語る上、非常に重要な事件の舞台になっていた。

 「二・二六事件」

目の前の首相官邸を襲撃した若手将校が、虎ノ門、霞ヶ関方面を武力制圧したあと、この山王ホテルを本拠地として占拠した。一方、守る政府側は、皇居をはさんで反対側の軍人会館を対策本部にしたが、そちらの建物は、今でも九段会館として使われている。



ここで、さらに急旋回して、現代のクーデター計画のこと。

前空爆長田母神俊雄氏の9ページの論文を読んでみた。田母神氏は北一輝になりうるか。

まず、感じたのは、9ページは少なすぎる。歴史を語るのに、その短さでは判定つかないということ。この内容で300万円というのは、少し奇異に感じる。肩書き代ではないのだろうか、と思えないでもない。

短くサマリーになったような論文についてコメントするのもどうかと思うのだが、彼の主張は、前の大戦を書くにあたり、「世界観」からではなく、「日本観」による解釈になっているように感じた。20世紀は、ロシア、清、オスマントルコといった前世紀の大帝国による帝国主義が衰退し、結局、民主主義に置き換わっていった世紀である、というような世界史的視点が欠けているように思える。

確かに、日本の周りにはいまだ民主的でない国ばかりで、70年前と比べてもたいして変わっていないので、世界観が見えにくいのかもしれないが、当時、日本は中国とだけではなく、世界と戦争することになった。ある意味、欧州で起きていた帝国主義の退潮の流れを理解できず、時代に逆行するように帝国主義を追求しようとしたことが大失敗につながった、とも考えられるはず。

「日本観」に基づけば、日本(帝国)の行動は正当化され、「悪いのはすべて共産主義者」と決め付けることになるのだろうが、論文の中で悪者に指定した蒋介石政府や米国政府に潜り込んだコミュニストなど、雲散霧消している。既に眠った奴を犯人に仕立て、自分は無罪だ、といっているようなものだろうか。

ところで、論文を募集したアパグループの実質的経営者は、前々首相の後援会副会長だったはずだが、今はどうなっているのだろうか。また、千葉県幕張の旧プリンスホテルを買い取った「アパリゾート東京ベイ幕張」の50階にある東京湾が一望できるホテルバー、「スカイクルーズマクハリ」の入り口の脇に立っていた用心棒氏はまだ雇用継続中なのだろうか。


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