桜木町駅から少し離れた丘を登っていくと、比較的わかりにくいところに伊勢山皇大神宮がある。立派な神社なのだが、由緒はそう古いわけではないが、横浜の総鎮守ということだ。鎮守と言うとムラのようなイメージだが、実際はムラだったわけだ。それも漁村。すべてが変わったのは、ペリー提督の脅迫外交からだ。
ここに開港の歴史を書くことはやめておく、それをめぐっては多くの武士が戦って死んだわけだ。開国に反対していた勢力が勝って、大々的に開国してしまったわけだ。ストーリーが難しすぎる。
それで、新しい町の象徴として明治3年(1870年)に横浜の町と港の安全を祈願して政府と県が出費して神社を建てた。今年が150周年になる。結構、人工的な神社なのだが、そもそも横浜の町は突然、外圧によって始まったので、すべてが人工的だ。日本で最初の○○というのがやたらに多い「日本最初のカジノ」に向かって邁進している市長もいる(リコール署名が始まっているが)。
横浜らしいエピソードとしては、この神社の創建時にアイスクリーム(あいすくりん)が配られたそうだ。
ところで、日本国が統一国家になったあと、全国に『国』ができた。おおむね現在の『県』のようなもので、それぞれの国ごとに一社の『一之宮』、『二之宮』、・・・という神社のランキングを与えた。いずれも多くは自然発生的な「地の神」であったはず。
実は、神奈川県について勘違いしている人が大勢いる。
神奈川県=相模国で、東京都=武蔵国。
それで、相模国の一之宮は昔も今も「寒川神社」であるので、「寒川神社こそ、わが土地の神様」と思って初詣にいく人も多い。
実は、相模と武蔵の県境というのは、大きく神奈川県の中に食い込んでいて、横浜市の西の方の戸塚区の中の方なのだ。したがって人口の多い川崎市の全部と横浜市の大部分は武蔵国だったわけだ。
では、武蔵国の一之宮はどこかというと、また複雑で、三社が「われこそは武蔵国一之宮である」と標榜している。
聖蹟桜ヶ丘にある『小野神社』、府中にある『大國魂神社』、埼玉県にある『氷川神社』。埼玉も武蔵の国だったわけだ。
実際には元々の一之宮は『小野神社』だったそうだ。ずいぶんと小さい村の鎮守といった感じだそうだ。昔のままなのだろう。氷川神社のような大神社に抜かれたそうだ。もっとも江戸市内の住人は江戸時代に他所から移り住んだ武士や町人で百姓のように土地そのものが余剰生産物を作りだす源泉と言うことではなく、たんに消費生活者だったので、神田明神とか山王神社といった町の神社を愛好したのだろう。
さらに言うと、『小野神社』は、東京都といっても多摩川を渡って西側。つまり神奈川県みたいな場所なのだ。
ということで横浜の住民が、寒川神社に行こうが伊勢山皇大神宮に行こうが、小野神社に行こうが、その他どこに行こうが、おかしいこともないのだが、行ったら100円でも賽銭箱に投入した方がいいだろう。
伊勢山皇大神宮の賽銭箱にはコインではなく、かなりの「札」が投入されているのが、外からも見えるようになっていて、お賽銭相場が把握できるようになっていて、便利なのだが、余計なお世話ともいえる。
ここに開港の歴史を書くことはやめておく、それをめぐっては多くの武士が戦って死んだわけだ。開国に反対していた勢力が勝って、大々的に開国してしまったわけだ。ストーリーが難しすぎる。
それで、新しい町の象徴として明治3年(1870年)に横浜の町と港の安全を祈願して政府と県が出費して神社を建てた。今年が150周年になる。結構、人工的な神社なのだが、そもそも横浜の町は突然、外圧によって始まったので、すべてが人工的だ。日本で最初の○○というのがやたらに多い「日本最初のカジノ」に向かって邁進している市長もいる(リコール署名が始まっているが)。
横浜らしいエピソードとしては、この神社の創建時にアイスクリーム(あいすくりん)が配られたそうだ。
ところで、日本国が統一国家になったあと、全国に『国』ができた。おおむね現在の『県』のようなもので、それぞれの国ごとに一社の『一之宮』、『二之宮』、・・・という神社のランキングを与えた。いずれも多くは自然発生的な「地の神」であったはず。
実は、神奈川県について勘違いしている人が大勢いる。
神奈川県=相模国で、東京都=武蔵国。
それで、相模国の一之宮は昔も今も「寒川神社」であるので、「寒川神社こそ、わが土地の神様」と思って初詣にいく人も多い。
実は、相模と武蔵の県境というのは、大きく神奈川県の中に食い込んでいて、横浜市の西の方の戸塚区の中の方なのだ。したがって人口の多い川崎市の全部と横浜市の大部分は武蔵国だったわけだ。
では、武蔵国の一之宮はどこかというと、また複雑で、三社が「われこそは武蔵国一之宮である」と標榜している。
聖蹟桜ヶ丘にある『小野神社』、府中にある『大國魂神社』、埼玉県にある『氷川神社』。埼玉も武蔵の国だったわけだ。
実際には元々の一之宮は『小野神社』だったそうだ。ずいぶんと小さい村の鎮守といった感じだそうだ。昔のままなのだろう。氷川神社のような大神社に抜かれたそうだ。もっとも江戸市内の住人は江戸時代に他所から移り住んだ武士や町人で百姓のように土地そのものが余剰生産物を作りだす源泉と言うことではなく、たんに消費生活者だったので、神田明神とか山王神社といった町の神社を愛好したのだろう。
さらに言うと、『小野神社』は、東京都といっても多摩川を渡って西側。つまり神奈川県みたいな場所なのだ。
ということで横浜の住民が、寒川神社に行こうが伊勢山皇大神宮に行こうが、小野神社に行こうが、その他どこに行こうが、おかしいこともないのだが、行ったら100円でも賽銭箱に投入した方がいいだろう。
伊勢山皇大神宮の賽銭箱にはコインではなく、かなりの「札」が投入されているのが、外からも見えるようになっていて、お賽銭相場が把握できるようになっていて、便利なのだが、余計なお世話ともいえる。