横浜市戸塚へ

2016-03-23 00:00:37 | たび
ちょっとした用があって、戸塚に行った。横浜の区の中で最大の面積があり、27万人が住んでいる。戸塚駅と区役所は繋がっている。つまり、街の中心に駅があり、区役所がある。

では、せっかく来たのだから名所でもないだろうか、と思ったのだが、思いつくのは、箱根駅伝の2区と3区の中継をする「戸塚中継所」くらいだ。大手町の某新聞社の次が、鶴見中継所、次が戸塚中継所、さらに平塚があって小田原があって、箱根の山の上まで走る。

これは、東海道を走るということなのだ。

ということで、戸塚は東海道五十三次の宿場町だった。日本橋を出て、五つ目の宿場だ。

品川、川崎、神奈川、程ヶ谷(保土ヶ谷)、そして戸塚だ。日本橋から九里であり、つまり歩いて9時間だ。金持ちは品川の遊郭で遊んだり、庶民も川崎で昼休みで団子を食って神奈川か保土ヶ谷まで。貧乏旅行の場合、宿代を浮かせるため、歩き回り、一気に戸塚まで歩く。

戸塚が宿場となったのは1601年ということで、400年も前のことだ。

ところが、旧東海道は駅の近くにあるのだが、もはや歴史を感じるものは何も見えない。

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ただし、大名などが宿泊する本陣跡の碑がある。いくつかあるらしいが、簡単に見つけたのが街道添いにある澤邊本陣跡。奇妙なことに、碑の傍の門柱には「澤邊」の表札がある。碑の裏には2階建ての家があるのだが、そこが「澤邊家」の本家なのだろうか。もう旅館はやっていないような感じだ。

「一泊、頼もう!」と怒鳴ってみようと思ったが大人げないのでやめた。

しかし、この道が東海道であるのだから、江戸時代の有名人は、すべて、この場所を歩いたのだろう。家康もそうだし、幕末の志士たちもそうだ。江戸時代の戸塚は森だったのだが、現代の戸塚は雑多でまとまりのない渋谷のような街である。