大山祇神社は国宝の山

2016-03-10 00:00:54 | たび
大三島にある大山祇神社。特に源平合戦の頃の歴史的な武具の収蔵は目を見張るものがある。

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源義経が、着用し、八艘跳びをして戦ったという鎧が献上されている。もちろん国宝。同時代の頼朝はじめ他の武将の鎧よりも軽装にできているのは、船の上での戦いにそなえてリスクを冒してまでも守備より攻撃を考えての仕立てなのだろう。胴丸に貼られた布が左脇から下の部分が変色しているのは、海水によるものと思われる。血液ではないように観察した。(画像はパンフレットより画素ダウン)

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当時の大なぎなたが何本も揃っている。太刀も大きい。こんなの振り回していたのだから、血なまぐささは最高だ。戦国時代以降の銃と刀の併用とはまた違って、野蛮な戦いを繰り返していたのだろう。


日本における神仏混合のことを考えると、案外、このような源平時代の日常が影響するのではないかと感じたのだが。

武士は職業柄、思いもつかない戦いに巻き込まれていくのが常で、戦いの前には、神に祈りを捧げ、幸運を待つしかなく、もしも勝っても敵味方に大勢の遺体の山を作ることになる。心の慰めのためには、寺院にいって世の無常に身を任せるしかない、ということだったのではないだろうか。

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もっとも、現代流にいえば、受験前に行くのは神社なのだろうが、合格したからといって、寺院に行って、不合格者の無念さに心を痛める若者などいないわけだ。また、不合格になったからといって、寺院に行って心の安らぎを求める者もいないだろう。