羅家の人々

2021-07-04 00:00:30 | 美術館・博物館・工芸品
本日まで横浜ユーラシア文化館で開催中の『横浜中華街160年の軌跡』の関連資料を調べていて、1935年に中華料理店「安楽亭」で撮影された創業者である羅佐臣さん一家の集合写真が紹介されているのを知った。



羅さんは1862年に広東省で生まれ、1872年に貿易商だった兄を頼って横浜を訪れる。その後1903年に独立し山下町に海鮮物や雑貨の輸出を手掛ける恭安泰という商社を興す。

しかし、1923年9月1日、関東大震災により関内にあったほぼすべての建物が瓦解する。今まで私が調べた中でも、サカタのタネやユーハイムは瓦礫の中で社長が下敷きにならなかった幸運により、無一文でも再スタートすることができた。生きのびることが重要なのだ。

羅さんも同じように、生きのび、貿易商から料理店に業種を変えた。想像ではあるが、廃墟の中でも人々は働き、食事をしなければならない。貿易が再開するのを待つことはできなかったのだろう。すでに60歳を過ぎていた。

店は繁盛し、木造から鉄筋コンクリ造りに。その建物で撮影された写真が「一家の写真」。右から三人目が羅佐臣さん。右から2人目の少女(富美)は孫で、市内に今も在住されているそうだ。当時の中華街が日本、中国、海外に向けて開かれた街だったことが、一家のそれぞれバラバラな衣装によって想像される。

1936年に佐臣さんが他界されたあと、横浜大空襲の時は一家で箱根に疎開していて無事だったそうで、戦後は復興し、1973年、羅家は日本に帰化し、店名である安楽を姓に選ぶ。

中華街は2000年前後から新華僑と呼ばれる戦後の来日者が始めた店が広がり、多くの老舗が店をたたみ始め、安楽亭も2011年に87年間の歴史に幕をおろした。



当時使っていた円卓や食器を見ると、座敷に座布団という和式であり、徳利も瓢箪の図のような和風の日本酒用と竜や鳳凰をあしらった老酒用と使い分けていて、日本であり中国である、この不思議な中華街という空間が、出現するわけだ。


都内でも、例えば新橋で有名な「ビーフン東」は通常は椅子席を使うが、宴会となると座敷席となり、座布団で円卓を囲むことになる。座布団中華はいつまで続くのだろうか。